97話
「君のことが心配でたまらないんだろうね」
カトラリーと皿が触れ合う微かな音が響くなか、カールソンがぽつりと言葉をこぼす。
「さっき執事長から聞いたんだけど……夜中に目を覚まして君がいないことに気づいてから、一睡もせずに待っていたそうだ」
「最近つくづく思うよ」マクドウェルは声を詰まらせ、目を伏せる。「俺といたら彼女はずっと不幸せなままだと」
「ばかだなあ、君は」
結局一口も食べることなくナイフとフォークを置いたマクドウェルはテーブルの上に肘をつき、組んだ指に顔を埋めた。その様子を見たカールソンは親友の肩に手を添え、静かに問う。
「今回のこと……ダイアナにはなんて説明したの?」
「治安長官から緊急の呼び出しがあって行かざるを得なかったと話した。極秘の任務だったから口外しないでくれと頼んである」
「治安長官からの呼び出しだって?おやおや……これはまたとんでもない嘘をでっちあげたもんだ」
スープボウルにスプーンを浸し、カールソンは薄く笑った。
「シスター・エミリアのことについては?」
「帰り道で偶然会ったとしか言いようがなかったよ。薬草摘みの最中に転んだらしく服が汚れていて、怪我もしていたから連れてきたと説明した。納得していたように見えたが……この件についてもし探りを入れられたら話を合わせてくれ」
ふたりの会話を聞いていたエミリアは、蒼白の顔をうつむかせ口を開く。
「あなた方も“魔物”を追っているのですか?」
彼らは黙り込んで答えない。重苦しい空気が満ちる中、エミリアは緊張に震える手指をきつく握り込み、更に続けた。
「鐘楼でおふたりの会話を聞いてしまい……もしや、と」
「――そうです。私たちは不老不死の魔物ヴァンパイアを追っています」
答えたのはマクドウェルだ。彼は硬い声で言葉を継いだ。
「あの場所でいったいなにがあったのか、お聞かせ願えませんか」
エミリアは顔を上げ、マクドウェルを見た。その菫色の瞳には、涙が光っていた。
「クレアはグラーツ博士の血を飲み干して、殺した……そして連れ去られました」
「連れ去られただって?いったい誰に……」
カールソンはスプーンを取り落とし、身を乗り出して問う。
クレアはやはりヴァンパイアだったのだ。博士の血をたっぷりと飲んだ彼女は力が漲っていたはず――ただの人間が太刀打ちできるはずがない。
「クレアをさらったのは……ネルフィナ救貧院で暮らしていたモーリス・ハミルトンという男です」
「盲目の退役軍人か……」マクドウェルは苦々しく表情を歪めた。「彼のことならよく知っています。救貧院へ入所させる前に何度か面談したので」
頷いたエミリアは、カールソンがさりげなく渡してくれたナフキンで目元を拭い、か細い声で言う。
「ハミルトンは、クレアに吸血され死亡したランドルフ・グラーツ氏の頭を切り落とし胸に杭を打ちました。そうしなければ、何度でも復活すると信じているようでした。彼は自らを、神の忠犬と呼び……クインレスタの名を騙って自身の残虐な行いを正当化しています」
「神の忠犬……」
カールソンがつぶやく。その言葉を聞いた途端、マクドウェルは頭痛を覚えてこめかみを押さえた。
「この異名をご存じですか?」
エミリアはカールソンに目を遣る。視線を受け、彼は神妙な面持ちで頷いた。そしておもむろに席を立つと、執務机に散乱している紙の下から古びた本を抜き取り、彼女に差し出す。
「詳しく説明する前にこれを」
困惑しながらも受け取ったエミリアの手の中で表紙をめくり、彼は言い継ぐ。
「ロスコーカレッジの宗教学者が遥か昔に書いた本だよ。この中にヴァンパイアについて記された箇所があるんだ」
ヴァンパイア……エミリアは胸の裡で反芻する。
彼は栞が挟んである部分を開き、指先でなぞった。
「――ここに……死んだ夫と交わり、子を成した女がいると書かれている。この夫というのがゼールラント帝国で確認されたいちばん最初のヴァンパイアらしい」
カールソンは、その村で起こった異様な事件をヴァンパイアの所業とし見事解決した祈祓師の話をエミリアに語って聞かせた。そして現在エトワール生理学研究所という組織が、祈祓師の集団を擁する教皇庁と繋がりを持ち暗躍していることも。
「研究所の関係者の中に“神の忠犬”を自称している者たちがいる。ということは、モーリス・ハミルトンは単独ではなく研究所の指示で動いているとみてよさそうだ」
カールソンはいつもの癖で自分の耳朶を触りつつ言葉を続ける。
「神の忠犬と名乗ることを許されているのはおそらく、魔物の生態解明に協力している祈祓師が研究所のために集めた高度な人材のみ。彼らは――祈祓師から直接なのか研究所を通してなのかはわからないけど、古の儀式の方法を伝授されヴァンパイアを討伐している。なかでもモーリス・ハミルトンは、天涯孤独なうえに元軍人だから重宝されてるんだろう」
「教皇庁の人間も加担し、組織ぐるみでヴァンパイアを追っていると……?カールソン様は、頭と胴を切り離さなければ蘇るというハミルトンの主張は正しいとお考えなのですか」
恐怖に震える声でエミリアが言うと、カールソンは神妙な面持ちで深く頷いた。
「ヴァンパイアは心臓を破壊されないかぎり永遠に生き続けるんだ。頭を落とせば即死だと広く言い伝えられてるようだけど、胴体だけで動いて襲ってきた例もあるらしいから心臓を潰してから頭を切り落とせとこの本には書いてある」
彼は忙しなくページをめくりながら淡々と言葉を続ける。
「この不老不死の魔物は日の光を嫌い、肌も血も氷のように冷たい。招かれなければ家に入れず、鏡に映らず、眠らず……肉や野菜といった人間の食糧を必要としない。彼らは人や動物の生き血を糧としている」
開いたページに描かれた挿絵には、剣を掲げる男と二足歩行の狼が描かれている。エミリアはそれに見入った。
「これは……」
「ヴァンパイアはワーウルフや魔女と縁が深いらしいんだ。奴らは共闘して人類を恐怖に陥れてきた……それに対抗するために討伐隊が結成されて、そこに所属する者たちが祈祓師と呼ばれるようになったそうだよ」
ワーウルフと聞いたエミリアの脳裏に、トニトルスの姿が思い浮かぶ。
巨大な野生の狼をあそこまで飼い慣らすことが果たして可能なのだろうか……これは今まで幾度となく疑問に思っていたことだ。
胸に引っ掛かっているのはそれだけではない。トニトルスは初めからこちらを警戒することなくすぐに懐き、いつも優しく寄り添って心を癒してくれた。リュシアンの部屋に入るのをためらっていたとき、鼻先で背中を押してくれたのもあの黒い狼である。動物にしてはあまりにも人の情緒を理解した行動だ。




