終章
そこは小さな電灯が一つ灯るだけの、薄暗い部屋だった。
窓辺には白いカーテンがゆれている。
その隙間から細い下弦の月が見えた。
部屋には少女が一人、身を震わせて立っている。
黒く長い髪は綺麗な巻き毛になっており、背中の中ほどまでを覆っていた。
いつもは整った目鼻立ちを際立たせる薄い化粧をし、ブランド物のワンピースや着物などで美しく装うのだが、今は簡素なブラウスとスカートである。
祈るように両手を組み合わせ、彼女はじっと待ち続けた。
一刻の後、廊下を歩く足音がして、部屋の扉が開く。
「お待たせしました」
入ってきたのは黒い執事の着るスーツに身を包んだ長身の男。
彼の姿が見えるなり、少女は彼の胸にすがりつく。
「ああ、もうどうしたらいいのでしょう」
彼女は男の腕の中で、激しく泣きじゃくった。
「家はもうめちゃくちゃです。どうしてこんなことに……」
「落ち着いてください、咲子様」
男は優しく彼女の背中を撫でて、興奮した少女を宥める。
しかし咲子と呼ばれた少女の嘆きは止まりそうになかった。
「お父様が怖いお顔でやってきて、わたくしをおじいさまのお住まいから家に連れてきました。そして自分の部屋から一歩も出てはいけないと仰って、とてもお怒りで」
「そうでしたか」
「ゆり子お婆様は、お屋敷の一室に閉じ込められています。お父様がお婆様を監禁して、お部屋に鍵と魔法無効化の結界を張ってしまわれました。お婆様はご高齢のため、藤家当主を引退するそうです」
「確かにもう身を引いても良いお歳ですね」
「でもお婆様はまだお元気ですわ。ものすごく暴れて魔法を連発して大変だったのです」
「そうでしょうね」
「お兄様は藤家を出て他家へ養子に行くようにと、お父様から言い渡されてしまいました。どうしてですの?」
咲子は叫ぶ。
「わたしはあなたの言う通りにしましたわ。お婆様だって……なのに何故藤家は、こんな苦しい立場に追いやられますの? 一体何がいけなかったというんです。お兄様は旗取り合戦で優勝、E組だって総合優勝しました。お兄様が勝ちさえすれば、帝様ではなくお兄様がおじいさまの後継者になれるのではなかったのですか」
「……」
男はしばし無言になった。
咲子は泣きながら、彼に訴える。
「なんとかして。あなたの言う通りにしたのよ。おじいさまなんか嫌いだったけど、一生懸命笑顔を作って好かれる努力をして……本当は嫌だったのに。お婆様だってすごく喜んで褒めてくださったから頑張って気に入られるようにしたのに。どうしてお兄様は家から追い出されて、わたしは謹慎。お婆様も一生どこかの療養所で過ごさないといけないって、お父様が言ってらした」
「それは大変ですね」
「そう、大変なのよ。あなたの言う通りにしたのに、上手くいかなかった。ねえ、もう一度藤家が魔族の頂点に立てるようにして。あなたなら出来るでしょ」
「難しいですね」
男は苦渋の表情を見せる。
「いかにわたしでも、こうなってしまっては打つ手がありません。分家すべてを敵にまわしては、今の本家に勝ち目はないのです。わかってください」
「嫌っ、わかるわけないでしょう。わたしは今まで何のために我慢して、嫌な思いをしてやってきたの。家のため、お兄様のためだって言うから言う通りにしてきたのに、その結果が謹慎なんてあんまりよ」
少女は絶望の涙を流す。
本当はわかっていた。
もうどうしようもないことを。
自分が雷導におねだりしたことは、良くないことだ。
わざと分家の二人に負けてもらって、兄を勝たせるなど。
それでも必ず上手く行くと、目の前の男は言ったのだ。
雷導の意思があれば、誰も逆らえないと。
「咲子様」
男は改まって、彼女の目を覗き込む。
「お可哀想に。あんなに家のために尽くしてこられたのに、貴方のお父様の仕打ちはむごい。一生家から出してもらえないかもしれませんね」
「そんな……」
「今や貴方は魔族の社会では、雷導様に色仕掛けで取り入って好き勝手する悪女と成り果てました。まともな縁談も来ないでしょう。将来はあきらめるしかないかと思われます」
「嫌よ、そんなの嫌っ」
激昂する彼女に、男はそっとささやいた。
「一つだけ方法があります。貴方自身をこの苦しみから救う方法が」
「えっ」
咲子は顔を上げる。
「そんな事出来るの?」
「藤家を救うことは出来ません。でも落ちていく藤家から貴方一人なら助けられるかもしれない」
男は優しく微笑んだ。
「このままではあなたは一生悪女として、家に監禁されて過ごさないといけないでしょう。理不尽だと思いませんか」
「もちろんそう思うわ」
咲子はうなずく。
「自由が欲しいでしょう。ならば一つだけ手があります」
男は更に甘い表情で、彼女を誘惑した。
「藤家とは縁を切り、わたしのものになりなさい、咲子様。わたしがあなたを守ってあげる」
「あなたの、ものに?」
思いもかけないことを言われ、咲子は目を見開く。
「そうですよ。わたしの側にいれば、誰もあなたに手を出すことはありません。わたしの力は一族の誰もが認めるところです。雷導様からもお許しをいただいています。貴方はあの方の可愛い孫娘。このまま滅びる家と運命を共にする必要はないと」
「そうなの?」
「ええ。あなたも来年は15歳。成人です。わたしのものになるという意味が、どういうことかおわかりですね」
「……わかりました」
咲子は薄暗がりの電灯の下、男に向かって微笑んでみせる。
「あなたのものになります」
「よろしいのですね。ではあなたの覚悟をお見せください」
男の言葉に、咲子は顔を上げて目を閉じた。
体は震えがとまらない。でも必死に彼女は自分を制しようとする。
「ふふっ……よろしい。咲子様、あなたは今日からわたしのものです。永遠にわたしのパートナーとして愛してあげましょう」
男は満足そうに笑うと、彼女を引き寄せて唇を重ねた。
最初はぎこちないものだったが、徐々に深く強くキスをされ、咲子の体が熱くなる。
しばらく少女の唇を堪能していた男は、彼女のブラウスのボタンに手をかけた。
咲子は情熱的な口付けの余波からぐったりとして、彼のなすがままに身をまかせる。
第一ボタンと第二ボタンがはずされ、白い首筋とむき出しの肩が晒された。
男は首筋に長い指を這わせると、次に優しく首と肩の付け根にキスをする。
(ああ……)
初めての経験に、咲子は酔いしれた。
目を閉じ、男から与えられる唇の愛撫を感じ、女として愛される幸福に満たされる。
だが次の瞬間。
「あああっ」
ぐっと激しい痛みが、彼女を襲った。
男が咲子の白い首筋に噛み付いたのだ。
体を強く押さえつけられ、突きたてられた男の歯から逃れようとしても逃げられない。
(な、何……)
男はしっかりと咲子を抑え、更に深く歯をめり込ませた。
(これは、歯なの?)
咲子の首筋を男は音を立てて吸い上げる。
熱い何かがそこから抜けて、男の喉に流れ込んだ。
(嘘……まさか血を)
咲子は目を見開く。
男は彼女の首筋に噛み付き、そこから血を吸っているのだ。
頭の中が徐々にぼーっとしてくる。
思考が曖昧になって、何がなんだかわからなくなっていった。
(ああ……なんだかとても体中が熱い)
咲子は、全身で体の変化を感じる。
先程までとは違う、全細胞が脈動して変化していた。
そして熱い体のほてりと共に、黒い瞳が真っ赤に染まる。
(わたしは……わたしは)
男は咲子を離し、そっと耳元でささやいた。
「咲子様、どうですか。先程よりずっと気分がいいでしょう?」
「はい」
おぼろげな思考で咲子は答える。
もう自分はこの男のもの。
彼こそは我が主人。
「主様、とても気分がいい……です」
「ふふふ、それは何より。でもあなたはわたしの永遠のパートナーになるべき人です。奴隷のままでいてもらっては困ります」
そう言うと、男は黒い上着を脱ぎ、ネクタイをはずして床に落とした。
ワイシャツのボタンをはずし、脱ぎ捨てる。
男の首筋の頚動脈を見た瞬間、咲子の心臓は跳ねた。
(美味しそう。主様の血)
血の匂いは甘い香りとなって、彼女の鼻腔をくすぐる。
男は咲子の反応に満足そうな笑みを浮かべた。
「さあ、いらっしゃい。愛しい人」
咲子は男が広げた腕の中に飛び込む。
「命令です。わたしの血を飲みなさい。どうすれば良いかわかりますね」
「いただけるのですか、ご主人様の血を」
うっとりと咲子は、彼の首筋を撫でる。
もう欲しくてたまらない。
「ええ。あなたはこれからわたし以外の者の血を飲んではいけません。わたしの血だけを飲むのです。下賎なものの血など、愛するあなたに与えるわけにはいきませんからね」
「はい。ご主人様」
咲子は大きく口を開けた。
小さくて上品な歯が美しく並んでいたはずの口内に、左右二本の鋭い牙が生えている。
彼女はそれを男の首に突き立てた。
本能のままに彼の甘い血をたっぷりと吸う。
(ああ……美味しい)
他の食べ物などいらない。
この血こそが、自分の至高の食物である。
体内に取り込まれた彼の血により、徐々に咲子の瞳が赤から元の黒い瞳に戻っていく。
赤みを帯びていた皮膚も、元の白く陶器のように滑らかな色になった。
十分満たされて、咲子は唇を離す。
先程まで曖昧だった思考もはっきりとしてきた。
「どうですか、気分は。咲子様」
「すごくいいわ。ありがとうございます、ご主人様」
咲子はにっこりと微笑んだ。
「これであなたはわたしの永遠のパートナー、わたしの眷属です。これからはわたしの声を聞き、わたしだけに従いなさい。もうあなたは死ぬことはありません。わたしたちは不死なのですから、ずっと一緒にいられます」
「はい。とても嬉しいです」
咲子は男に抱きつく。
彼はぱちんと指を鳴らした。
先程脱ぎ捨てた服とネクタイが、一瞬で体に着用される。
首尾よくいったことに満足し、男は咲子を横抱きにして抱えた。
「さあ、わたしの館へ参りましょう。これからはずっとわたしと幸せに暮らすのです。永遠にね」
「はい。ご主人様」
咲子は幸せそうに笑って彼の胸に顔をうずめ、目を閉じる。
男は新たに得た美しいパートナーを大事に抱えて、部屋から出ていった。
(それにしても)
少女を胸に廊下を歩きながら、彼は思う。
(このわたしの姿に変身して、藤ゆり子と咲子をあおって行動を起こすよう仕向けるとは、面白い事を考えたものです。さすがわたしの教え子とでも言っておきましょうか)
おかげで中々良い駒を手に入れた。
満足げに笑むと、男は少女と闇の中へと姿を消した。
彼らがどこへ去ったのかを知る者は、誰もいない。
<終わり>
こんにちは。月森琴美です。
私立クリスティ学園シリーズ 魔法使いの生徒会編 第5巻、完結です。
ここまでお付き合いくださり、どうもありがとうございました。
まだまだ茉理と生徒会メンバーの物語は続きます。
また次の巻でお会い出来ることを願っています。
*次のページはおまけです。読後のお楽しみとして投稿しました。
お時間のある方は、ぜひ覗いてみてください。




