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FATUM  作者: 紙仲てとら
第三章

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82話

「なにをするつもり……?教皇庁の人間が聖杯会の教区で妙な真似をしたら、無事では済まないわよ」

「なかなか面白いことを言うね、君。いや……何も知らないのか」

「少女に危害を加えれば聖杯会は必ずあなたを罪に問うわ。ケンプベルの民も蛮行を許すまじと立ち上がるはず」

 白髪まじりの髪を後ろに撫でつけながら、博士は細めた目でエミリアを見つめる。

「同胞の蜂起をあてにしているのだね。威勢のいい女は嫌いじゃない、吠える声をもっと聞いていたいところですが……ここで悲しいお知らせだ」

 彼は革製のロールケースを紐解き、そこから取り出した解剖用メスを宙に翳した。小さな光を閃かせつつ笑みを浮かべる。

「君たちが父のように慕うハリー・トマスはとっくに我ら教皇庁の手に落ちています。つまり私がなにをしようと黙認するしかない。聖杯会の信者は“神の代弁者”と呼ばれている彼の言いなりのようだし、蜂起など望めやしませんよ」

 彼女の肌がざわりと粟立つ。

「なんですって……」

「ところで君……この少女が人間に見えますか?」

 鋭利にきらめく刃を手に、博士はクレアの元に歩み寄る。そしておもむろに少女の目隠しを取り、湿った額に頬ずりをしながら言葉を続けた。

「認めたくない事というのは、この世に多くある……しかしながら現実とは残酷なものです。目の当たりにした瞬間、これまで信じてきた常識や思い込みは脆くも崩れ去る」

「いったい、なにを言っているの……」

「日々熱心に奉仕活動に励む修道女である君は、ネルフィナ救貧院で殺人事件を起こしたこの少女と親交があったはずだ。大罪を犯したとはいえ、大人が守るべきいたいけな子どもであることには変わりないと思っているでしょう。でも、その考えは改めた方がいい。彼女は人の皮を被った怪物になってしまったのだから」

 エミリアが反論するのを待たず、博士は軽やかに解剖用メスを操り少女の腕にできた火ぶくれを周囲の皮膚ごと削ぎ取った。

「なんということを……!」おぞましい光景に震えが走り、エミリアは血を吐くように叫ぶ。「今すぐその子から離れなさい!」

 しかし博士はエミリアの言葉を聞き入れることはない。顔にうっすらと笑みを広げたまま、青黒く変色した二の腕の肉に刃をすべらせ部分的に切除すると、液体を満たした硝子瓶の中にそれを入れた。

「まあまあ……そんなに興奮しないでくれ、お嬢さん。私はただ少女をいたぶっているわけじゃない。これは大いなる実験――人類を守り世界を変える崇高な使命なんですよ」

「ふざけないで!聖なる光でもって魔を調伏する祈祓師であるあなたが、なぜ神に背くようなことをなさるのですか!」

「背こうなどと思っているはずがないじゃないですか。神は邪悪なるものが消え去った美しい世界をお望みだ。私は神意に従い世界を浄化するための手伝いをしているのです」

 腕の傷から黒い血がとめどなくこぼれ落ち、床を濡らす。しかし少女は痛みを感じていないのか、わずかに開いた目でぼんやりと宙を見つめている。顔や腕だけでなく、スカートから伸びる脚も切り傷だらけで、注射針の痕が痣のようになっている。

 エミリアが見たのはそこまでだった。目隠しをされ視界が塞がれたのだ。

 彼女の頬を生温い息が撫で、続いて甘いささやき声が耳底に響く。

「怖いかい……?なあに、殺しはしないから安心したまえ。実験データの収集が終わったら、君のことは解放してあげよう。今日見たことを周囲に言いふらさないように、舌を切り取ってからね。ああ、口が利けなくても筆談という手があるか……ならば両手首も切断しなければならないな」

 短髪の男がやってきて、エミリアの口を布で塞ぐ。頭を振り激しく抵抗したが無駄だった。

 あらゆる自由を奪われ、身を捩り唸り声を上げることしかできない。金属の触れ合う音や、靴音が天井に反響するのを聞きながら彼女は、己の無力さに絶望した。

 髪や血肉が焼ける不快な臭いが辺りに満ち、喉奥から込み上げてくる酸っぱいものを必死に堪える。視界を覆い隠す布に涙が滲み、その冷たさの中に彼女は、聖杯会ごとこの町を喰らいつくさんとする強大な闇を見た。

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