90話
30年以上前の記憶がこんなところで役に立つとは……マクドウェルは懐かしい思いにひたりながら在学当時の教会の景色を思い起こす。
学生だったころは知らなかったが、地下牢は聖堂の真下に存在するという。下りるための入口が堂内にある可能性は非常に高いが、祭壇周辺にそれらしきものを見かけた記憶はない。となれば翼廊や聖具室、告解部屋――このあたりのどこかに隠し扉があるのかもしれない。
探すべき場所の目星はついているし、聖堂の内部構造もはっきりと覚えている。問題は堂内に侵入できるかどうかだ。
聖堂の扉は3か所ある。ひとつは正面の大扉。あとは聖堂中央の身廊から左右に伸びた翼廊にそれぞれ1つずつ。当然ながらこれらすべては、消灯時間を過ぎると施錠される。鍵当番の生徒がしょっちゅう寄宿舎の戸締りを忘れ怒鳴られていたことを思い出し、うっかり開けっ放しにしてしまうこともあるかもしれないとちらりと考えたが、教会の施錠担当者ともあろう者が役目を忘れてベッドに入るようなまぬけであるはずがない。今日もいつもの時刻に錠が下ろされたであろう。
翼廊の扉は金属製。鍵がなければ蹴破ればいいじゃないという治安官時代の常套手段は通用しなさそうだ。鉄の鋲が打たれた重厚な正面扉は木製だが、大人ふたりがかりでないと持ち上げることができない巨大なかんぬきで内側から施錠されているため、破城槌でも持ってこないかぎり突破することは不可能だろう。
扉からが無理ならば、ステンドグラスを割って入るという手もある。祭壇の奥を飾る、クインレスタ降誕の一場面が描かれた美しい窓。そこを壊せば自分のような大男でも簡単に侵入できるはずだ。
この良案に眉を開いたがそれも一瞬のこと。マクドウェルは再び顔を曇らせ、重苦しい溜息をついた。美術品の保存修復を行う非営利団体のメンバーであるカールソンは大反対することだろう……彼は無神論者だが、教会が保管する歴史的名品には目がないのだ。およそ300年前に作られたとされる国宝級の芸術作品に罅のひとつでも入れようとしてみろ、何を言われるかわかったものではない。
牢に繋がっていそうな場所はもうひとつある。同じく聖堂の下にある地下保管庫だ。そこへの入口は鐘楼に上がるために作られた外階段の傍にあり、当時は粗末な木製の扉に小さな南京錠がかかっているだけで、特別な防犯対策はされていなかった。今も変わっていなければ、侵入は容易なはずだ。
在学中に修道院長から聞いた話によると、そこはかつてケンプベルに隣接する中核都市ホールロウに届ける薬草の保管場所として使用されていたのだという。数百年前の薬草がまだ残っているという噂もあったが腹の足しにもならぬものになど興味が湧くはずもなく、中を覗いてみようだなんて一度たりとも考えぬまま卒業した。
それゆえクレアが閉じ込められている地下牢とその保管庫が繋がっているかどうかは定かではないが、聖堂の真下に潜れるのは確かだ。入って確認してみる価値はあるだろう。
見込みが外れたとしたら、牢に続く階段はやはり聖堂内にしかないということになる。そのときはステンドグラスを破壊して侵入することに納得してもらわねばなるまい……マクドウェルは目を上げ、険しい顔のまま指先でこめかみを揉んだ。
ふたりは聖堂の外壁に沿って歩いていった。カールソンは物珍しそうな顔で首を回らせていたが、ふいに煙突のある三角屋根に目を留め、マクドウェルの背中に話しかける。
「あれが寄宿舎かい?」
問われた彼は黒いシルエットに目だけをやって頷いた。ふうん、と気の抜けた相槌を打ったカールソンは歩く速度を緩め、手で聖堂の壁に触れる。
「ここの学生だった頃は“クインレスタの奇跡”を信じてた?」
「まあ……それなりに」
「洗脳って怖いね」
「そうだな」
短く答え、肩越しに振り返ると、
「君はなぜそこまで神を嫌う?」
「別に嫌ってないよ。期待してないだけ」
マクドウェルは腑に落ちないという顔をしている。カールソンはうつむき、息だけで笑った。
「神を信じる者はみな、救済と庇護を祈るだろ。自分の人生の責任を神に丸投げして、助けてもらおうと必死だ。祈るだけで苦難が取り除かれ幸福が訪れるだなんて、そんなことあるわけないのにね」
彼らはそれきり黙って、鐘楼の最上階に続く外階段の近くまで来た。生い茂る草木の隙間からなにかがはみ出ているのを見つけ近づいてみると、泥のついたタンパーが放置されている。不審に思ってそれを手に取ったとき、微かな物音を聞いたマクドウェルは動きを止めて顔を上げた。
その次の瞬間、はっと息を呑んだ彼はカールソンの腕を引き、茂みの中に隠れる。地下保管庫の扉付近で、ぼんやりと光が揺れているのが見えたのだ。
その正体を確かめしようとしたとき、吸い込まれるように灯が消える。続いて蝶番の軋む小さな音がした。誰かが地下に降りていったらしい。




