101話
砂埃が濛々と立ち込めるなかエミリアは、激しく拍動する心臓を服の上から押さえつつ背後を振り返った。目の前には写真立てや陶器の胸像、本などが散乱している。
足元を見れば、落としてしまったボトルの口からこぼれた液体が床を赤黒く染めていた。エミリアは目をこぼれんばかりに見開き、わななく唇を手で押さえ立ち尽くす。
動物のものか、人間のものかはわからないが……間違いない、血だ。全身に薄く汗を滲ませ息を詰めていると、突然背後から声がした。
「なぜここに?」
振り向いてみれば、見失っていたリュシアンがいつのまにか扉の前に立っており、光のない瞳でエミリアを見つめている。
「なぜって……」彼女は詰まる声で切れ切れに答えた。「あなたに導かれて、ここまでまいりました」
「何を言っている?言い訳にしては下手すぎやしないか」
リュシアンは硬直したままのエミリアの脇を通り過ぎ、転がっている瓶を掴み上げる。
「またひとつ、私の秘密を知られてしまったな。隠そうと必死になるほど詮索され、暴かれる。ままならないものだ」
「どうして血液など、保管してらっしゃるのですか……」
消え入りそうな声で問うたエミリアに、彼は淡々と答える。
「私はこれで空腹を満たしている。言うなれば君にとってのパンやスープだ」
「――嘘よ……そんなの信じません」
彼は指についた赤を舐めて、ふと笑った。
「目を逸らしても真実は変わらないぞエミリア……私は人間の生き血を糧とする化け物だ」
強くかぶりを振ったエミリアは目に薄く涙を滲ませる。
「先日この城で味わった恐怖を、まさか忘れたわけではあるまい。君は今でも私が人間に見えるというのか?」
エミリアはその質問に対し否定も肯定もしなかった。ただ、涙に濡れた声で言った。
「あなたは化け物じゃないわ」
その言葉はリュシアンの胸の奥を激しく揺さぶった。
同じ顔で、同じ声で――「化け物」と叫ばれた400年前のあの日の記憶が鮮烈によみがえり、痛みの余韻を胸にのこして消えていく。
リュシアンは、眉ひとつ動かさずにエミリアを見つめた。彼の心中を知る由もない彼女は哀しみをたたえた眼差しで見つめ返し、尋ねる。
「リュシアン様……あなたはいったい何者なの?」
「何者かと問うか」
唇に微笑を滲ませた彼はぽつりと独り言ちる。一歩二歩と後ろに下がり、暗闇にゆっくりと顔を沈めた。
「私は、神と君の敵だ」
「いいえ違う。私たちは決して敵同士にはなりません」
「もう何も言うな。君の魂胆はわかっている。誰の入れ知恵か知らんが……ここに来れば私の弱みを握ることができるとわかっていて忍び込んだのだろう。私が化け物であることを証明し始末することができれば、君は英雄になれる。司祭や仲間からの信頼を回復できるものな」
「そんなことを私が望むと、本気で思ってらっしゃるの?」
「しらを切るつもりか。狡猾な女だ」
「私はただ、あなたの口から真実を聞きたくて来ただけよ」
エミリアがリュシアンに向かって一歩大きく踏み込む。目つきを更に鋭くした彼は瓶を壁に投げつけて粉々に割ると、威圧的な眼差しで見下ろした。
「話すことなどない。さっさと帰れ」
「なぜそんなことを言うの……手紙をくれたでしょう?秘密を打ち明けるから来いと」
「手紙?」
エミリアはポケットの中から手紙を取り出し、リュシアンの前に突き出す。
そこには確かにリュシアンの名が記され、印が捺されている。しかし当の本人は訝しげな顔のままだ。
「私が書いたものじゃない」
「では誰がこれを?」
「とぼける気か?」彼は鼻で笑って肩を竦める。「自分の行為を正当化するために偽の手紙まで用意するとは恐れ入ったよ」
傷ついた顔をしたエミリアから顔を逸らし、リュシアンは床に散らばる陶器の欠片や割れた写真立てを眺めつつ続ける。
「私に招かれたと偽って城に侵入し、無断で地下に潜り込み荒らし回って……そこまでして君は、私の正体を世に暴き救われたいのか……」
「リュシアン様、私は」
「黙れ」
「話を聞いて!」
「言い訳なんぞ聞きたくない。見苦しいぞ」
エミリアを黙らせた彼は、先ほど棚から落ちた物の中から一冊の本を拾い上げ、
「そんなに知りたいのならば教えてやる……」
言いながら、エミリアの胸元に押しつけるようにしてそれを渡した。
「そこに私の正体が書かれている。持って帰れば証拠になるだろう」
「これは……」
「日記だ。書いた当時の新聞記事や写真もスクラップしてある。開いて中身を確認してみればいい」
氷を思わせる声で言い、微かに笑った。




