↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
映える  作者: シズ
PR
14/25

広告費

 五月から、恵那が来なくなった。


 来なくなったというより、来る日が減った。週に三回だったのが、二回になり、一回になった。六月には二回しか来なかった。


「実習ですか?」


 和彦が訊くと、恵那は「それもある」と言った。


「それも」


「四年から、決めなきゃいけないの。何をやるか」


「決まってないんですか?」


「決まってない」


「どうやって決めるんですか?」


 恵那は少し黙った。


「いつもは、数えたら決まるの」


「数えたら」


「うん」


「今回は?」


「数えても、同じになる」


 恵那はそう言って、鞄を持った。持ってから、少し止まった。止まったのは一秒くらいだった。


 恵那が来ない日は、仁科が回した。


 仁科は台本を書かない。書かないのは恵那と同じだった。ただ、仁科は表を作る。時刻の入った表で、誰が何時に何をするかが書いてある。


 壁に貼ると、その通りに動いた。


 和彦は、そのほうが楽だと思った。楽なのに、なぜか手が遅くなった。


 企画は、仁科が持ってきた。


「キャバクラで働いてみた」


「働くんですか?」


「一日だけ」


「誰がですか?」


「里佳」


 里佳は「うち?」と言って、それから「まあ、いいけど」と言った。


      *


 店は駅の東口にあった。


 五階まで上がると、廊下に鏡がある。鏡は横に長くて、歩くあいだずっと自分が映る。和彦は機材を持ったまま、そこを通った。肩が重くて、背中が丸まっていた。


 中は暗かった。照明が低いところにあって、天井が見えない。香りが強い。甘くて、少し重い匂いだった。


 店長は三十代の男で、よく喋った。


「撮影、ぜんぜん大丈夫ですよ。うち、そういうの慣れてるんで」


「ありがとうございます」


「むしろ助かります。求人が」


      *


 控室は狭かった。壁際にロッカーが並んでいて、扉の一つが閉まりきらない。床にヘアピンが落ちていて、和彦は靴の裏でそれを踏んだ。踏んでから、拾って棚に置いた。


 髪を焼く匂いがした。誰かがアイロンを使っている。熱の音が、断続的に鳴っていた。


      *


 里佳は着替えて出てきた。


 髪を上げて、耳が出ていた。服は店で借りたものだった。歩き方が少し変わっていた。


「どう?」


「似合ってます」


「でしょ」


 里佳は笑った。笑ってから、鏡のほうを一度見た。見て、髪の後ろを直した。


 教えたのは、サキという人だった。


 二十代の半ばくらいに見えた。話し方が丁寧で、里佳より小さい声で喋る。指が細くて、爪が短く切ってあった。


「まず、灰皿ですね。二本吸ったら替えます」


「二本」


「はい。それから、お酒。グラスが半分になったら訊きます」


「訊く?」


「作りましょうか、って」


 里佳はうなずいた。うなずきながら、手元を見ていた。


      *


 撮影は四時間だった。


 里佳は客席に三回ついた。三回とも、店長が選んだ席だった。


 和彦はカメラを離れたところから回した。客の顔は映さない。声も入れない。これは最初に決めてあった。


 三回目のあと、里佳が戻ってきて、椅子に座った。


「疲れた」


「大変ですか?」


「大変。ずっと喋ってなきゃいけないんだもん」


 里佳はグラスを持った。中は水だった。


      *


 終わりに、サキにインタビューをした。


「この仕事、長いんですか?」


「三年です」


「大変なこと、ありますか?」


 サキは少し考えた。


「うーん、あんまり無いですね」


「無いですか?」


「みんな優しいので」


 サキは笑った。笑い方が、里佳と少し似ていた。


 和彦はカメラを止めた。止めてから、サキに礼を言った。サキも礼を言った。


      *


 四時間、和彦はほとんど立っていた。


 肩に食い込むベルトを何度も掛け直した。膝の裏が張って、途中で壁に寄りかかった。寄りかかった壁は冷たくて、そこだけ気持ちがよかった。


 耳が疲れていた。音楽が低いところで鳴りつづけていて、話し声がその上に乗る。乗った声だけが、意味を持たずに耳に入ってくる。


      *


 帰りに、店長が封筒を持ってきた。


「これ、うちからです」


「なんですか?」


「広告費です」


 和彦は受け取った。中に現金が入っている。指で数えると、十五万あった。数え終わって、手のひらが少し湿っていた。


「これ、多くないですか?」


「いや、動画のぶんなんで」


 店長は笑った。


「あと、これからのぶんも入ってます」


      *


 和彦は伝票を作った。


 項目名を書く欄で、手が止まった。紹介料と書こうとして、やめた。誰も紹介していない。動画を出しただけだった。


 和彦は「広告費」と打った。打ってから、しばらく画面を見た。喉の奥が乾いて、唾を飲んだ。


      *


 次の週、店長からメールが来た。


 〈動画を見たという方から、三件応募がありました。うち二名が体験に来ます〉と書いてある。


 文の下に、金額が書いてあった。一名につき、いくら。


 和彦はその数字を見た。見てから、恵那に転送した。


 返信は次の日に来た。〈受け取っていいよ〉とだけ書いてあった。


 仁科が表に列を足した。


「これ、なんの列ですか?」


「送客」


「送客」


「見て、行った人の数」


 仁科は定規で線を引いた。


「あと、これ」


 もう一本、線が増えた。


「こっちは、働きに行った人」


 和彦は二本の線を見た。二本とも、同じ店の名前が上に書いてあった。


      *


 出したのは金曜だった。


 土曜に四十万。日曜に九十万。月曜で百三十万になった。前の回を越えた。


 コメントは一万五千を越えた。


  〈思ってたより普通の仕事で草〉


  〈サキさんいい人すぎる〉


  〈本間さん向いてそう〉


 和彦は二つ目を三回読んだ。


 サキが映っているのは、合計で二分四十秒だった。名前は出していない。店の名前は出していた。


      *


 その月、店に来た応募は十一件になった。


 体験に来たのが七名。そのうち四名が続けた。四名ぶんの金額が、また封筒で来た。


 和彦はそれも「広告費」で通した。


 伝票の上のほうを見ると、同じ項目名が並んでいる。四月の分と、五月の分と、六月の分。金額だけが違う。


「これ、紹介じゃないんですか?」


 和彦は仁科に訊いた。


「紹介したの?」


「してないです」


「じゃあ、違うでしょ」


 仁科はノートを閉じなかった。閉じないまま、次の行を書いた。


「うちがやったのは、動画を出したことだけ」


「はい」


「見て、行くかどうかは、その人が決めてる」


 和彦は、それに何も返せなかった。返せない理由も、そのときは分からない。口の中だけが苦かった。


 和彦は自分の指を見た。


 封筒を数えたときの紙の匂いが、まだ残っている気がした。手を洗っても、そう思った。


      *


 七月に、店長から連絡が来た。


 サキが辞めたと書いてあった。理由は書いていない。かわりに、新しい人の名前が三つ並んでいた。


 三つとも、和彦の知らない名前だった。


 和彦は動画を開いて、サキが映っている二分四十秒を確かめた。


 そこにいる。灰皿を替えて、グラスを見て、笑っている。


 和彦はその二分四十秒を最後まで通した。通してから、閉じた。


 消しはしなかった。消す理由が無かった。


      *


 その週、恵那は一度も来なかった。


 和彦は数字と伝票を送った。返事は二日後に来た。〈ありがとう〉とだけ書いてある。


 和彦は返事を打とうとして、打たなかった。


      *


 六時ごろ、仁科が「今日、やる?」と言った。


 恵那が来ていないので、待つものが無かった。始まったのは五時四十分だった。


 大野が袋を提げてきた。里佳が缶を配った。瀬川は最初から座っていた。


 時計は五時四十分だった。


「八千二百」


「はい」


「里佳、また働きなよ」


 大野が言った。


「やだ」


「なんで」


「一日でいい」


 里佳は缶を持ち上げた。持ち上げてから、口をつけずに置いた。


「あれ、毎日やってる人、すごいと思う」


 誰も、それに何も足さなかった。


      *


 その週の欄に、和彦は打ち込んだ。


   打ち上げ  八千二百円  大野立替  七月十日


 その上の行に、広告費が四つ並んでいる。合計は三十二万八千円になっていた。


 項目名は、四つとも同じだった。


      *


  〈キャバクラで一日働いてみた〉


  十八分三十秒/再生 1,310,000


  〈サキさんいい人すぎる〉

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。