遅れてきた勇者
俺はカールの家に帰ってきた。
『……あなた、誰なの? カールはどこにいるの?』
あの後、返す言葉が見つからず、その場を後にした。
主人公……いや、カールなら、セルフィを抱きしめることができたのか。
何もできなかった自分に、苛立ちが募る。
何か手はないのか。このままにはしておけない。
俺は頭の中で、カールに話しかけてみた。
(カール、お前は本当は、セルフィに縁談なんか受けてほしくないんだろ? 記憶が抜け落ちるほど、ショックだったんじゃないのか?)
もちろん、カールからの返事はなかった。
そのとき、ふとベッドに目が向いた。
俺がこの世界に転生し、最初に目を覚ましたベッドだ。あのとき、セルフィは看病に疲れ、ベッドに顔を伏せたまま眠っていた。
それから何度もここで寝ている。何もないはずだが……。
シーツをめくってみるが、何も出てこない。ベッドの隙間も調べてみたが、やはり何もなかった。
それでも、なぜか気になる。
ベッドの端から身を乗り出し、下を覗き込むと、小さな木箱が見えた。
ベッドの下に潜り込み、少し埃がついた木箱を拾い上げ、埃を拭う。
蓋を開けると、中には指輪が入っていた。
高そうには見えない、ごく普通の指輪だった。だが、その内側には、自分で彫ったような歪んだ文字で「セルフィ」と刻まれていた。
これは……カールがセルフィに贈ろうとしたものなのか?
俺はもう一度、カールに語りかけてみた。
(この指輪は、お前がセルフィに贈るつもりだったのか?)
やっぱり返事はないか。
そう諦めかけた、そのときだった。
「ぐああっ!」
突然、頭の中にカールの記憶が流れ込んできた。
セルフィのために少しずつお金を貯め、街の店で指輪の値段と手持ちのお金を見比べているカール。
その表情は、どこか嬉しそうだった。
俺は自分が涙を流していることにも気づかず、カールの記憶を追体験していた。
木箱を作っている最中に指を切り、セルフィに手当てをしてもらったこと。
心配そうに自分を見つめるセルフィ。その顔を気まずそうに見返す自分。手当てをしてくれた指先の温もりまで、まるで自分自身の記憶のように感じられた。
何気ないその時間が、愛おしくてたまらなかった。
ようやく指輪を買えたときには、飛び上がるほど俺は喜んでいた。そして、指輪の内側にセルフィの名前を彫っているときも、また指先を切っていた。
それでも、カールの心は弾んでいた。
二週間後には、セルフィの誕生日がある。
その日に指輪を渡そうと、カールは胸を躍らせながら、木箱に入れた指輪をベッドの下へ隠した。
その日の晩、セルフィがいつものように売れ残りのパンを持ってきた。
だが、その表情はいつもより沈んでいた。
いつもなら、店での出来事や、その日に焼いたパンの出来を嬉しそうに話してくれる。けれど、その日のセルフィは違った。
「カール、私ね、縁談を申し込まれたの。私は嫌なんだけど、父は相手が貴族だからって、張り切っちゃって大変なんだ」
カールは内心、すぐにでも止めたいと思っていた。だが、自分の生い立ちや貧しい暮らしが、その言葉を遮っていた。
「……セルフィは、どうしたいのさ」
今のカールには、それを聞くのが精一杯だった。
「カール、あなたはどうしてほしい? 誕生日まで待つから、それまでに答えを聞かせてくれる?」
セルフィはそう言うと、片手で顔を覆い、俯きながら帰っていった。
「……セルフィが幸せなら、それが一番だ」
そう呟いたカールの目から、涙が溢れた。ぽたり、ぽたりと、床を濡らしていく。
ほとんど眠れなかったカールは、意を決してダンジョンの前に立っていた。
(もっと下の階へ行って、稼いでみせる。セルフィ、待っててくれ)
そこで、記憶が途切れた。
俺はようやく、自分が涙を流していることに気づいた。
涙を拭い、静かに目を閉じる。
そうか……誰にも見られたくなかったんだな。
カール、お前にとって、それほど大切な思い出だったんだな。お前の気持ちが、俺の心を締めつけている。何とかしてやるから、待っていろ。
もう一度、指輪を見つめてから、カールのステータスを呼び出した。
魂の導き……あれに何かあるはずだ。
【カール】【種族 ――】
【レベル 10】
【職業 死者】
【スキル】【魂の導き】
よく見ると、『魂の導き』だけが独立しているように見える。
試しに押してみると、目の前が光に包まれた。
優しく、温かい光だった。
そのとき、頭の中に誰かの声が響いてきた。
聞いたことのある声……カールだった。
「僕はやっぱり死んでしまったんだね。君は僕の体と記憶を引き継いでいるみたいだ。羨ましい……いや、最初は妬ましいとさえ思った」
カールは少し間を置いて、話を続けた。
「だけど、死んだはずの僕は、なぜかずっと君のことを見ていたんだ。ダンジョンでの君、砦で見せた勇気、そしてセルフィに対する君の態度を」
「当たり前のことをしただけだ。褒めてもらう為じゃない」
「そんな優しい君を、僕は見てきたんだ」
「俺はそんなに優しくないぞ。実際にはな」
「あはは、そういうところが君の優しさなんだね」
「まあ、そういうことにしておいてやるよ」
カールは小さく笑ったあと、静かに言った。
「君に、最初で最後の頼みがある。体の恩があるだろ? 聞いてほしい」
「お前とセルフィとの記憶は見た。俺にできることなら聞いてやる」
「セルフィに『お幸せに』って伝えて……いや、僕の代わりに話してほしい。簡単だろ?」
「お前は本当にそれでいいのか? 聞き分けが良すぎるだろ」
「いいわけないだろ!」
突然、カールの声が大きくなった。
「本当は行かないでほしいに決まってるじゃないか! でも、もう無理なんだ。分かるだろ?」
「分かるさ。お前の記憶を見たんだ。分かるに決まってるだろ」
俺は手の中の指輪を強く握りしめた。
「恩があるって言っただろ?」
「……うん」
「その恩返しでやる。この体を使って、最後の思いをぶちまけろ!」
しばらく、カールから返事はなかった。
やがて、穏やかな声が聞こえてきた。
「だから言っただろ。君は優しいって。セルフィの前でも、僕とセルフィ、二人に気を使って話してくれていたんだからね。だから僕は君を憎めなくなった」
「この物語はカールとセルフィの物語だ。カール、お前が主役だ。男なら勇気を持ってセルフィに伝えてこい」
「……ありがとう、翔太。僕の体を使う人が、君でよかった」
翔太の体が暖かい光りに包まれ始めた。
*
セルフィは、なぜカールにあんなことを言ってしまったのか、自分でも不思議に思っていた。
姿も、声も、仕草も、間違いなくカールだった。
ただ、自分を見つめる瞳の奥だけが、以前のカールとは違って見えた。
三日間も寝込んでいた、あの日から。
最初は体調のせいだと思っていた。けれど、胸の奥に引っかかる違和感は、ずっと消えなかった。
そして、さっき目を見たとき、その違和感の正体が分かった気がした。
そのとき、遠くから馬車の近づいてくる音が聞こえた。
*
『魂の導き』が発動すると、俺の意識が身体の奥へと引き込まれていった。
不思議な感覚だった。
目の前の景色は見えている。周囲の音も聞こえる。だが、自分の意思で身体を動かすことができない。
代わりに、カールが身体を動かしていた。
(翔太……本当にいいのかい?)
(ああ。俺のことは気にするな。時間が限られているんだろ? 自分の思いを精一杯伝えてこい)
(……ありがとう、翔太。今度こそ、自分に素直になって、セルフィに気持ちを伝えてくるよ)
カールがゆっくりと歩き始めた。
俺はその景色を、ただ見守っていた。
*
沈みかけた夕陽が、辺りを淡い赤に染めている。
僕はセルフィの家の前に立っていた。もうこの気持ちを抑えられない。胸の高鳴を抑えられない。
セルフィを呼び出すと、彼女は俯きながら出てきた。
「……カール?」
セルフィは顔を上げ、何かを確かめるように僕の瞳をじっと見つめる。その目は赤く腫れていた。
「……本当のカールね。どうしたの、こんな時間に。いつもは私がそっちに行く時間じゃないのに」
「セルフィ、ちょっといいかな。歩きながら、あの公園に行こう」
セルフィは赤く腫れた目を隠すように俯き、こくんと頷いた。
そして、永遠に公園へ着かなければいいと願っているかのように、ゆっくりと歩き始めた。
「私ったら、おかしなこと言っちゃったね。カールに『あなたは誰?』なんて」
「……あはは。セルフィはいつまでも心配性だね。ダンジョンに行った日は、怪我がないか必ず見に来てくれてたからね」
「だって、カールは昔から無茶ばっかりするんだもん」
セルフィは小さく笑った。
「小さいときは、あの公園でよく遊んだね。マッケンも一緒に」
「ああ、そうだったね」
「あのときのこと、まだ覚えてる?」
「……忘れるわけないだろ」
「そっか。そうだよね。カールは私の勇者だもんね」
「野犬に襲われそうになったセルフィを助けただけだろ」
セルフィは寂しそうに呟いた。
「……カールにとっては、それだけなんだね」
「違うよ」
思わず口をついて出た言葉に、セルフィが顔を上げた。
今でも胸の内に残っている。あの日の思いが、そのまま言葉になっていた。
「僕が、いつでもお前を助けてやるって言ったことだろ」
言い終えると、急に恥ずかしくなって顔を背けた。
セルフィはしばらく僕を見つめていたが、やがて小さく微笑んだ。
公園に着くと、彼女は幼い頃のように駆け出した。
そして足を止め、夕陽に染まる空をじっと見つめた。
僕はゆっくりと追いつき、背を向けたままのセルフィの横から、指輪の入った木箱をそっと彼女に差し出した。
「セルフィ、君に渡したいものがあるんだ。……もう渡せないと思っていたけど、僕の本当の気持ちを伝えたい」
セルフィはゆっくりと振り向き、開かれた木箱の中を見つめた。
「……なんで……」
次の瞬間、これまで聞いたこともないような叫び声が、公園に響き渡った。
「なんでっ! 今日なの! 昨日じゃないの!」
セルフィは両手で顔を覆い、泣き叫んだ。
僕は木箱から指輪を取り出すと、泣きじゃくるセルフィを力強く抱きしめた。
「勇者になるのが遅かった。勇気が出なかった。それが余計に君を傷つけているとも知らずに……」
「遅いよ……カール。遅いんだよぉ……!」
「カールが来るちょっと前に、縁談の相手が来たの……。私、返事をしたんだよ。相手は貴族なんだよ……」
「カールは、私の勇者なんだもん。だったら、もっと早く助けに来てよ……!」
「遅れてくる勇者は、カッコ悪いな。君を傷つけ続けてしまった」
僕は、指輪を握っている手を開き、セルフィの手を強く握りしめた。
その拍子に、指輪が手から滑り落ちた。
「あっ……カール。その指輪、もらってもいい?」
「当たり前だろ。セルフィのために用意したものだから」
僕は少し屈んで足元に落ちた指輪を拾い上げ、セルフィを見上げた。
彼女は右手で涙をぬぐいながら、僕の前に左手の薬指を差し出していた。
僕は指輪を持ち、ゆっくりとセルフィの薬指にはめた。
セルフィは口元を緩め、左手を少し持ち上げた。夕陽を受けた指輪を、じっと見つめている。
「……あっ、今ちょっと見えちゃった。私の名前、彫ってくれてたんだ」
「うん。覚えてる? 僕が指を切って、セルフィに手当てしてもらったこと」
「うん。覚えてるよ」
「あのときは、この指輪を入れる木箱を作っていたんだ。名前を彫るときにも、また指を切っちゃったけどね」
セルフィは小さく笑った。
そして、もう一度指輪を見つめた。
セルフィの嬉しそうな顔見つめた。僕はあの日言えなかったことを伝えたい。
「セルフィ、君にもう一つ伝えたいことがあるんだ」
「……なあに?」
「もし僕が、この街を出て旅に出ると言ったら……ついてきてくれるかい?」
セルフィは左手の指輪を見つめ、小さく微笑んだ。
「この指輪のおかげかな……。今なら、何もかも捨ててついていける。カールと一緒なら」
僕は真剣な眼差しでセルフィを見つめ、その手を強く握りしめた。
僕の最初で最後のわがまま。
「……その言葉が聞けてよかった」
「カール……?」
「もう、心残りはないよ。これが僕の最後のわがままだったんだ」
カールは胸が締めつけられる。涙が溢れ出した。
伝えないといけない僕自身でこれが最後だから。
「だ....だけどセルフィには、またつらい思いをさせてしまうね」
*
私はカールの顔を見つめた。
顔から、すっと血の気が引いていく。
最後のわがまま。もう心残りはない。二つの言葉の意味。そして、自分で言ってしまったあの言葉。
『……あなた、誰なの? カールはどこにいるの?』
頭が真っ白になった。叫ばなければ気が狂いそうだった。
そして、いつのまにか叫んでいた。
「……いや」
「いや……いや、いやっ!」
カールの手を握り返し、必死に首を振った。
涙が飛び散っていく。
こんなの受け入れられない。指輪なんかいらない。カールが必要なのだから。
「嘘……こんなの嘘だよ! だって、カールは目の前にいるんだから!」
「セルフィ、聞いてくれ。僕が毒に侵されて、君に看病してもらっていたとき……僕は、あのとき死んだんだ」
「……何を言ってるの、カール?」
私は首を横に振った。
ほら、あなたは温かい。こんな冗談私は許さない。
「だって……あなたの手、こんなに温かいんだよ。 それに身体だって!」
カールの頬に手を添えた。
そして、そっと唇を重ねた。
初めての相手がカールでよかった。だけど、こんなのないよ。だから、怒らないから嘘と言ってお願い。
しばらくして唇を離すと、そのまま僕の胸に顔を埋めた。
「……ほら、唇だって温かい」
私は声を絞り出しながら懇願した。
「そんなことないって言ってよ……」
セルフィは僕の服をぎゅっと握りしめた。
「私の勇者は……死なないよ……」
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