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6話

翌日、目を覚ますといつもの天井が映った。


夢から現実に切り替わる瞬間は、いつまで経っても慣れない。特にここ数日は、見たい夢が見られなくなり、その境界線が曖昧になりつつある。


「叶結、朝だよ」


俺が起きたタイミングで、恒一に声をかけられる。


「学校行くか」


――



「お、来たか。おはよう」


「おはよう」


教室に着くと、すでに悠斗がいて話しかけてきた。


「なあ、この前話した部活見学、今日かららしいな。今日の放課後、時間あるか?」

「もちろん」


悠斗と知り合ってまだ数日しか経っていない。そんな俺にこうして話しかけてくれる悠斗には頭が上がらない。だからこそ、なるべくこの関係を壊したくない。


「とりあえず、いろんな部活を回ろうぜ」

「おーい、お前ら席につけー。ホームルーム始めるぞ」


俺と悠斗が話していると、いつの間にか時間が経っていて、教師が教室に入ってきた。


――



キーンコーンカーンコーン


授業の終わりを告げる鐘が、教室中に響き渡った。


「今日はここまで。課題、ちゃんとやってこいよ」


教師がそう言い残し、教室を出ていく。


悠斗が立ち上がった。


「学食行こうぜ」


気づけば、いつの間にか教室の入り口に立っていて、手には財布やスマホを握っている。


周りを見れば、弁当を持参しているやつ、購買のパンを確保しているやつ、そして悠斗みたいに学食へ向かうやつ――みんな思い思いに動き始めていた。


「ああ、今行く」


「急げよ。一年の教室、学食から一番遠いんだからな」


食堂に着くころには、すでに人が集まり始めていた。昼休みが始まったばかりだというのに、この賑わい。人気のほどがよく分かる。


「叶結、何にする?」


悠斗に言われ、券売機を見る。


唐揚げ定食。カレー。うどん。それ以外にもさまざまな料理がある。


選択肢(ここは置き後です)


その中でも一際目立っている商品名は、お子様スペシャルセットだ。


「……うーん。お子様スペシャルセット」

「そうか。」


俺がお子様スペシャルセットを注文すると、悠斗は昨日と変わらずうどんを注文した。


――



席に着く頃には、食堂は学生でごった返していた。


「よっしゃ、飯だ飯」


悠斗が割り箸を割る。


俺も箸を手に取り、お子様スペシャルセットへ視線を落とした。


「叶結さん。御一緒してもよろしいかしら?」


食べ始めてしばらくすると、会長が声をかけてきた。


ガタンッ。


「ど……」

「どうぞどうぞ! 昨日に続き今日も来てくれるなんて光栄です!」


俺が答えるより早く、悠斗が大袈裟に立ち上がる。


「それでは、お言葉に甘えますわ」


会長は上品に微笑み、そのまま俺の隣へ腰を下ろした。


その直後、一瞬だけ俺を睨んだような気がした。


「ふふ。叶結さんもひどいですわね。お昼を御一緒する約束をしたではありませんか。先に行くなら、一言くらい言ってくださればよかったのに。」


笑顔なのに目だけは笑っていない。その静かな圧に背筋が凍る。


「ごめん」


何を返せばいいのかわからず、反射的に謝ってしまった。


「少し寂しかっただけですわ。ここ数日ずっと御一緒していましたから、今日も当然そうなるものだと思っていました」


その一言を聞いた瞬間、周囲のざわめきがさらに大きくなった。もちろん、隣の悠斗も例外ではない。


「マジですか!? あの西園寺夢依さんとこれからも一緒に昼飯なんて最高じゃないですか! 明日から教室まで迎えに行きましょうか!」

「やめとけって。それはさすがに迷惑だろ。普通に食堂で集合でいいよ」

「それもそうだな!」


悠斗は笑いながらうどんを啜る。


「そうですね。それが一番ですわ」


それから他愛もない会話をしながら食事を続けた。


自然と話題は夢のことにもなり、そこで俺はずっと引っかかっていた疑問を口にした。


「会長。ペンギンのぬい――」


その瞬間だけ、会長の箸がぴたりと止まった。


けれど次の瞬間には、何事もなかったように微笑む。


「ぺんぎんですか。可愛らしいですわよね。わたくしは動物は好きですが、そのぺんぎんが何のことかは存じません」

「……そうですか」


有無を言わせない穏やかな笑顔だった。


それ以上聞いてはいけない。そんな空気に押され、俺は言葉を飲み込む。


「そ、そうだ! 今日の放課後どうする? 部活見学、いろいろあって迷っちゃうよな!」


重たい空気を払拭するように、悠斗が明るい声を上げた。


「今日と言いますと、部活動見学ですか? 少し違いますけれど、一年生でも生徒会は歓迎しておりますわ。よろしければ見学にいらっしゃいませんこと?」


こうして話題は部活動へと移り、結局その日の昼休みは、ペンギンの正体を聞き出せないまま終わった。


――


キーンコーンカーンコーン――


ホームルームが終わると、教室は一気に騒がしくなった。


「よし、叶結! 部活見学行こうぜ!」


悠斗は鞄を肩に担ぎ、やる気満々で立ち上がる。


「そんなに楽しみなのか」

「当たり前だろ。高校といえば部活だからな!」


俺も席を立ち、悠斗と一緒に教室を出ようとした。


コツッ。


扉をくぐろうとした瞬間、誰かと肩がぶつかった。


「っ、ご、ごめんなさい……!」

「こちらこそ、ごめんなさい」


慌てて距離を取り、顔を上げる。


そこにいたのは二年生の先輩だった。


茶色い髪は手入れされておらず少しぼさぼさで、目の下には濃い隈。大きな眼鏡をかけ、猫背気味の姿からも人を避けるような雰囲気が伝わってくる。


――何度か会った、あの先輩だ。


先輩も俺の顔を見ると、小さく息を呑んだ。


「君は……」


怯えた表情が少しだけ和らぐ。


「叶結くん……ですよね。この前は急にいなくなって、ごめんね。えっと、その……それじゃあ」


ぺこりと頭を下げ、そのまま立ち去ろうとした。


「ちょっと待った!」


悠斗が慌てて先輩の前に回り込む。


「えっ……?」

「俺たち今から部活見学に行くんです! 先輩もよかったら一緒にどうですか?」

「わ、私……?」


先輩は困ったように視線を泳がせる。


教室の中、それから廊下へと目を向け、最後に俺を見つめた。


断りたい。でも断り切れない。


そんな迷いが、その表情に浮かんでいた。


「いや、無理にとは言わないけど――」


俺がそう言いかけると、先輩は小さく首を振った。


「迷惑じゃ……ないです。叶結くんが、いるなら」


その言葉に、悠斗の口元がにやりと緩む。


「よーし、決まり!」

「ちょ、ちょっと悠斗」

「いやぁ、叶結も隅に置けないな。西園寺会長といい、今度は二年生の先輩まで」

「違うって!」

「否定が早い奴ほど怪しいんだよなぁ」


肩を肘でつつかれ、思わず顔をしかめる。


一方、先輩は意味を理解した途端、耳まで真っ赤になってぶんぶんと首を横に振った。


「ち、違います……! そういうんじゃ、ないです!」

「あはは、ごめんなさい先輩! ちょっとからかっただけです!」


悠斗は悪びれもなく笑う。


……絶対反省してない。


こうして俺と悠斗、そして先輩の三人で部活見学を回ることになった。


廊下を歩き始めたものの、どこか気まずい空気が流れる。


そんな中、悠斗はニマニマと笑いながら俺の脇腹を肘でつついてきた。


「なあ叶結。先輩とずいぶん仲良さそうじゃん?」

「違うって……」


小声で返すと、悠斗はますます面白そうに笑う。


そんな微妙な空気を破ったのは、意外にも先輩だった。


「そ、その……自己紹介、しますか」

小さな声でそう言うと、胸の前でぎゅっと手を握る。

「わ、私は二年生の……灰音小春です。よろしく、お願いします」


ぺこりと頭を下げる先輩――灰音小春。


「俺は高橋悠斗! 一年です! よろしくお願いします、灰音先輩!」


悠斗はいつもの調子で明るく笑った。


そして二人の視線が俺へ向く。


「一年の亜麻仁叶結。よろしく」


そう言って頭を下げる。


その瞬間、小春先輩は目を見開き、何かを確かめるように俺を見つめた。


「……やっぱり、亜麻仁くん」


誰にも聞こえないほど小さな声が漏れる。


「私……ちゃんと償えるように、頑張らなきゃ……」


その呟きは風に紛れ、俺の耳には届かなかった。


――



いくつかの部活を見学し、気が付けば夕日が校舎を橙色に染め始めていた。


最後にもう一つ回ろうと話していたところで、灰音先輩が「少しトイレに行ってきます」と席を外すことになり、俺と悠斗は廊下で待つことにした。


見学した部活の中では、サッカー部と社交ダンス部が特に印象に残っている。


社交ダンス部なんて最初は「高校にそんな部活があるのか」と驚いたが、音楽に合わせて踊る姿は想像以上に華やかで、見ているだけでも引き込まれた。


「いやー、やっぱサッカー部いいな!」


悠斗は満足そうに両手を頭の後ろで組む。


もともと中学でもサッカーをやっていたらしく、高校でも続けるか悩んでいたようだ。


だが、その実力は「少しやっていた」なんて言葉では到底説明できない。


ボールを持った瞬間、一人、二人と相手を抜き去り、そのままゴールネットを揺らす。まるでボールが意思を持って足に吸い付いているようなプレーだった。


「あそこ先輩も優しかったし、雰囲気も楽しそうだった!」

「いやいや、何あれ。悠斗、めちゃくちゃ上手かったじゃん。ついこの前まで中学生だったのに、先輩相手にあんな簡単に点決めるのはおかしいだろ」


思わずツッコミを入れると、悠斗は照れくさそうに笑う。


「少し齧ってただけだって」


少しどころの話じゃない。


「それで、入るの?」

「まだ決めてない。それより、さっき無月さん見かけなかったか?」

「え、いたかな」


「気づかなかったのか。社交ダンス部、めちゃくちゃ楽しそうに体験してたぞ。俺たちが踊ってる途中で入ってきてた」


そんな話をしていると、ちょうど灰音先輩が戻ってきた。


「お待たせしました」

「じゃあ、次はどこ行くよ」


悠斗が尋ねると、小春先輩は少し考えてから微笑んだ。


「叶結くんが行きたいところなら、どこでもいいよ」


この部活見学を通して、最初はぎこちなかった先輩とも少しだけ自然に話せるようになった気がした。


その時だった。


「叶結さん。ちょっとよろしいかしら」


聞き覚えのある凛とした声が、廊下の横から響いた。


振り向くと、西園寺夢依会長が腕を組んで立っていた。


いつもの優雅な笑顔。それでいて、どこか機嫌が悪そうに見える。


「……会長」

「どうして生徒会にいらっしゃらないのかしら?」

「え?」

「昼休みに『見学にいらっしゃいませんか』とお誘いしましたわよね?」

「……忘れてた」


会長は小さくため息をついた。


「そんなことだと思いましたわ。さあ、三人とも。少しだけお時間をいただきます」


有無を言わせない笑顔に気圧され、今日最後の見学は生徒会室に決まった。


俺と悠斗、そして小春先輩は、そのまま生徒会室へ向かうことになった。


――



生徒会室へ入ると、昨日の朝にいた先輩たちの姿はもうなかった。


どうやら作業を終え、それぞれ帰宅した後らしい。


「さて……何からお話しいたしましょうか」


会長はそう言って席に腰を下ろすと、静かに語り始めた。


その内容は、俺が想像していた「学校行事を手伝う生徒会」とはまったく違っていた。


この学校における生徒会とは何なのか。


そして、生徒会に所属する者が背負う責任についてだった。


生徒会は先生の補佐役ではない。


時には教師以上の影響力を持ち、学校全体を動かす立場にあるという。


その権限は学内だけに留まらず、この街、場合によっては他校へも影響を及ぼすほど大きいらしい。


「生徒会からの言葉は、ただの提案ではありませんのよ」


会長は真っ直ぐ俺たちを見つめる。


「一度決定したことは、必ず実行する責任がありますの。だからこそ、その一言には重みがあるのですわ」


当然、その責任も重い。


いかなる不祥事を起こしても、退学だけでは済まないこともあるという。


それでも生徒会を志望する生徒は後を絶たなかった。


だからこそ今代の会長――西園寺夢依は、生徒会への加入を推薦制へ変更した。


推薦を受けた生徒だけが入会を認められ、その中には俺の隣の席に座る無月さんも含まれているらしい。


「生徒会は、将来多くの人を導く人材を育てる場所でもありますのよ。」

「人を動かし、人の上に立つ。その責任を学ぶための組織ですわ」


気付けば窓の外は夕焼けから夜へと変わっていた。


「さて、お三方」


説明を終えた会長が微笑む。


「もし興味がありましたら、生徒会へ入っていただけると嬉しいですわ」


最初に口を開いたのは悠斗だった。


「すみません! 俺、やっぱりサッカー部にします! グラウンドを走り回ってる方が俺らしいんで!」

「ふふ。それも立派な選択ですわ。応援しています」


そして会長は、俺と小春先輩へ視線を向けた。


「お二人はいかがしますか?」

「俺は……」


答えようとした俺を、会長が静かに制した。


「よく考えて決めなさい」


「わたくしは、あなたの人格を知っているからこそ、一緒に生徒会で仕事をしたいと思いました。ですが、生徒会に入る以上、誰かに勧められたからではなく、最後は自分自身の意思で決めなければなりません。」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に沈んでいた記憶が揺れた。


雨の日。


父が男の前に立ち、母が俺の手を引いて走っていた。


周りには大勢の人がいたのに、誰も助けようとはしなかった。ただ見ているだけだった。


もしあの場に、一人でも人を動かせる存在がいたなら。


「逃げろ」「取り押さえろ」と誰かが声を上げ、周りが動いていたなら、未来は少し違っていたのかもしれない。


生徒会は人を動かす責任を持つ場所だ。


あの時の悲しみや絶望を、恒一さんそして、悠斗や、会長にも感じてほしくない。


過去に戻ることは叶わない。


それでも、ここなら――あの日の『何もできなかった自分』から、『誰かを導き、誰かを助ける自分』になれると思えた。


「俺、生徒会に入ります」


会長は穏やかに頷く。


「そうですか。ありがとうございます。歓迎いたしますわ」


続いて、小春先輩が遠慮がちに口を開いた。


「……叶結くんがいるなら、私も生徒会をやってみたいです」


会長は一瞬だけ小春先輩を見つめ、それから優しく微笑んだ。


「ええ。あなたも歓迎いたしますわ」

「ありがとうございます。書類は後日お渡しいたしますわ。時間も遅くなりましたし、今日はこの辺りでお開きにいたしましょう。」


こうして悠斗はサッカー部へ。


俺と灰音小春先輩は、生徒会へ入ることになった。


――



「行こう」

「そうね。行きましょうか」

「あ、あの……どこに行くんですか? こんな朝から活動するなんて異常ですよ。僕ちゃんはお昼から優雅に動きたいのですが……」


昨日、自称マジシャンの助言に従い、警備隊長のもとへ向かうことになった。


そのことを知らない成金は、夢から覚めたばかりだというのに欠伸をしながら文句を垂れる。


「あなたねぇ。わたくしたちの仲間になったのですから、もう少し協調性を――」

「いや、今日はそれでいい」


俺はシャルロットの言葉を遮った。


成金が仲間になったこと自体は良かった。だが今になって、自称マジシャンの『まだ合わせるな』という忠告が頭をよぎる。


あれはもう解決したと思っていた。


けれど、俺たちは一度、警備隊長と成金の策略によって殺されている。


……いや、本当に策略だったのか?


「叶結?」

「警備隊長が俺たちを裏切った理由が、まだ分かってないんだ」


シャルロットは黙って続きを促した。


「成金には復讐っていう理由がある。でも警備隊長は違う。俺たちに恨みがあるわけでもない。ましてや金に困っているようにも見えなかった。隊長になれたのも、たぶん家柄かコネだ」


あの時は金をもらったから動いたと言っていた。


でも冷静に考えれば、警備隊長が金に困るほど追い詰められているようには見えなかった。


「つまり……別の理由で裏切った可能性がありますのね」

「ああ。その理由が分かるまでは、成金を近づけるべきじゃない」


シャルロットは少し考え、小さく頷く。


「分かりましたわ。では成金は別行動です」

「えぇっ!? 僕ちゃんだけ仲間外れですか!?」


さっきまで昼まで寝ていたいと言っていた成金は、別行動と聞いた瞬間だけ元気に抗議した。


「違う。お前には街で情報を集めてもらいたい」

「情報収集……?」

「お前は顔が広い。金持ち同士の噂話でも何でもいい。俺たちが追っている少女や、殺人事件の犯人について探ってくれ」


成金は腕を組み、得意げに鼻を鳴らす。


「ふっ、それなら僕ちゃんの出番ですね。任せてください! 金持ちの僕ちゃんにかかれば朝飯前ですよ」

「頼んだ」


こうして俺とシャルロットは警備隊長のもとへ、成金は街で情報収集へ向かうことになった。


――



宿を出て十分ほど歩くと、衛兵の駐屯地が見えてきた。


朝だというのに、中庭では数人の衛兵が訓練をしている。


その奥で椅子に座り、酒瓶を片手にしていた男が、俺たちを見るなり鼻で笑った。


「む、叶結にシャルロットか」


警備隊長は立ち上がり、胸を張る。


まだ朝だというのに、すでに出来上がった顔は茹でダコのように真っ赤だった。呂律の回っていない声で、俺たちを見下ろしてくる。


「優秀なこの俺が貴様らにチャンスを与えたというのに、なぜこんなところをうろついているのだ」


「実は、お話があります」


初めて会った時から分かっていたことだが、この警備隊長は無能だ。


なぜ警備隊に入れたのかすら謎な人物。それでも隊長という役職は、それなりの地位を持っている。


だからこそ、彼を仲間に引き入れられれば、あの少女を捕まえる大きな戦力になる。


方法は至って単純だった。


手柄を譲ること。


前回の会話で分かったが、彼は部下の手柄を自分のものにし、自分の失敗は部下へ押し付けるような人間だ。


だから「手柄が手に入る」と持ちかければ、きっと食いつく。


俺は自称マジシャンの存在だけは伏せたまま、警備隊長が何者かに命を狙われている可能性を説明した。


「もしこの情報が正しければ、今から罠を張って犯人を捕まえられると思います」

「ふん。俺を狙うだと?」


隊長は豪快に笑う。


「そんな命知らずがいるなら、返り討ちにしてやるだけだ!」


その態度には油断しかなかった。


それどころか、俺の話のほとんどを聞いていないようにすら思える。


……本当に大丈夫なのか。


一抹の不安を抱く俺をよそに、警備隊長は得意げに立ち上がった。


「おい、貴様ら集合だ! 今からこの俺が直々に犯人を捕まえる。ついて来い。何事にも証人は必要だからな」


そう言うと駐屯地の出口へ歩き始める。


隊長の怒鳴り声に、中庭で訓練していた衛兵たちが一斉に肩を落とした。


「また始まったぞ……」

「朝から酒飲んでるのに、指揮だけは一人前だからな」

「どうせ手柄は全部隊長のもの。失敗したら俺たちの責任だ」

「……黙れ。聞こえたら減給だ」


小声で愚痴をこぼしながらも、誰一人逆らえない。


隊長はそんな部下たちの様子など気にも留めず、胸を張って歩き出した。


その途中でも酒瓶を口へ運んだが、中身は空だったらしい。


舌打ちしながら瓶を後ろへ放り投げ、本来向かうはずの場所とは真逆の方向へ歩き出した。


慌てて後を追おうとした、その瞬間だった。


ヒュンッ――。


空気を裂く鋭い音。


次の瞬間、一本のナイフが警備隊長の頬をかすめ、そのまま地面へ突き刺さった。


「ひ、ひぃっ!?」


隊長は情けない悲鳴を上げ、その場で尻餅をつく。


恐怖のあまり股間がじわりと濡れ、酒臭いズボンに染みが広がっていった。


周囲の衛兵たちは思わず顔を見合わせる。


「た、隊長……」

「み、見るなぁぁ!!」


恥を誤魔化すように隊長は顔を真っ赤にし、怒鳴り散らした。


「誰だ! この俺を狙った愚か者は! 八つ裂きにしてやる!」


反射的に音のした方向を見る。


そこに立っていたのは、昨日シャルロットと激しい戦いを繰り広げた、あの少女だった。


「シャルロット!」

「分かりましたわ!」


狙いを外した少女は、即座に次の武器を取り出す。


だが、その時にはもうシャルロットが地面を蹴っていた。


バキッ!!


少女は標的を隊長からシャルロットへ切り替え、ナイフを投げ放つ。


しかしシャルロットは片手でそれを掴み、そのまま握り潰した。


砕けた刃が、無残な金属片となって足元へ落ちる。


「ふふふ、驚いたな。やあ、昨日ぶりだね。まさか邪魔されるとは思わなかったよ」


驚いたような口調とは裏腹に、少女の表情は妙に落ち着いていた。


まるで、俺たちがここへ来ることを最初から知っていたかのように。


「今日はまだ、その時ではなかったようだ」


それだけ言い残し、少女は大きく後方へ跳ぶ。


「待て!」


俺とシャルロットが、あの少女を追いかけた時には、その姿は消えていた。


「くそっ! なんだあいつは! 俺様の反撃にビビって逃げやがった!」


少女が姿を消すと、警備隊長は怒り狂った。


「今考えてもムカつく! おい、貴様ら! なぜ捕まえなかった! 貴様らが取り押さえていれば、今頃この俺様があいつを殺していたものを!」


隊長は部下たちに怒鳴り散らし、まるで癇癪を起こした子供のように剣を振り回す。そんな隊長の様子に、衛兵たちは互いに困った顔を見合わせる。


「体ばかり大きくて、子供みたいですわね……」


シャルロットも同じことを考えていたようで、呆れたように小さく呟いた。


「隊長、さっき尻餅を――」

「黙れぇ!」


隊長は顔を真っ赤にして怒鳴り返した。


「おい、何をしている! さっさとあの犯罪者を捕まえて俺の元へ連れて来い!」


そう叫ぶと、持っていた剣を乱暴に後ろへ放り投げた。


「危ないっ!」


剣は回転しながら一直線に飛び、偶然通りかかった一人の通行人の目の前をかすめて石畳へ突き刺さる。


あと一歩ずれていれば重傷は免れない。下手をすれば、命を落としていてもおかしくなかった。


「た、隊長! 何をやってるんですか!」

「うるさい!」


隊長は悪びれる様子もなく鼻を鳴らす。


「俺は酒を飲みに行く。貴様らはさっさと奴を探せ!」


責任だけを押し付けると、隊長はふらついた足取りで酒場の方へ去っていった。


残された衛兵たちは深いため息をつくことしかできなかった。


――



「ご、ごめんなさい……もう許してください……」


剣が飛んできた通行人は、その場にしゃがみ込み、震えながら何度も同じ言葉を繰り返していた。


ただ剣に驚いただけには見えない。先ほどの出来事は、怯えるきっかけの一つに過ぎず、それよりも深い何かに怯え続けている――そんな震え方だった。


「大丈――」

「あなた、大丈夫かしら?」


俺の声より先に、シャルロットが駆け寄る。


「だ、大丈夫……です。ごめんなさい……私が悪いんです……」

「何を言ってますの」


シャルロットは即座に否定した。


「あのクズが勝手に剣を投げたのでしょう? 悪いのはあなたではありませんわ。」


そう言うと、ぐっと拳を握って胸を張る。


「もしあなたを責める方がいるのなら、わたくしがぶん殴って差し上げますわ」

「ふふ….」


怯えていた通行人は、震えを隠そうとするように、ぎこちない笑顔を無理やり浮かべた。


「ありがとうございます。えっと……」

「あら、名乗るのが遅れましたわね。わたくしは探偵のシャルロットですわ。」


シャルロットは親指で俺を指した。


「それで、あっちが私の助手よ。叶結、こっちへ来なさい」

「その……大丈夫ですか?」


俺も急いで駆け寄り、通行人に声をかける。


「大丈夫……」


そう言って顔を上げた彼女は、俺を見るなり目を大きく見開いた。


「うそ……そんな……叶結くん?」

「えっ……」


見覚えのある茶色の髪、大きな眼鏡。


「もしかして……小春先輩?」

「な、なんで叶結くんがここに……? それに、西園寺会長まで……」


シャルロットも驚いたように小春先輩を見る。


「あなたは、叶結と一緒にいた灰音さんですの?」

「は、はい……そうです」

「……そう」


会話はそこで途切れてしまった。


当然と言えば当然だ。


夢でのシャルロットと、現実の西園寺夢依会長は別人と言ってもいいくらい、性格も口調も違う。俺は長い時間一緒に行動していたせいで、今さら取り繕うこともできない。


でも、小春先輩の登場は完全な事故だ。


いきなり夢の中で現実の知り合いと鉢合わせしたのだから、驚かずに冷静でいろという方が無理な話だった。


シャルロット――いや、西園寺夢依。


現実の姿と夢の姿。そのどちらが本当の彼女なのかは、彼女自身にしかわからない。


「えっと……その。本当に小春先輩なんですよね?」


この気まずい空気を変えようと一歩近づくと、小春先輩はびくっと肩を震わせた。


そして、みるみる頬を赤く染めていく。


「う、うん……そうだよ。叶結くん」

「顔、真っ赤ですけど……大丈夫ですか? さっきの剣でどこか怪我でも」

「う、ううん……大丈夫。それに……」


小春先輩は胸の前で両手をぎゅっと握り、小さく微笑んだ。


「叶結くんがいるから……もう、大丈夫」

「え?」

「……な、なんでもない」


消え入りそうな声だった。


聞き返しても、小春先輩は恥ずかしそうに首を横へ振るだけだった。


それでも、一つだけ確かなことがある。


小春先輩が無事で、本当に良かった。


いつの間にか俺にとって、小春先輩は大切な友人になっていた。


「もう! 細かい話は後ですわ! 夕方になってきましたし、一度宿へ戻りましょう。灰音さんも一緒に来なさい」


シャルロットがパンッと手を叩く。


いつもの自信に満ちた声に、張りつめていた空気が少しだけ和らいだ。


「は、はい……」


小春先輩は立ち上がろうとしたが、足に力が入らないのか小さくよろめいた。


「危ない」

「あっ……」


咄嗟にその細い手を支える。


小春先輩は驚いたように俺を見上げ、恥ずかしそうに目を伏せた。


「歩けますか?」

「う、うん……ごめんね」


手を離そうとした、その時だった。


小春先輩の指先が、ほんの少しだけ俺の袖を掴んだ。


「あ……」


自分でも気づいたらしく、慌てて手を離して顔を真っ赤にする。


「ご、ごめんなさい!」

「気にしなくて大丈夫ですよ」


その一言に、小春先輩はほっとしたように小さく息を吐き、照れくさそうに微笑んだ。


――



宿へ向かう帰り道。


シャルロットは先頭を歩き、俺と小春先輩は少し後ろを並んで歩いていた。


沈黙が続く。


俺から話しかけようとした時、小春先輩が恐る恐る口を開いた。


「あの……叶結くん」

「はい?」

「この夢……前から見てたの?」

「うん。たぶん何日も前から」

「そっか……」


小春先輩は俯いたまま、小さく笑う。


「私、一人だけだと思ってた」

「一人?」


小春先輩は俯いたまま、震える声で続けた。


「怖い夢を見るたびに……これは私の罪なんだって思ってたの」

「罪……?」

「夢の中だけでも安心したいのに、神様は私を苦しめようとしてるんだって……ずっと思ってた」


小春先輩は胸の前で両手を強く握り締める。


「『ごめんなさい』『許してください』って何度も何度も謝るの。それでも怖い夢は終わらなくて……ずっと、その繰り返しだった」


か細い声が途切れ、彼女は小さく息を吐いた。


「だから……私、一人だけなんだって思ってたの」


その声は震えていた。


「もう一人じゃないですよ」


そう言うと、小春先輩はゆっくり俺を見た。


「俺もいるし、シャル……夢依会長もいます」


少し前を歩くシャルロットが振り返る。


「叶結の言う通りよ。あなたは決して一人じゃない。少なくとも、これからは私たちがいるもの」

「……ありがとう」


その笑顔は、さっきよりも自然だった。


宿の扉を開けると、食堂の方から聞き覚えのある声が響いた。


「遅いですよー!」


成金が椅子の上に立ちながら、大げさに両手を広げる。


「僕ちゃん、一人で情報収集を頑張ったというのに! 仲良くお散歩ですか!」

「散歩じゃない」


俺が即座に否定すると、成金は頬を膨らませた。


「しかもなんですか、女の子が増えてる! どういうことです! 僕ちゃんでも、こんなに手は早くないですよ。さすが叶結の兄貴ですね!」

「今日から彼女は私たちの仲間よ」


成金を無視したまま階段へ向かおうとしていたシャルロットが、当然のように答える。


「相変わらずですね」


俺が苦笑すると、成金は口元をひくひくさせながら笑い、すぐにいつもの調子へ戻った。


そして小春先輩をじっと見つめ、にやりと笑う。


「なるほど! 歓迎しますよ、お嬢さん! 僕ちゃんはこのパーティーの財務担当です!」

「ざ、財務担当……?」

「勝手に名乗ってるだけだから気にしなくていい」

「ひどい!」


宿の中に、少しだけ笑い声が広がった。


そこから成金の自慢話が始まる。


そんな中、小春先輩はおずおずと俺の隣へ歩み寄り、小さな声で呟いた。


「……叶結くん」

「どうしました?」

「隣、いてもいい?」


俺は笑って頷く。


「もちろんです」


その返事を聞いた小春先輩は安心したように微笑み、俺のすぐ隣へ並んだ。


その笑顔は、思わず見惚れてしまうほど可愛かった。


俺は照れ隠しをするように視線を逸らし、成金の自慢話へ意識を向ける。


そうして、一日が過ぎていった。


――



夢依会長だけじゃない。


小春先輩まで、この夢を共有していた。


それに、今まで出会ってきた人たちも、ただの夢の住人とは思えないほど人間らしかった。


これまでも何度か抱いた違和感。これは、ただの夢じゃない。


そう確信するには、十分すぎた。


そういえば、悠斗も「最近、変な夢を見る」と言っていたな。


……もしかしたら、悠斗もこの夢を見ているのかもしれない。


「明日、聞いてみよう」


その決意を胸に抱いたまま、俺の意識はゆっくりと薄れていった。


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