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Tシャツ問題も治まった頃、茉理の耳に気になるうわさ話が入った。
話を持ってきたのは奈々ではなく、意外にもそういうことにあまり興味なさそうな隣のクラスの祥子だった。
「後野さん、知ってる?」
わざわざ昼休み、一緒に食べましょうとお弁当を持って茉理のクラスに来て、声を潜めて教えてくれる。
「校内にね、嫌なうわさが飛び交ってるの」
「うわさ?」
「そう。奈々も聞いてはいるでしょ」
横で箸を動かす彼女に、祥子は顔を向けた。
「聞いてはいるけど、茉理は関係ないじゃない。わざわざ教えることもないかと思って」
奈々はさらっと流す。
茉理は意外な彼女の反応に目を丸くした。
いつもならこの手の情報にとても関心があって、すぐ茉理にあることないこと教えにくるのは奈々なのに。
嫌な予感が、ちらりと胸によぎる。
二学期が始まってからずっと感じていた、漠然とした不安のようなもの。
何をどうとは言えないが、何かドロドロしたものに学校全体が包まれているような気がしてならなかった。
これは感じるもので、具体的に目に見えるものではないから説明のしようがない。
(ただ感じるというだけでは、それがあることの証明にはならない)
そのことが何故か茉理は苦しかった。
現実それが正しいのだ。
この世界では、目に見えるものがすべて。
見えないもの、科学的に証明出来ないものはないのと同じ。
(そのことを辛い、苦しいと感じるのは何でかな)
自分が何故こんなにもどかしい気持ちになるのかわからないが、時々彼女はこの世界では自分は異分子なのではないかという想いになった。
(こんな感覚はいけないよね。精神病……とかなのかな)
もっとポジティブに生きないと、と感情を切り替え、茉理は祥子の言葉に耳を傾ける。
遠慮がちに祥子は言った。
「先輩たちがうわさしてるんだけど、今年の体育祭は変な感じなんだって」
「変な感じ?」
「体育祭実行委員長の事よ。あの藤昇先輩」
奈々はウインナーをほおばりながら話に入ってくる。
「なんでも毎年体育祭実行委員長は生徒会長が務めてたの。実行委員も生徒会役員が兼任して、生徒会が表立って采配をふるっていたのよ」
「でも今年は突然生徒会長の帝様じゃなくて、藤先輩が抜擢されたでしょう。実行委員会の役員も全部藤先輩が声をかけた人たちばかり。生徒会が全く関与してないのよ」
祥子は少し顔を歪めて、更に声を低くした。
「とても嫌な話だけど、藤先輩って帝様の実の従兄弟だってうわさがあるの。それもかなり信憑性の高い話で」
「従兄弟?」
茉理は驚いて声をあげてしまう。
しーっと祥子は人差し指を口に当てて、クラスの中をちらりと見回した。
この手の話は、確かにタブーなのかもしれない。
クラスメイトたちが二、三人すっと目をそらす。
茉理も声をひそめて祥子に聞いた。
「従兄弟ってどういうこと? 帝先輩の従兄弟は雅人先輩と遠野君だけよね」
「実際は違うの。もっとたくさんいるって噂よ」
表向きに公表されてないだけで、と祥子は付け加える。
「伊集院本家の当主は代々複数の愛人を持つんですって。そして子孫をたくさん作ってる。ちゃんと理由はあるみたいだけど、有力魔族でもないとそこのところはわからないわ」
「あ、愛人……」
「帝様が1年の時から女子を選んで交際してるでしょ、1年限定で。あれってそのための予行練習みたいなものだって話よ」
奈々がため息まじりに教えてくれた。
「今年はあんたに白羽の矢が立ったけどね。でもわたしだったら1年でもいいわ、その間だけでもお姫様になりたい」
奈々の問題発言に、茉理は思わず睨んでしまう。
冗談よ、と笑いながら奈々は軽く返してきた。
「学校の理事の一人に藤家の現当主藤ゆり子様という人がいるんだけど、藤先輩はその人のお孫さんでね。このゆり子様が実は若い頃、今の伊集院財閥総帥 伊集院雷導様の愛人だったっていうのよ」
祥子の言葉に、奈々はぐさっとお弁当の中の卵焼きに箸を突き刺す。
「あくまでもうわさよ。公式に認められてはいないから、そんなに気にすることないと思うけど」
「でも」
「もうこの話はここまで。終わりよ終わり。もっと別な話しようよ」
奈々は強引に打ち切って、自分の受け持っている応援団の先輩の事とか別な話題を口にした。
何気に茉理の事を気遣ってくれているようだ。
だが彼女の気遣いはありがたいが、茉理は今聞いてしまった話が耳から離れない。
(藤先輩が、帝先輩の従兄弟か)
ありえない話ではないだろう。
お金持ちの財閥の総帥なら、愛人の一人や二人持つかもしれない。
小説やマンガ、ドラマなどでもよくある話だ。
(帝先輩も、いずれそうなるのかな)
彼も家を継ぐ身だ。
総帥になったら家のために複数の女の人とお付き合いすることになるのだろう。
そっと胸を押さえた。
あのペンダントをぐっと握り締める。
白い石が温かく感じられ、彼女は更に強く石を握った。
『……大丈夫』
ふいに心の内で声がする。
『――大丈夫だから。あの人はあなたを捨てたりしない』
温かく強い想い。
『――私達の絆は消えない。時を越えて、時空を越えて、世界を超えても絶対に』
(何だろう)
茉理はふっと思った。
当たり前のように、自然に心の内にあるこの想いは。
自信に満ちて、確信にあふれ、脈打ち消えることのないこの熱い感情は。
(トノアさん?)
彼女はふいに気がつく。
(そういえばトノアさんからわたしは……)
突然帝と一緒に飛ばされた異世界ユーフォリア。
そこで出会った聖魔巫女トノア。
彼女から茉理は記憶を渡された。
いずれ必要になったら目覚めるから、それまで封印すると言われたのだ。
「茉理、茉理ってば、どうしたの」
奈々の声に、彼女ははっとする。
「随分ぼうっとしてたけど、具合でも悪いの?」
「う、ううん。大丈夫」
茉理はあわてて否定すると、全然減っていなかったお弁当の中身を口に入れた。
「じゃわたしは行くわ」
さっさとお弁当を食べ終えた奈々は席を立つ。
これから応援合戦の練習だ。
「がんばってね。今日はどこでするの?」
「屋上だよ。じゃあね」
明るい声で出て行く奈々に、茉理と祥子はいってらっしゃいと手を振った。
そのあと二人で向かい合って、昼食の続きを取る。
「ごめんね、変な話をして」
祥子にあやまられ、茉理は大丈夫と笑ってみせた。
「ちょっと衝撃だったけどね。でもそっか。帝先輩と藤先輩って従兄弟なんだ」
「藤先輩のお父さんが、帝先輩のお父さんと異母兄弟っていうことになるの」
(帝先輩のお父さんか)
茉理は祥子に聞いてみる。
「ねえ、もし知ってるなら教えて欲しいんだけど、帝先輩のお父さんってどんな人かな。やっぱり伊集院財閥の会社のえらい人なの?」
祥子はまた声を潜めて答えた。
「詳しくは知らないけど、噂では現総帥の雷導様と親子げんかして家を飛び出したそうよ。帝様を捨てて」
「えっ」
「だから帝様は雷導様が選んだ教育係に育てられたって言われてるの。お父さんはおろか、お父さんと喧嘩したおじいさんの雷導様とも会った事がないって話よ」
「そうだったんだ」
茉理はどこか家というには温かみのない伊集院本家の豪邸を思い出す。
(家の連中に紹介するって言われたけど、それは家でお仕事してる人たちだった)
家族と呼べる人とは会ったことがない。
「お金持ちで生活に不自由はないけれど、別な意味で大変だと思うわ、帝様も」
「そうだね」
茉理は祥子のしんみりとした言葉に同意した。
「でね、さっきの話の続きになっちゃうんだけど」
遠慮がちに祥子は続ける。
「奈々はああ言ってたけど、わたしは後野さんが知ってた方がいいと思う。帝様の彼女なら、もしかして巻き込まれるかもしれないし」
嫌ならやめるけど、とつぶやく祥子に茉理は意思の強い目を向けた。
「大丈夫。話して」
ここまで聞いて、うやむやにされる方が嫌だ。
「藤先輩が突然実行委員長に指名されたのって、理事である祖母の藤ゆり子様の強い後押しがあったんじゃないかって言われてるのよ。あの方ね、魔族の中でも伊集院家に次ぐ勢力を持ってるっていつも一族の事を自慢してて、あんまり評判の良い人じゃないのよね」
「伊集院家に次ぐ勢力なんだ」
「有力魔族であることは間違いないわ。あと芸術方面に強い関心をお持ちで、特に歌劇がお好きだとか」
「かげき?」
「ミュージカルとかオベラとか。ご自分で未婚の女性だけで構成された歌劇団を設立して、そこの理事長もされてるの。有名よ」
「そうなんだ」
あまり舞台を見に行った事はなかったので、有名だと言われても茉理はいまいちピンとこなかった。
「でもどうして体育祭実行委員長を孫にさせたかったのかな」
首をかしげる彼女に、祥子がここからが嫌なうわさの本題なの、と言って話を続ける。
「体育祭では父兄だけじゃなくて、魔族の有力者や高名な家の代表が招待されるの。その人たちに藤先輩が有能で帝様よりも伊集院財閥の後取りにふさわしいってアピールする為だって言われてるわ」
「なっ、何でそんな」
茉理は思いもかけない噂の本題に驚いた。
「つまりこれは伊集院家の跡目争い。藤先輩が体育祭実行委員長として体育祭を見事に成功させれば、帝様より藤先輩の方が優秀かもしれないって魔族の人たちにアピール出来るでしょ。そのためよ」
「……」
茉理は何の言葉も返せなかった。
ずっと帝の立場はゆるぎないものと思っていたので、これはこれで衝撃だ。
(でも、じゃあ帝先輩はどうなるの? もし跡目争いで藤先輩に負けちゃったら)
彼女の心に苦いものが走る。
彼がずっと本家跡取りとしてひどい教育を受け、本来の自分自身を閉じ込めて生きている事を知っている。
家のためにといつも最大限の努力をしている彼は、一体どうなるというのだろう。
(他に有力な人がいるというなら、どうして……帝先輩の今までの努力って何のためなのよ)
茉理の中に言いようのない苛立ちが怒る。
(他に後継ぎ候補がたくさんいるなら、何も帝先輩一人があんな風に苦労しなくたって良かったじゃない)
彼しかいない、そう決まっているからこその努力と苦労だと思っていたのに。
顔色を変えて身を震わせる彼女を見て、祥子はあわてた。
「ごめんね、後野さん。嫌な話だったよね」
「……大丈夫。話してくれてありがとう」
茉理は祥子の心配そうな顔に、無理やり笑顔を作る。
「きっと帝様は大丈夫よ。それに藤先輩がいくらがんばっても、帝様にはあの人たちがついてるわ」
祥子は励ますように明るく言った。
「あの人たち?」
「雅人様と直樹様よ。3年のあのお二人が帝様の味方なのは有名じゃない。それに二人とも伊集院家の分家代表だし、すごく魔力もあって強いそうよ。藤先輩がどんなにがんばっても、旗取り合戦ではあのお二人にかないっこないって」
「そっか。そうだよね」
茉理は思い出した。
三年生最後の種目、旗取り合戦。
これに優勝することは大変な名誉だと雅人が言っていたではないか。
(大丈夫。雅人先輩と直樹先輩は負けたりしない)
彼ら二人の強さは、以前見て知っている。
帝を含め、茉理には三人はまさに無敵の強さに見えた。
少しほっとして、彼女はお弁当を食べることに集中する。
一緒に持ってきたお茶のペットボトルを最後に飲み干したとき、丁度昼休み終了のチャイムが鳴った。




