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FATUM  作者: 紙仲てとら
第三章

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101/110

100話

 地下特有の湿った空気と、黴の臭い。両脇の壁に飾られた燭台の火が、階段の途中で足を止めて見上げてくるリュシアンの横顔を照らしている。

 エミリアを手招き、彼は螺旋階段をどんどん下っていった。

 ひどく嫌な予感がしたが、ここで引き返すことはできない。冷たい汗を額に滲ませ、エミリアは彼についていく。見えては消える背中を必死になって追いながら、彼女は胸の奥で何度もリュシアンの名を呼んだ。

 彼はもう振り返らない。エミリアの心臓は緊張と恐怖に激しく波打った。地下深くへ進んでいくたびに火の灯された燭台の数が少なくなっていき、空気はますます冷たく、黒く淀んだ水の中に沈んでいくような錯覚を覚える。

 階段は永遠に続くように思えた。彼に追いつくことができないのではないかという気すらした……息苦しさと閉塞感で、呼吸は浅く、早くなっていく。

「リュシアン様」

 階段を下りきったところで、エミリアは息も切れ切れ、小さく呼び掛ける。

 返事がない。

 彼女は目の前で大きく口を開けている濃密な闇に向かって、もう一度呼び掛けた。すると、遠くに小さな灯りがともる。目を凝らすと、光の中にぼんやりと霞む人影が角を曲がっていくのが見えた。

「待って!」

 エミリアは震え上がり、弾かれたように一歩を踏み出した。暗闇にのみこまれ、すべてが黒に染まる。目に見えぬ脅威に追い立てられるように、彼女は奥へ奥へと進んでいった。壁伝いに曲がり角を折れてさらに行くと、ふたたび蝋燭の淡い光が現れ、通路の突き当りにリュシアンが背中を向けて立っているのが見えた。

「リュシアン様!」

 聞こえていないはずはないが、彼は呼び掛けに反応せず、最奥にある頑丈な扉を開け中へと入った。閉まりかけている扉に手を掛けすぐに彼女も飛び込んだが、室内は黒に満たされ何も見えない。

 エミリアは恐々と手を伸ばし闇を探った。

「ああ……お願いいたします、どうか灯りを……」

 涙声で懇願した瞬間、すべての蝋燭が一斉に灯る。

 光に照らされた室内は物に溢れ、雑然としていた。壁に沿って大きな棚が並び、その中のひとつには大量の酒瓶が収めてある。

 ぐるりと周囲を眺めたが、リュシアンの姿は見えない。

 エミリアは室内中央の仕切り棚や美しいドレスが掛かっている長椅子の後ろを覗き込んで彼を探した。だが、どこにもいない。彼女は震えながらそろそろと息を吐き、酒瓶が並ぶ棚の方に振り向いた。光の届かない暗がりに底の開いた大樽がいくつか転がっており、その陰に隠れているのかと思ったが、やはり姿はない。

 どこかに隠し扉かなにかがあるのだろうか……途方に暮れたエミリアは、巨大な棚を見上げた。コルクで栓をされた酒のボトルが大量に収められている。この棚の後ろにあるのではと少し揺すってみたが、動きそうもない。

 溜息をついて顔を上げた彼女は、見慣れたボトルがあるのに気づいて思わず手に取った。いつか見舞い品として自分が届けた薬草酒である。3本ほど贈ったはずだが、すべて手つかずのまま残っている。どうやらお気に召さなかったようだ。

 ひとりよがりの善意を押しつけていたことを知り、恥ずかしく、そして申し訳なく思いながら彼女は、ボトルをそっと元に戻した。するとその拍子に、なにかがひらりと床に落ちる。

 拾い上げて見てみれば、日付の書かれたタグだ。棚を確認すると、一部のボトルネックにはすべてこれと同じタグが引っ掛けられている。

 彼女はタグのない一本を引き出した。色を見るにつけ葡萄酒のようだが醸造所のラベルはなく、古いコルクは崩れかけている。

 それにしても濃厚な赤である。

 瓶を光に翳した彼女は、その赤に魅せられたようにうっとりと目を細めた。飲みかけらしく半分ほど減っている。軽く振ってみると、中の液体はどろりと瓶の中で揺れた。

(葡萄酒ではない?)

 ボトルを手に壁際に寄り、燭台の近くで中身を確認する。葡萄酒よりも明らかに粘度の高い液体の中に、束にしたハーブが沈んでいる。

 他国の修道院が造った薬草酒だろうか。興味をそそられじっくり眺めていると、

(“香りと味を確かめてみればよいではないか”……)

 頭の中で知らない男の声が響く。顔を上げたエミリアは、吸い寄せられるように目の前の蝋燭の火を見つめる。

(……“気になるのだろう?さあ、早く……”)

 彼女はほのかな青色が混じる火に向かって微かに頷いた。そしてその声に誘われるようにコルクを抜き取り、鼻先を寄せ香りを吸い込んだ。

 部屋をゆすぶるような哄笑が響く。それに驚き我に返ったエミリアは、生臭いにおいに吐き気をもよおし反射的に顔を背けた。

 鼻に残るにおいに噎せながら、濃い赤を見つめる。

 これは――

「血……」

 動揺した手から瓶が滑り落ちる。鋭く響いた音に驚いて数歩後ろに足を引いた瞬間、彼女は背後の仕切り棚に体をぶつけてしまった。その衝撃で棚板が傾ぎ、置かれていた物が次々に落ちて派手な音を立てる。

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