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FATUM  作者: 紙仲てとら
第三章

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99話

 その日の午後。エミリアはマクドウェルとカールソンに見送られ邸宅を出た。

 馬車に揺られながら、彼女はスカートに目を落とす。

 土と砂に汚れていた修道服は見違えるほどきれいになっていた。袖口の破れは丁寧に繕われ、擦り切れていた部分もしっかり補修されている。クレアに引きちぎられてしまったブラウスのボタンも新しいものに付け替えられていた。

 マクドウェル夫妻のやさしさと気遣いに感謝すると共に後ろめたさを覚える。エミリアは流れる景色に目を移し、深く溜息をついた。

 チャペル・ロードで下車し、正門から教会の敷地内に入る。誰もいない。聖堂の大扉は開け放たれ、内部は静寂に包まれている。

 足早に中庭を通り抜け、修道院の扉をそっと引き開ける。じっと耳を澄ませてみたが、物音ひとつしない。通りすがりに談話室や大広間を覗いたがそこにも人影はなかった。どうやら修道者たちはみな奉仕活動のために出払っているようだ。

 スープの香りが残る食事室の前を通り過ぎ自室まで来たとき、扉の下の隙間に白い紙が挟まっているのが見えた。

 指先でおそるおそる拾い上げてみれば、手紙だ。裏返すとそこには“リュシアン・アルベスク”と綴られていた。

 エミリアの心臓が痛いほどに拍動する。蝋で封がされたそれを手に辺りを見回し誰もいないことを確認すると、彼女はすばやく自室に入り、折りたたまれた紙を開いた。

 上質な白い便箋には、流れるような美しい文字でこう書かれていた。


  末妹のことは大変申し訳なかった

  あんな姿を見られてしまってはもう誤魔化すことはできまい

  私の秘密を君に打ち明けよう

  この手紙を読んだらすぐに城に来てほしい


 短いその文章を何度も読み返したエミリアは、込み上げる思いに胸を詰まらせる。切羽詰まった表情で紙面から目を上げると、便箋を握りしめたまま勢いよく部屋を飛び出した。

 通りを行き交う人々の間を縫いながら、彼女はわき目もふらずジャーメイン城へと駆けていく。その心は熱く燃え滾り、同時に、不安と恐怖のため打ち震えていた。

 神に背く行為だと頭では理解している。だが、彼への愛を止めるすべを、彼女は知らない。

 古城の門は今日も施錠されておらず、すんなりとエミリアを迎え入れた。あの日の出来事が夢であったかのように感じながら小さな橋を渡ると、大扉の前で立ち止まり頭上を見上げる。

 陽光の欠片を閉じ込めた美しい菫色の瞳が、リュシアンの私室の大窓を捉えた。窓枠ごと粉々に破壊されたはずだが、すでに修復されている。昼間だというのに鎧戸が閉められ、中は見えない。

 砂埃に汚れたスカートの裾をはたき背筋を伸ばしたエミリアは、鉄の鋲が打たれた重厚な扉に歩み寄る。獅子のドアノッカーを掴み、大きく鳴らした。

 ほどなくしてわずかに扉が開いた。隙間の向こうに影が現れる。

 顔をのぞかせた人物を目に映したエミリアは、その巨躯に思わず怯んだ。自分より頭ふたつ分は大きい。暗色のマントを纏い、フードを深く被っている。

「なんの用だ」

 男とも女ともわからない低い声が響く。

「聖ラディウス教会のエミリア・コレットと申します。すぐ来るようにとの手紙をリュシアン・アルベスク様より頂戴し、急ぎ参りました」

「嘘だ。兄上は、誰とも会わないと言っている」

 湿った黒い髪がフードからはみ出している。長女のファヴィラは赤髪。もらった手紙に“末妹”と書かれていたことから、窓を割って飛び込んできたブロンドの女は三女だ。となると、2番目の妹か……エミリアは深くうつむいたままこちらを見ようともしない彼女に手紙を差し出し、なおも言う。

「呼び出されたのは事実です。こちらに、リュシアン様の署名と印が……どうぞご確認ください」

 次女と思しき人物は、その言葉に巨躯を震わせた。

「お願いいたします」

 エミリアは懇願したが、彼女はますますうつむき、フードの淵をつまんで引き下げ背を丸めた。表から差し込んでくる光を避けるように足を引き、黙ったまま扉を閉めようとする。

 そのときだ。彼女を脇に押しのける者があった。内側から白い指が覗き、閉まりかけた扉を押さえる。

「どうぞ」

 大きく開かれた扉の奥から姿を現したのは……リュシアンだ。

 彼は冷え冷えとしたアイスブルーの瞳でエミリアを一瞥し、顎先で中を示した。

「入るなら早くしろ」

 不機嫌そうな顔で素っ気なく言う。

 声を詰まらせ黙って一礼したエミリアは、城内に足を踏み入れた。そこは相変わらずしんと静まり返り、ステンドグラスから差し込む陽光のみが広々としたエントランスホールを照らしている。肩越しに振り返ってみれば、いつの間にかフードの女がいなくなっていた。辺りをぐるりと見まわしたが、すでに影もない。

 あのわずかなあいだに、一体どこへ消えたのだろう。エミリアは首を回らせつつ粟立つ腕をさする。

 すると、微かな羽音が聞こえた。驚いて顔を上げれば、ドーム状の天井に一匹の蝙蝠が飛んでいる……

 まさかと思ったが、否定はできない。先ほどの人物は、背中に生やした翼で宙を飛び回り黒い霧に姿を変える能力を持つ女の姉である。蝙蝠に変化したとしても不思議ではない。

 リュシアンは大広間を抜け、庭に面する長い廊下を歩いていく。一体どこへ向かおうとしているのだろうと、エミリアは不安な気持ちで彼の広く逞しい背中を見つめた。

 互いに黙ったまま、歩を進める。夏の緑を臨む窓にはすべて薄い布が掛けられていた。陽光が遮られた廊下に等間隔で並んでいる彫刻、その悲し気な横顔を、布の隙間を縫って差し込んでくる光が撫でている。

 廊下を曲がった先は暖炉のある小さな居間になっており、壁一面を覆いつくすほどの巨大なタペストリーが飾られていた。リュシアンはそれに近づくと、淵を掴んでそっとめくり上げる。

 そこにはなんと、地下へと続く入口が隠されていた。エミリアは驚愕に目を瞠る。

 両手を胸の前で組み青い顔をしているエミリアをおいて、リュシアンはタペストリーの向こう側へ消える。石の階段を下りていく靴音が遠くなっていくのを聞き、彼女は慌てて彼の後を追った。

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