88話
「――研究施設ですって?」
「ヴァンパイアに吸血された者は不老不死の魔物となる。こいつみたいに血と精気をすべて吸われて死んじまったらそれも叶わないけどな」
銀貨を口いっぱいに詰めたグラーツ博士の頭部を掴んで立ち上がると、遺体の両脚の間に置く。そうして満足そうに息を吐き、彼は続けた。
「あんたは信じたくないかもしれないが……神の御力だけでは魔道に堕ちた魂を救うことはできない。やつらは悪魔や悪霊に取り憑かれているわけじゃないからだ。長年魔物と呼ばれる生きものの生態を調べてきた研究者たちは、ヴァンパイアに吸血された者が異常行動を起こすのはウイルスや毒物のせいではないかと推測している。俺は彼らの読み通りであってほしいと思うよ。原因が病であれば効果的な治療法を見つけて解決できるかもしれないからな」
「魔物化した者を救済するのは神ではなく、人間だと……?」
「そうだ。病が原因とする仮説を検証するために件の研究機関は、俺と同じく神託を受けた人間を使ってヴァンパイア化した者たちを収集している。なにかと扱いにくい大人はバラしてから血や体の一部を持ち帰らないとならないが――子どもは成人と違って力も弱くて扱いやすいから、生きたまま連れてこいと指示されているのさ。だからクレアを殺すことができないと、そういうわけだ。大人よりも子どもの方が長期の生体実験に耐えられるとも聞くし、あの子はかなり研究に貢献すると思うぞ」
「なんて惨いことを……!この、外道!」
叫んだエミリアの双眸は大粒の涙を湛え赤く染まっている。悲憤の念に駆られ震えながらモーリスを睨み据えると、彼はやれやれとでも言いたげにかぶりを振り、片頬を上げて笑った。
「吸血衝動が病によるものだと証明されたら、それはすばらしいことじゃないか。治療法が確立し薬が世に出回れば、ヴァンパイアの魔の手にかかり人知れず苦しんでいる多くの人間が救われるぞ。これは人類を救うための尊い事業。立派な社会貢献だと思わないか?」
「目的のためならば、どんな犠牲も厭わないとお考えなのですか?なにをしても許されると……」
「すべて神が望まれたことだ。俺は託されたこの仕事を誇りに思っている。研究所の一員として職務を全うしようとしたこの男も」冷たい石の床に倒れているグラーツ博士を顎先で指し示し、「志を同じくした者たちに希望を託し、神の指が紡いだ運命を受け入れ誇り高く死んでいったに違いないさ」
心の痛みに耐えきれずエミリアは顔を深くうつむけた。菫色の瞳から涙がとめどなくこぼれ落ちる。
「――クレアを連れていかないで……」
「少年少女のために祈ってくれ、シスター。あんたにはそれしかできない」
モーリスは体ごと後ろに向き直りおもむろに屈み込むと、クレアを軽々と持ち上げ小脇に抱える。少女の口内に溜まっていた黒い血が唇を割り雨だれのように床に降り注ぐ。
「ヴァンパイアは徐々に勢力を拡大している。あんたにもいつか、研究所が開発した治療薬に頼らざるを得なくなる日がくるかもしれないな」
冷ややかな笑みを浮かべたモーリスは、柱に縛りつけられたままのエミリアを置き去りにし、迷いのない足取りで外階段へと向かう。その背中に、彼女は叫んだ。
「モーリス・ハミルトン!どうしても連れ去るというのなら、クレアの命を必ず守り通しなさい」
「それは約束できないな。研究材料を提供し金を貰うまでが俺の仕事だ。受け取った側がどう扱おうが知ったことじゃないんでね」
エミリアは血濡れたような目でモーリスを射る。
「このまま逃げおおせても、無事で済むと思わないでちょうだい。あなたの手配書を出すよう治安管理局に願い出て、絶対に探し出します」
「無駄だよ」
彼は喉の奥で笑った。
「今や町政を担う役人はすべてレイモンド公の臣下に置き換わった」
「だからなんだと言うのです。内部の人間を総入れ替えしても刑罰の基準は変わりません。罪を犯せば正しく裁かれます」
「治安と司法の要を手中に収めたということはレイモンド卿がケンプベルの法律になったということだ。彼が手配書を取り下げろと命じれば、治安管理局は素直に応じるだろう」
「見知らぬ人間が犯した罪の隠蔽に、レイモンド公が加担するはずないじゃありませんか」
モーリスはおかしくてたまらないといった様子だ。口角を上げたまま、エミリアの方に声を投げる。
「あの男とは軍人時代を共に過ごした旧知の仲でね……俺の正体も、なにを生業としているかも知っているうえで、懇意にしてくれている。つまり彼は、俺の良き友なんだよ」
それを聞いたエミリアの顔から怒りの表情が一気に剥がれ落ちる。モーリスは絶句している彼女に横顔を向けて、東の方角に向かって手を差し伸べつつ手摺に近づいた。窓から顔を出し、空気の匂いを嗅ぎながら、背後のエミリアに告げる。
「あと数時間で夜が明ける。俺はもう行くよ。朝になったら聖ラディウス教会に匿名で知らせを送ってやる……鐘楼で修道女が助けを求めている、と」
軽やかな別れの声を聞いて我に返り結んでいた唇を解いたが、モーリスは素早く片手を翳し、何も言うなというジェスチャーをしてみせた。そしてすぐさま、彼女の心を読んだかのように言った。
「俺はこれからも神の忠犬としてヴァンパイアを追い続ける。あんたが今回の件から手を引かないというなら、俺たちはいずれまた顔を合わせることになるだろう。そのときに敵同士ではないことを祈っているよ。では、さらばだ。シスター・エミリア」
意味深な笑みと共に言い残し、モーリス・ハミルトンは昏睡状態のクレアを抱え階段の向こうに消えていった。
――彼が鐘楼を去ったのと同時刻。
元治安官チャーリー・マクドウェルとアレックス・カールソンは、かねてから計画していた作戦を決行しようとしていた。




