後日談:それでも続いていく
季節は、巡る。
あれから幾度かの春が過ぎた。
王都は変わらず賑わい。
国は安定し。
人々は日々を生きている。
すべては、順調だった。
――表向きは。
「殿下、本日の議題ですが」
「ああ」
淡々と応じる声。
かつてと同じようでいて。
どこか、違う。
王太子としての務めは、完璧に果たされている。
判断も、決断も、誤りはない。
むしろ以前よりも、迷いが少ないとさえ言われていた。
だが。
(……迷わなくなったのではない)
迷う必要が、なくなっただけだ。
選ぶべきものは、最初から決まっている。
国。
責務。
役割。
その中に。
“個人としての願い”は、もう存在しない。
それでいい。
それが正しい。
そう理解している。
理解してしまったからこそ。
もう、揺れない。
「――以上です」
「承知した」
会議が終わる。
人が去る。
静けさが戻る。
ふと。
机の端に、視線が落ちる。
何も置かれていない空間。
今では、それが“普通”になっている。
(……ああ)
もう、違和感はない。
慣れてしまった。
空白に。
何もないことに。
それが当たり前になってしまった。
それでも。
完全に消えることはない。
記憶は。
感情は。
ただ、表に出てこないだけで。
静かに、沈んでいる。
――もう浮かび上がることはないまま。
その頃。
遠く離れた領地では。
「今年も、よく育っておりますね」
穏やかな声が、庭に響いていた。
陽の光の中。
彼女は、変わらずそこにいる。
けれど。
かつてとは違う日々。
誰かの婚約者でもなく。
誰かに守られる存在でもなく。
ただ、自分として生きる日々。
「皆さまのおかげです」
周囲の者たちが、自然に笑う。
そこには、無理がない。
遠慮もない。
ただ、信頼がある。
静かで。
穏やかで。
満ちている。
あの日、王太子が感じた通りに。
欠けているものなど、最初からなかったかのように。
彼女は、そこに根を下ろしている。
「お嬢様」
侍女が、そっと声をかける。
「王都から、便りが」
差し出された封書。
彼女は一瞬だけ、それを見つめた。
だが。
「……机に置いておいてください」
受け取ることはなかった。
声は、穏やかなまま。
表情も、変わらない。
ただ。
それ以上、触れないという選択。
それだけ。
「かしこまりました」
侍女は何も言わず、下がる。
それが、この場所の在り方。
踏み込みすぎない優しさ。
彼女が築いた距離。
やがて。
夕暮れが訪れる。
空が、ゆっくりと色を変えていく。
その中で。
彼女は一人、立っていた。
風が、髪を揺らす。
静かな時間。
何も欠けていない時間。
それでも。
ほんの一瞬だけ。
遠くを見るような目をした。
王都の方角へ。
何かを思い出すように。
けれど。
すぐに、その視線は戻る。
今いる場所へ。
今ある日常へ。
それが、彼女の選択だから。
「……明日も、忙しくなりそうですね」
小さく呟き、微笑む。
その微笑みは。
誰かに向けたものではなく。
ただ、自分のためのもの。
あの日、王太子が見たものと同じ。
完成された、静かな笑顔。
そして。
物語は、終わっていない。
ただ。
二人の道が、二度と交わらないまま――
それぞれの場所で、続いていくだけ。
それが。
選ばれた結末。




