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5話

目を開けると、見慣れた木造の天井が視界いっぱいに広がっていた。


夢の世界へ入るたびに目覚める宿屋の一室。窓から差し込む淡い朝日が部屋を照らし、木の床には細く光が伸びている。


身体を起こすと、部屋の中央に置かれた椅子へ腰掛けていたシャルロットが、静かにこちらへ視線を向けた。


「では、改めて状況を整理しましょう」


俺は宿屋を出る前に、あらためてこの夢について説明することにした。


夢を共有していることを話すのは、これで二度目だった。


前回、この夢の中で警備隊長に捕まり、何もできないまま処刑されたこと。


そして今朝、生徒会室へ乱入した理由。


すべてを話し終えると、シャルロットは腕を組み、小さく息をついた。


「つまり、夢の中で一度死んでいて、その影響で昨日起きた出来事を、叶結以外は忘れてしまっている……ということですの」


「ああ。朝、生徒会室へ行った時はそのことを知らなかった。ただ、俺は生きているってことを伝えたかっただけなんだ」


シャルロットは小さく頷き、考え込むように目を伏せた。


「夢というには、出来すぎていますわ。それに……」


そこまで口にすると、部屋へ短い沈黙が流れた。


やがてシャルロットは小さく肩をすくめる。


「わからないものは、わからないのだから。この話はもうおしまいですわ」


「前もそう言ってたな。やっぱりシャルロットらしい」


「当たり前ですわ。叶結は、わたくしの助手だという事実は変わりませんもの」


その言葉を聞き、胸の奥が少しだけ軽くなった。


これから先も死なない保証はない。


もしまた俺が死ねば、そのたびにシャルロットの記憶は失われてしまうのだろう。


そう思うと胸が締め付けられるように苦しかった。


それでも、俺がシャルロットの助手であるという事実だけは変わらない。


その言葉だけで、不思議と悲しさが少し薄れた気がした。


最初は死ぬことが怖くて何も行動できなかった。


それなのに今では、死ぬかもしれないと分かっていても、この夢の世界でシャルロットと過ごす時間が楽しみの一つになっているのかもしれない。


「それよりも、未来のことをご存じなら、犯人がいた場所もお分かりになるんじゃありませんの」


「ああ。それが本題だ。俺は犯人のことを『少女』って呼んでいる」


そう言いながら、テーブルの上へ一枚の紙を広げた。


それは、自称マジシャンから受け取った地図だった。


簡単な街並みが描かれ、いくつもの場所へ赤い印が付けられている。


その赤い印は、少女が現れる可能性のある場所を示していた。


「あの少女は、まるで死そのものだった。衛兵程度じゃ、とても太刀打ちできないと思う」


俺はあの日の光景を思い返しながら続ける。


「あの時はシャルロットと手分けして探していた。一度報告へ向かって、戻ってきた時にはもう少女はいなくなっていた。それからは何の手がかりも見つからないまま、最後は警備隊長の裏切りで殺された」


俺は地図へ書かれた赤い印の一つを指差した。


「少女が現れたのは、この場所だ」

「わかりましたわ」


シャルロットは迷いなく頷く。


それ以上言葉を交わすことなく、俺たちは宿屋を後にし、少女が現れた路地裏へ向かって駆け出した。


――



やがて、路地裏へ続く細い道の前でシャルロットが足を止めた。


俺も大きく息を吐きながら立ち止まる。


「ここですわね?」

「ああ、ここだ」


短く言葉を交わし、俺たちは歩幅を合わせるようにゆっくりと歩き始めた。


コツ……コツ……


靴底が石畳を叩く音だけが路地裏へ響く。


やがて、その足音さえ石造りの迷路へ吸い込まれるように消え、辺りには冷たい静寂だけが残った。


――ドクン。


心臓が大きく脈打つ。


建物に挟まれた細い路地には陽の光がほとんど届かず、昼間だというのに薄暗い。


湿った空気が肌へまとわりつき、息苦しささえ覚える。


表通りとは、まるで別世界だった。


前回も、この場所へ来た。


自然と喉が鳴る。


あの日、この場所で俺はあの少女と出会った。


そして、何もできないまま恐怖だけを胸に刻み込まれた。


姿を思い出すだけで、背筋に冷たいものが走る。


身体が、あの日の恐怖を覚えていた。


だが、あの時とは決定的に違うことが一つだけある。


今は隣にシャルロットがいる。


一人じゃない。


その事実だけが、不思議と俺の足を前へ進ませてくれていた。


「いい天気だ……そうは思わないかい、凪。君は昔から、こんな日の空が好きだったね」


聞き覚えのある声が静寂を切り裂いた。


あの日も聞いた言葉だった。


視線の先には、一人の少女が静かに立っている。


どこか神秘的な雰囲気をまとい、一見すると可憐で儚げな少女にしか見えない。


しかし、その瞳の奥には人間らしい感情が一切感じられない。


底知れない狂気と不気味さが、静かに滲み出ていた。


見ているだけで、本能が警鐘を鳴らす。


「あれですわね」


シャルロットが小さく呟く。


その声だけが静まり返った路地裏に響いた。


少女はこちらを見つめ、小さく首を傾げる。


「そこに誰かいるのかな」


次の瞬間だった。


少女の姿が消えた。


「――ッ!」


数メートル先にいたはずの少女が、瞬きをしたわずかな間に目の前まで迫っていた。


気付いた時には、少女が握る武器が勢いよく振り下ろされている。


速い。


そう理解した時には、身体は動かなかった。


直後――


「叶結!」


シャルロットが俺の身体を力強く突き飛ばす。


俺の身体は地面を転がり、その直後にシャルロットが少女の前へ飛び込んだ。


ドカァン!!


激しい衝突音が路地裏へ響き渡る。


二人がぶつかった衝撃だけで石畳が砕け、辺り一面に砂埃が舞い上がった。


轟音が何度も響く。


何かがぶつかる音。


石が砕ける音。


金属同士が激しくぶつかり合う音。


まるで爆発が連続して起きているかのような衝撃が、狭い路地裏を震わせていた。


砂煙は晴れるどころか、さらに広がっていく。


中で何が起きているのか、まったく見えない。


俺は息を呑みながら、その場を見つめ続けた。


やがて衝撃音が止み、辺りは静まり返る。


「……やったのか?」


思わず声が漏れる。


「まだですわ! 避けなさい!」


砂煙の向こうからシャルロットの鋭い叫びが響いた。


反射的に身体を後ろへ引く。


ヒュンッ!


次の瞬間、俺が立っていた場所へ何本もの短剣が突き刺さった。


ガガガガッ!!


石畳へ深々と食い込み、乾いた金属音が辺りへ響く。


あと一歩遅れていたら、間違いなく身体を貫かれていた。


冷や汗が頬を伝う。


砂煙がゆっくりと晴れていく。


その中心には、傷一つ負っていない少女が静かに立っていた。


「驚いた」


口ではそう言うものの、その表情にも声にも動揺はない。


まるで、本当に少し驚いただけとでも言いたげな落ち着きだった。


少女はゆっくりとこちらへ向き直る。


その瞳には敵意すら感じられない。


ただ、目の前の出来事を観察しているだけのようだった。


それが余計に不気味だった。


少女は肩に担いでいた大きな袋へ、ゆっくりと手を差し入れた。


その仕草には一切の焦りがない。


次の瞬間、一振りの刃物を取り出した。


鈍く光る刃先が、薄暗い路地裏で不気味な輝きを放つ。


「来ますわ!」


シャルロットは迷うことなく地面を蹴り、一気に間合いを詰めた。


少女が刃を振るう。


鋭い一閃。


しかし、シャルロットは紙一重でその一撃をかわすと、その勢いのまま拳を叩き込んだ。


ドゴォッ!!


重い衝撃音が響き渡る。


少女の身体はわずかに揺れたものの、大きく吹き飛ぶことはない。


続けて放たれたもう一発の拳が、少女の握っていた刃物を真正面から捉える。


バキィン!!


金属が砕け散り、無数の破片が辺りへ飛び散った。


「やった!」


思わず声が漏れる。


だが、少女は壊れた武器へ一瞥すらくれなかった。


何事もなかったかのように砕けた刃を手放し、再び袋へ手を差し入れる。


「……なっ」


次に取り出したのは、先ほどとは形の違う長剣だった。


そのまま迷いなく振り下ろされる。


シャルロットは後ろへ跳び、その一撃をかわす。


石畳が砕け、破片が飛び散った。


だが、それで終わりではない。


長剣が砕かれると、今度は槍。


槍が折れれば、斧。


斧が壊れれば、鎌。


少女は底なしの袋から次々と武器を取り出し、休むことなく攻撃を続けてくる。


「あの袋……一体どれだけ武器が入ってるんだ……!」


思わず呟く。


どれだけ壊しても終わらない。


まるで武器そのものが無限に湧き出てくるようだった。


「っ!」


シャルロットが槍を受け流し、その柄を掴んで力任せにへし折る。


しかし、その直後には新たな武器が振るわれる。


息をつく暇すらない。


少女は一定の速度で武器を捨て、武器を取り出し、武器を振るう。


まるで感情のない機械のように、同じ動作を延々と繰り返していた。


その異様さに、背筋が寒くなる。


対するこちらには武器がない。


シャルロットは素手だけで応戦している。


それでも互角以上に渡り合っていること自体が信じられないほどだった。


だが、武器を持たない以上、防ぎ切れない攻撃も少しずつ増えていく。


刃をかわし、拳を叩き込み、武器を砕く。


その繰り返し。


しかし、一つ壊したところで意味がない。


次の瞬間には、もう別の武器が振るわれている。


徐々にシャルロットの動きにも無駄が増え始めた。


息遣いも荒くなっている。


「シャルロット!」


思わず叫ぶ。


助けに入りたい。


そう思っても、この激しい攻防へ飛び込めば、足手まといになるだけだ。


俺には武器もなければ、この速度についていく力もない。


歯を食いしばりながら拳を握ることしかできなかった。


ギィン!!


また一つ武器が砕ける。


だが、少女は何事もなかったかのように新たな武器を取り出す。


終わりが見えない。


攻めても決定打にならず、防戦一方の時間だけが過ぎていく。


このままでは、いずれ押し切られる。


そんな未来が頭をよぎった。


「くっ……!」


シャルロットが再び後方へ飛び退く。


その足がわずかによろめいた。


疲労が確実に蓄積している。


一方の少女は、呼吸一つ乱れていない。


何も変わらない表情で袋へ手を入れ、また新たな武器を取り出そうとしていた。


武器を持たない俺たちは、少女の途切れることのない猛攻を前に、確実に苦戦を強いられていた。


このままじゃ負ける。


何かあるはずだ。


武器でも、地形でも、この状況をひっくり返せる何かが。


そう思い、俺は必死に周囲へ視線を走らせた――。


そして――


「あった!」


路地の隅に、何かが落ちている。


俺は慌てて駆け寄った。


そこにあったのは、二つの武器だった。


一つは、途中から折れてしまった剣。


もう一つは木の棒


なぜこんなところに木の棒が落ちているんだ。


「叶結! 何をしていますの!?」


シャルロットが叫ぶ。


「待ってくれ! 今、武器を探してる!」


「そんな余裕ありませんわ」


シャルロットの言葉に呼応するように、あの少女がこちらへ向かってくる。


まずい。選んでいる暇なんてない。


目の前には、折れた剣と木の棒。

普通なら、どう考えても剣だ。

折れているとはいえ、刃物には違いない。


対して、木の棒。武器としての価値なんて、ほとんどない。


「……いや」


選択肢


「これだ」


俺は木の棒を握りしめる。


軽い。細い。頼りない。


こんなもので何ができる。自分でもそう思う。


それでも――


なぜか、この木の棒だけは違う気がした。


少女が使っている武器も、何か普通ではない。


だったら、この夢の世界なら。


そう思い無意識のうちにシャルロットにめがけて投げていた。


「シャルロット! これを受け取れ!」

「これを……?」


シャルロットは飛んできた木の棒を両手で受け取る。


一瞬、木の棒を見つめる。


「……木の棒ですわね」

「そうだ」


「……」

「……」


「仕方ありませんわね!」


少女が迫ってくる。それ以上話す時間はなかった。


「させませんわ!」


シャルロットは木の棒を両手で握りしめる。


「これで……終わりですわ!」


上段へ振り上げる。目にも止まらぬ速さで木の棒を振り下ろした。


少女もすぐさま武器を構える。


鉄の武器と、ただの木の棒。普通なら、木の棒が折れるはずだ。


ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!


これまでとは比べ物にならないほどの轟音が、まるで巨大な爆発が起きたかのような衝撃。


衝撃によって巻き上がっていた砂埃が、一瞬で吹き飛ばされた。


そこに立っていたのは折れてしまった木の棒を持ったシャルロットだった。そして、少し先には今にも倒れてしまいそうなほど、身体をふらつかせた少女がいた。その足元には、巨大なクレーターができていた。


少女は壊れた地面、それからシャルロットへ視線を向ける。


「……驚いた」


少女の視線がシャルロットに向きながら呟く。そして、ゆっくりと立ち上がり、その視線には何か強い感情が込められているようだった。


「君、強いんだね。それに……」


一瞬だけ、少女の視線が俺へ移った。


「君の連れからは、面白い匂いがする」

「……俺?」


思わず聞き返す。しかし、少女から答えは返ってこない。意味が分からず困惑している様子がおかしかったのか、少しだけ楽しそうに笑われる。


「次は、負けないよ」


そう言うと、少女は袋から小さな筒の形をした何かを取り出すのがかろうじて見えた。それを地面に叩きつけた瞬間。路地裏全体に乾いた音が響いた


カランッ。

プシュゥゥゥゥッ!!


一瞬で視界が白く染まる。


「シャルロット!」

「ここですわ!」


俺は必死に煙の中へ手を伸ばした。


だが、少女の姿はどこにもない。やがて煙が薄れ、少女が立っていた場所には、何も残っていなかった。


「逃げられた……?」

「そのようですわね」


『次は負けない』


あの言葉を思い出す。あの少女は、次に何をするつもりなのか。今思えば、なんとなく予想できたはずだった。そう思うと、悔しさに拳を強く握りしめる。


「また、探し直さないといけないのか……ん?」


その時。足元から、何かが這うような音が聞こえた。


気になって視線を落とす。


「……え?」


そこには、一匹の黒い蛇がいた。


蛇は俺の足元を通り過ぎたかと思うと、そのまま俺の周りをぐるぐると回り始める。


「うわああああああっ!?」


反射的に後ろへ飛び退く。しかし、足が何かに引っかかった。


「うわっ!」


そのままバランスを崩し、尻餅をつく。そんな俺を追い打ちするように、蛇がこちらへ近づいてくる。


そして、再び俺の周りをぐるぐると回り始めた。


「く、来るな……!」


突然の俺の叫び声に、シャルロットが驚いたように振り返る。


「どうしましたの!?」

「い、いや……足元に蛇が……!」


そう言って蛇を指差した


「シャアアアアアアッ!」


今まで俺の周りを回っているだけだった蛇が、突然こちらへ向かって身体を起こし、威嚇する。


「ひっ……!」


その恐ろしさに腰が抜ける。

俺は地面に手をつきながら、必死に後ろへ下がった。


コツ……コツ……。


ゆっくりと近づいてくる、人の足音が聞こえた。


「おやおや。こんなところにいたのかい、クロ。ほら、こっちに戻っておいで」


聞き覚えのある声だった。


その声が聞こえた瞬間、蛇は俺から離れ、声の主へ向かって這っていく。


少しだけ余裕ができた俺は、声のした方向へ視線を向けた。そこには、首に白い蛇を巻きつけた少女が立っていた。


「君は……あの時の占い師?」

「やあ、叶。それにシャルロット」


少女は楽しそうに笑う。


「僕は占い師ではないよ。世界一のマジシャンさ」

「自称マジシャン……」


以前会った時と変わらない。

掴みどころのない笑顔。

何を考えているのか分からない目。


自称マジシャンはその場でしゃがみ込み、足元にいる蛇へ手を伸ばした。


「いやぁ、探したよ、クロ。急にいなくなってしまってね。そんなに叶結が気に入ったのかい?」


そう言いながら、蛇をひょいと持ち上げる。


その言葉とは裏腹に、どう考えても今まで蛇を探していたようには見えない。


まるで、俺たちがここにいることを、最初から知っていたかのようだった。


「……どうしてここに?」

「どうしてって?」


自称マジシャンは首を傾げる。


「さっき言ったじゃないか。僕はクロ、この蛇を探していただけさ」

「それより――」


自称マジシャンは俺たちを見渡す。


「こんなところで何をしていたのかな?」

「……」

「まあ、言わなくても分かっているけどね」


口元に笑みを浮かべる。


「僕は全てを知っているから」


あまりにも胡散臭い言葉に、俺はすでにこの場を離れたくなっていた。

だが、まだ腰がひけてまともに立つことができない。


「なるほど、なるほど」


自称マジシャンは楽しそうに頷く。


「つまり、あの少女を追っているところだったのか。やっぱり君は……そういうことなんだね」


「何を言って――」


「今の君には、まだ知る権利がないようだ。それより、次の手がかりが欲しいのだろう?」


自称マジシャンは、くすくすと笑う。


「教えてあげようか?」

「……知っているのか?」

「前にも言ったけどね」


自称マジシャンは、クロの頭を撫でながら答える。


「僕は全てを忘れているんだ。だから、僕の言ったことが絶対に正しいとは限らない。それでも聞きたいかい?」


自称マジシャンの表情には一切の迷いがなかった。


「……聞かせてくれ」

「そうかい」


自称マジシャンは楽しそうに笑う。


「君たちは、少女がどこに現れるのかを探しているんだろう?」


俺が答えるより先に続ける。


「答えなくても分かるよ。君が考えていることも、僕には分かるからね。次は、少し変わった場所を探してみるといい」


「変わった場所?」

「変わった場所さ」


自称マジシャンは、何かを思い出したように指を鳴らした。


「君なら、これで分かるはずさ」


そして、路地の奥へ視線を向ける。


「そうだ。成金に頼るんだ」

「……成金?」


思わず聞き返す。


「この街には、金と権力を持て余している男がいるだろう? あの男は、君とも因縁があるんじゃないかな。成金は、きっと君たちの味方になってくれるさ」


「どうして?」

「なぜなら――」


自称マジシャンは、俺の目を見つめる。


「君が、亜麻仁叶結だからだよ」

「……俺だから?」

「そうさ」


自称マジシャンは、何でもないことのように言う。


「彼と一緒にいれば、君たちが必要としているものが手に入るかもしれない」

「必要としているもの……」

「ただし、一つだけアドバイスをあげよう」


自称マジシャンの声から、ほんの少しだけ笑みが消えた。


「警備隊長と成金を合わせてはいけない。少なくとも、今の段階ではね」


そこでまた、いつもの笑顔に戻る。


「おっと。これは君が一番よく知っていることだったかな?」


その名前を聞いた瞬間、嫌な記憶が蘇る。

俺を捕らえ、処刑した男。


「……警備隊長」


俺が呟くと、自称マジシャンは俺をじっと見つめた。


「今の君は、二回目かい?」

「……え?」

「それとも三回目?」


少し間を置く。


「四回目、五回目……もっと先なのかな」

「なんで……」


俺が言葉を続けようとした瞬間、自称マジシャンが俺の口元へ人差し指を当てた。


「静かに」

「……」

「僕は知らないよ」


くすくすと笑う。


「ただ、言ってみただけさ」


まるで、俺の反応を楽しんでいるようだった。


「ただね」


自称マジシャンは、少しだけ真剣な表情になる。


「これだけは言える」


俺をまっすぐ見つめる。


「皆を救えるのは、亜麻仁叶結――君だけなのだから」


「俺が……?」

「そうさ」


それ以上は何も言わなかった。


「おっと、もうこんな時間だ」


突然、自称マジシャンは空を見上げる。


「僕の公演を待っているお客さんがいてね。それじゃあ、また会おう」


そう言うと、わざとらしく一回転する。


そして、頭に被っていた帽子を外し、深々とお辞儀をした。その一つ一つの動作が、本物のマジシャンのように見えた。


「今の君は、幸せかい?」

「……」

「次に会った時、この答えを教えてほしいな」


すれ違う時にそんなことを呟いた。


そして、俺が振り返った時には前回と同じように、そこには誰もいなかった。


「……まただ」


前にも言われた言葉だった。俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。


「少しは……幸せなのかもしれないな」


誰に話しているのか、自分でも分からない。それでも、その言葉は自然と口から出ていた。


この奇妙な夢を見るようになってから、いろいろなことがあった。現実には何もなく、幸せなんて夢の中にしかないと思っていた。


けれど、シャルロットは、現実に存在する人間だ。夢の中だけの存在ではない。


そして、彼女と一緒に過ごす時間を、俺は少なからず幸せだと感じている。


「何か言いましたの?」


シャルロットの声で我に返る。


「なんでもない」


俺は小さく笑った。


「前にもらった情報も正しかったからな。成金に会いに行こう」


「ええ。そういたしましょう」


シャルロットが頷く。

俺は空を見上げた。

この夢が、もっと続けばいい。

そう思わずにはいられなかった。


――



今日一日で、いろいろなことがあった。


俺の過去のこと

この夢の出来事を話したこと

あの少女と戦ったこと

そして、占い師――いや、自称マジシャンとの再会。


思えば、この奇妙な夢を見るようになってから、慌ただしい日々が続いている。


父さんと母さんと一緒にピクニックへ行く夢を見るように願った。


それが、気がつけば中世ヨーロッパのような街にいて、チンピラに囲まれ、シャルロットに助けてもらった。


それから、探偵ごっこだと思って付き合っていたら、本当に殺人事件を発見して、俺は殺された。


その後、生き返った俺は、またシャルロットに助けられ、殺人事件に関わることになった。


そして今日。


あの少女と戦い、自称マジシャンからいくつもの意味深な言葉を聞いた。


『今の君は、幸せかい?』

この言葉を聞いたのは、これで二回目だ。


けれど、さっき自称マジシャンから同じ言葉を聞いた時、ただ単純に「今が幸せか」と聞かれたようには思えなかった。


もっと別の何かを問いかけられているような気がした。


俺の過去について。


今の俺が、本当に大丈夫なのか。


まるで、そんなことを尋ねられているような気がした。


「……」


考えれば考えるほど、頭の中に一つの疑問が浮かんでくる。


そもそも、この夢は本当に俺とシャルロットだけのものなのか?


シャルロット――西園寺夢依。


今でこそ、俺は彼女が現実では生徒会長をしている西園寺夢依だと知っている。


でも、それは後から分かったことだ。


初めてシャルロットと出会った時、俺は現実の西園寺夢依を知らなかった。


名前すら知らなかった。


それなのに、夢の中にはシャルロットがいた。


つまり――


俺が知らない人物が、俺の夢の中に存在していたということになる。


一つの可能性が浮かんだ。


俺とシャルロットが特別に夢を共有しているわけではない。


そもそも、この夢は俺とシャルロットの二人だけで共有されているものではないのかもしれない。


もし、夢を共有している人間がシャルロットだけだったとしたら、あまりにも都合が良すぎる。


俺が夢の中で出会った人物が、たまたま現実に存在するシャルロットだった。


そして、現実ではまだ会っていなかったにもかかわらず、夢の中では普通に会話をしていた。


それなら――


シャルロット以外の誰かが、この夢の世界に入り込んでいてもおかしくない。


むしろ、その方が自然なんじゃないか。


「……不特定多数の人間と、夢を共有している?」


その可能性を考えると、今までの出来事にも少し違った見方ができる。


あの自称マジシャンもそうだ。


あいつは俺のことを知っているような口ぶりで話していた。


前はこの疑問に確信が持てずにいたが今は確信に近い何かを感じる。


俺が知らないはずの人間が、夢の世界には当たり前のように存在している。


もしこの夢が、俺だけの夢ではないのだとしたら、一体、どんな人間と夢を共有しているんだ?


俺がこれから現実で出会う人間なのか。それとも、現実では一生出会うことのない、まったく知らない誰かなのか。


あるいは、そこに法則なんてものはなく、本当に完全なランダムなのか。


考えれば考えるほど、分からなくなっていく。


もし未来に出会う人間が夢の中に現れているのなら、これから先、俺が出会う誰かがすでにこの夢の世界に存在している可能性もある。


俺は、これから何人の知らない人間と夢の中で出会うことになるんだ?


その瞬間、背筋にぞくりと寒気が走った。


「……まさか」


そう考えた時、もう一つの仮説が思い浮かぶ。


もし、この夢を誰かと共有しているのだとしたら――その効力はどこまで及ぶんだ?


シャルロットや自称マジシャンのような人間だけなのか。


それとも、この街ですれ違う人々も。


いや、虫や鳥、蛇のような人以外の生き物まで、この夢を共有しているのか。


もしそうなら、この世界の住人はどこまでが本物で、どこからが夢なんだ。


考えれば考えるほど、思考は深い海へと沈んでいく。


あと少し。


あと少し考えれば、何かに辿り着けそうな気がした。


「う……なう……叶結。やっとお気づきになりましたの?」


「……え?」


その声で、俺は思考の海から引き上げられた。


目の前には、少し呆れたような表情を浮かべたシャルロットが立っている。


「ずっと呼んでいましたのよ?」

「……ごめん。考え事をしてた」

「それは見れば分かりますわ」


シャルロットは小さくため息をつく。

そして、少しだけ困ったようにこちらを見る。


「それより、どうして急に立ち止まったんですの?」

「ああ……」


俺は周囲を見渡しながら答える。


気がつけば、ここは路地の出入り口だった。


「叶結がどうしても警備隊長に犯人のことを話すと言いますから、わたくしも一緒に来たんじゃありませんの」


「……そうだったな」


俺たちには、これから向かう場所がある。


自称マジシャンが残した言葉が、頭の中に蘇る。


『成金に頼るんだ』


まだ分からないことばかりだ。

この夢が誰と共有されているのかも。


答えは、まだ出ない。だからこそ今は目の前のことを一つずつ確かめるしかない。


「行こう、シャルロット」

「ええ」


俺たちは歩き始めた。


けれど、歩き出しても頭の片隅には、さっきの疑問が残り続けていた。


ーー



シャルロットと一緒に成金を探そうと、その場を離れることにした。


辺りは夕暮れに染まり始め、大通りを歩く人影も少しずつ減っていく。


俺たちは人通りの多い通りを何度も探し回ったが、成金らしき男はどこにも見当たらなかった。


「見つかりませんわね……」


シャルロットが小さく呟く。


そこで俺は、一度原点に立ち返ることにした。


成金はチンピラたちから「親分」と慕われていた。だったら、あいつらがたむろしていた路地の近くを拠点にしていても不思議じゃない。


「元々チンピラたちから慕われてたんだ。俺が襲われた路地を拠点にしてるかもしれない」

「なるほど。それはあり得ますわね」


俺たちは昼間に襲われた路地へ向かった。


薄暗い路地へ足を踏み入れた、その時だった。


ドォンッ!!


何かが砕ける轟音が響く。


続いて、男の怒鳴り声が聞こえてきた。


「くそ、くそ、くそ! あの女ァ! よくも僕ちゃんを殴ったな!」


俺たちは物陰からそっと覗いた。


そこには首飾りや指輪をこれでもかと身につけた、派手な男が立っていた。


頬は赤黒く腫れ上がり、片目は半分閉じている。


男は苛立ちのまま木箱を蹴り飛ばした。


木箱は大きな音を立てて砕け、木片が路地中へ飛び散る。


「なんなんだよ、あの怪物は……! 僕ちゃんの精鋭が何十人もいたんだぞ!」


腫れた頬を押さえながら、男は唾を吐く。


そして、不意に何かを思い出したように顔を上げた。


「ああ……そうか」


男の口元がゆっくりと歪む。


「あの隣にいた男がやったんだな」


俺は思わず眉をひそめた。


あいつらを殴り飛ばしたのは、どう考えてもシャルロットだ。


どうやら成金は、シャルロットがあれほどの力を持っているとは思わず、俺がやったと勘違いしているらしい。


「復讐してやる……」


男は拳を握り締め、背を向けたまま低く呟いた。


その瞬間だった。


「見つけましたわ」


シャルロットが一歩前へ踏み出す。


「なっ――」


成金が振り向くより早く、シャルロットの拳が男の頬に突き刺さった。


ゴッ!!


俺が止める間もなく、成金は殴り飛ばされる。


鈍い音とともに体が宙へ浮き、そのまま壁へ叩きつけられた。


「ぶべっ!?」


俺は思わず目を見開く。


「ちょっ、シャルロット! 何やってるんだよ。話し合いをしに来たんだろ!」

「だって、叶結はわたくしの助手なのよ。わたくしは覚えてなくても、叶結を殺した相手なら、一発くらい殴りたくもなりますわ」


それを聞いて、胸の奥は少しだけスッキリしていた。


俺は前の夢で、一度この男に殺されている。


今回は未遂だったとしても、このまま放置すれば、いずれ同じ結末になっていたはずだ。


そんな相手に「仲間になるから仲良くしろ」と言われても、素直に頷けるわけがない。


成金は震えながら顔を上げた。


「お、お前……! 殺すってなんのことだ……」


顔を上げた瞬間、成金の顔から血の気が引いていく。


「ひぃっ……!」


あの時は抵抗もできず、ただ殴られて気絶した。しかし今は意識がある。


そして目の前に立っていた怪物が、赤髪の少女――シャルロットだった。


ようやく成金は、自分をこんな姿にしたのは俺ではなく、シャルロットだったのだと理解した。


だが、その直後。


「叶結、次はどうしますの?」


シャルロットは悪びれる様子もなく振り返り、さっきまでの勢いが嘘のように穏やかな口調で俺に尋ねた。


「え?」

「この人どうしますの」


その一言で、成金は完全に凍りついた。


「な、なんなんだ……。こ、この怪物が……命令を聞いてる?」


震える声で呟いた次の瞬間。


じわり、と成金のズボンが濡れていく。


「ひぃぃぃっ!」


下半身から広がる温もりとともに、薄暗い路地には情けない悲鳴だけが響いた。


情けない悲鳴を上げた成金は、そのまま白目をむいて気絶した。


「……気絶しましたわね」

「完全にな」


シャルロットは倒れた成金をつま先で軽くつつくが、返事はない。


逃げられても困るので、俺たちは近くの壁にもたれながら成金が目を覚ますのを待つことにした。


夕暮れだった空は、いつの間にか群青色へと変わっていた。路地の外では街灯に明かりが灯り、人々の話し声も昼間よりずっと静かになっている。


「もう夜か……」


俺が空を見上げた、その時だった。


「う、うぅ……」


成金がゆっくりと目を覚ます。


そして目の前に俺とシャルロットが座っているのを見るなり、飛び起きた。


「ひぃっ!!」


成金は慌てて俺の前まで這い寄ると、その場で勢いよく額を地面へ叩きつけた。


「お、お許しください!! 僕ちゃんが悪かったです! なんでもします! お金でも宝石でも家でも全部差し上げます! だから命だけは助けてくださいぃ!」


必死に震える背中を見ながら、俺は思わずため息をついた。


さっきまで威張り散らしていた男とは、とても同一人物には見えない。


それに……ズボンには乾きかけた大きな染みが残っている。


ここまで情けない姿を見せられると、不思議と怒る気も失せてしまった。


「もういいよ」

「……へ?」

「許す」


成金は恐る恐る顔を上げる。


「ほ、本当ですか?」

「ああ。ただし、一つ条件がある」


俺は成金の目を真っ直ぐ見つめた。


「俺たちの仲間になってくれ」


一瞬だけ成金は目を丸くした。


だが次の瞬間、何度も首を縦に振る。


「なります! 僕ちゃん、今日から仲間です!」

「決まりですわね」


シャルロットも満足そうに頷いた。


こうして、俺たちは三人になった。


今日はこれ以上動き回るのはやめて、体を休めることにする。


俺たちはいつもの宿屋へ向かった。


俺が宿の中に入ろうとしたその時


「ちょっと待ってください」


成金は大げさに片手を突き出し、信じられないものを見るような顔で宿を見上げた。


「なんですか、この豚小屋は。いやいや、さすがに冗談ですよね?」

「……豚小屋?」

「僕ちゃんを誰だと思ってるんですか! 泊まる宿は最低でも一泊金貨一枚! それ以下は宿じゃなくて物置ですよ!」


さっきまで命乞いをしていた男とは思えないほど胸を張り、夜の街を指差した。


「いいですか? 本物の宿ってもんを、この僕ちゃんが見せてやりますよ!」


そう言って成金は得意満面で夜の街を歩き出した。


「調子戻るの早いですわね……」

「そうだな……」


俺たちは呆れたように顔を見合わせた。


「もう、突っ立ってないで早く来てください!」


成金に急かされ、俺たちは慌てて後を追う。


そしてたどり着いた先は、街で一番豪華な高級宿だった。



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