98話
「この本が書かれたのは800年以上前。不死身の魔物は昨日今日で突如発生したわけではなくて、僕たちの知らないところでずっと存在していた……」
カールソンは綴られた文字を目でなぞりながら続ける。
「彼らは時のうつろいに合わせ各地を転々としているという。そしてついにそのうちの誰かがこの町にやって来て、呪われた血を増殖させようとした。それを阻止していたのは教皇庁の祈祓師ランドルフ・グラーツと、研究所に属し永遠の命を断つ儀式の方法を知っている“神の忠犬”モーリス・ハミルトン。9人もの命を奪った連続殺人事件の犯人はクレアではなくこのふたりのうちのどちらか。または両者だと、僕は考える」
彼の話を黙って聞いていたマクドウェルは相槌を打って、短く切り揃えた顎鬚を撫でながら言う。
「博士とモーリス・ハミルトンが互いに協力し行動を共にしていたとは思えないが……ヴァンパイアを始末するという共通意識を持っていたことは間違いなさそうだな」
胸のポケットから手帳を取り出すと、クレア・オルビーの情報が書かれたページを開く。
「――連続殺人事件の犯人の目星はついた。現在残っている最大の謎は……少女をヴァンパイアにしたのは誰なのかということだ」
マクドウェルはカールソンを見つめた。視線の先の彼の瞳には微かな憂いの影が落ちている。
「すこし前に調査を任せてほしいと言っていたが……なにか新たな情報が?」
「いいや……なにもない」
答えたカールソンは溜息と共に肩を落とした。
「被害者たちを誘惑した黄金の髪の魔物、それが諸悪の根源だ。でも、ケンプベルにブロンドの女性はいない。家を一軒一軒回って、理容室とか診療所で聞き込みをして、公庁で出生時の記録を調べて……とにかく隅から隅まで探したけど見つからなかった」
「リュシアン・アルベスクの妹たちはどうなんだ」
「長女は赤毛、次女と三女は黒髪だ」
「リュシアン・アルベスクがそう言ったのか?」
「書簡を出したら、家族写真を送ってくれたんだ。確かにこの目で見た。美しい女性3人がアルベスク殿と共に微笑んで映っていたよ」
エミリアはわずかに身を強張らせた。
あの日リュシアンは、窓から飛び込んできた女の名前を知っていた。彼女はおそらく妹のひとりだ。本当の髪の色を明かさなかったということは、妹が怪しまれ捜査対象となっているとわかっているからであろう。
「ここのところ、おかしな夢の話も聞かないし物騒な事件も起こらなくて静かだったろ?おそらく犯人はもう、ケンプベルにはいない」
カールソンの昏い声を聞き、大きく息を吐いたマクドウェルは、額に落ちてきた髪を後ろに撫でつけながら言った。
「すべての元凶であるその金髪の女を掴まえて、ヴァンパイアにされたクレアの無念を晴らしてやりたかったんじゃなかったのか?」
それを聞いた彼の目が大きく見開かれる。
「あきらめるなアレックス。魔物を追い続けてきたモーリス・ハミルトンなら黄金の髪を持つ女についてなにか知っているかもしれない。必ず奴を捕まえよう」
マクドウェルは親友の薄い肩を叩く。
彼らが話していることの真相を詳しく知るエミリアは、口を噤んだまま目の前の皿を見つめていた。
このふたりは自分が考えていたよりもずっと、ヴァンパイアという魔物について多くの情報を掴んでいる。やりとりを聞いているうちにそれを実感した彼女は恐怖に駆られた。彼らはいつか、ジャーメイン城に棲まう者たちが人ならざる者だという結論に辿り着くのではないかと。
リュシアンがヴァンパイアだという証拠はどこにもない。だがもし、逃亡中のモーリスが彼と彼の妹たちの正体を知っていたとしたら――
「シスター・エミリア」
マクドウェルに突然呼び掛けられ、エミリアは青白い顔を上げる。
「あなたに関しての噂は私の耳にも入ってきています。しかし、なにが嘘でなにが真実かはわかっているつもりです」
エミリアに対する彼の思いに共鳴し、カールソンが小さく頷く。
静かな声は続いた。
「俺たちはトマス神父ではなくあなたの味方です。モーリス・ハミルトンという危険人物の罪と秘密を知ってしまったからには、常時身の回りを警戒しなくてはなりません。彼は影の中に息衝く者だ、自分たちの害になると判断した者に対してどんな行動に出るかわかったもんじゃない。少しでも身の危険を感じるようなことがあればすぐ俺たちに知らせてください」
エミリアはその真剣な眼差しに胸を打たれた。
このふたりは、ケンプベルのためを思い危険に立ち向かう勇敢で善良な人間だ。一刻も早く事件を解決に導くため彼らに協力し、ヴァンパイアを察知できる能力を持ったモーリス・ハミルトンが連続殺人事件の犯人であることや、あの夜ジャーメイン城で味わった恐怖を包み隠さず話すべきだろう。
しかし、いざそうしようとしてもできない。リュシアンの姿が頭をよぎり、彼女の唇はぴたりと閉じてしまう……
話題に上がっていた“黄金の髪の魔物”。カールソンはブロンドの女はケンプベルにいないと言っていたがそれは間違いだ。
ひとりいる。窓硝子を粉々に砕きリュシアンの部屋に飛び込んできたリュシアンの妹だ。彼女こそが、カールソンが探している人物であろう。
牙を剥き襲い掛かってきた彼女も、そしてその脅威から守ろうとしてくれたリュシアンも……人ではない。トニトルスもおそらく。自分の目で見たこと、体験したことをこの場で洗いざらい話せば、間違いなくリュシアンたちはこの町から追放される。いや……人ならざるものを生かしておくわけにはいかないと、永遠に葬られてしまうに違いない。
エミリアは、ランドルフ・グラーツの頭が無惨に切り落とされる場面を思い出し、背筋を震わせる。リュシアンがもしヴァンパイアだとしたら、あの男と同じように首を切断され心臓に杭を穿たれるのだ。
(リュシアン様……)
自分は修道者であり、地獄からの使者と戦う神兵だ。人ならざるものを庇うことは神への冒涜である。
邪悪なる者の存在を許してはならない。わかっている。わかっているが――
「シスター……何かご存じなのですか?」
マクドウェルに突然声を掛けられ、弾かれたように顔を上げたエミリアは咄嗟にかぶりを振る。その表情から動揺を見て取った彼は、ナプキンをテーブルに投げ捨てて立ち上がった。そして彼女の傍らに片膝をつき、血の気をなくした麗しいかんばせを覗き込む。
「どうか俺たちを信じて、躊躇わずお話しください。あなたの身の安全のためです」
涙に揺れる菫色の瞳をまっすぐに見つめ上げながらマクドウェルは、ドレスの膝の上に置かれている小さな白い手を取った。包み込んでくる手指の熱さと懇願するような眼差しに耐えきれず、彼女は顔を背ける。そんな彼女の頬に手を添え強引に視線を合わせた彼は、ほとんど囁くように言った。
「胸に秘めたるものがおありですね?シスター・エミリア……」
切迫した、重苦しい情念すら籠っている声であった。
追い詰められた獣のように怯えながらエミリアは、唇を噛みしめ――再度ゆっくりと首を横に振った。




