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FATUM  作者: 紙仲てとら
第一章

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7話

「おまえたちが好き勝手するせいで、神の飼い犬どもがこの周辺を嗅ぎまわっている。よくも厄介事を持ち込んでくれたな」

「……」

「なんとか言ったらどうだ」

「……兄上に贈りものをとおもった」

 ようやくウングラがくぐもった声で言った。そしてマントの内側から瓶を差し出す。その瓶には、そしてたっぷりの人間の血液……それに加えて、血液の凝固を防ぐ数種類の香草が入っていた。

 リュシアンと三姉妹は、人や動物の血と精気を糧とするヴァンパイアだ。蝙蝠や鴉に姿を変え夜に飛び立ち、獲物を弄んで殺し食らう。

 ヴァンパイアの中でもリュシアンは特に魔力が強く、上級種に分類される。彼はファヴィラ、ウングラ、メトゥスの三姉妹、火の精霊イグニス、そしてワーウルフのトニトルスを使役し、930年もの長きに渡り生きてきた。

 ウングラが翳す瓶の中身を見遣ったリュシアンはふんと鼻を鳴らし、

「機嫌を取って自分たちの食事を正当化しようとしても無駄だぞ。いつからそんなに悪知恵が働くようになったんだ?」

「兄上は、もともと人間だった。だから贈りものをよろこぶと聞いた」

 その言葉を聞くなり目を丸くし、そしてすぐ忌々しげに細める。人間がどうすれば喜ぶか、そんなことを知っているのは奴しかいない……更に眉間の皺を深くしたリュシアンは、火の気のない暖炉を睨む。

 主の怒りを前に姉妹が揃って項垂れ沈黙するなか、天井から高らかな笑い声が聞こえてきた。一同が見上げると、天井に赤黒い霧が漂っている。それはゆらゆらと舞い、やがて壁の一部に定着した。そこからずるずると不気味な音を立てて人の形をした何かが生えてくる。

 笑い声は途切れず響く。やがてその物体が完全な姿を象り、生えた先端から豊かな金髪が水のように湧き出てくるのが見えた。内側から光るような絹肌と白銀の瞳――薄く開いた口元はとろけるような笑みを浮かべている。蠱惑的な女だ。

「メトゥス、降りてらっしゃい」

 ファヴィラは天井で逆さまにぶら下がっているの末の妹に溜息まじりに呼びかける。しかし彼女は聞こえていないかのように反応せず、白銀の目を細めていつまでもくつくつ笑っている。

 この末っ子の奔放さにはリュシアンも手を焼いていた。知能が低く、本能のままに生きる獣そのものなのだ。

「兄上はずっと眠っていた。とてもとてもおなかが空いているはず」

 ウングラは人の血が入った瓶を片手にリュシアンの目の前に迫るが、彼は腕組みをしたまま受け取ろうとしない。貢物では決まり事を反故にしたことを帳消しにできないとようやく感じ取ったのか、ウングラはおずおずと袖の下に瓶を隠した。

「妹たちはお兄さまに喜んでいただきたかっただけなのです……どうかお許しください」

 ファヴィラはウングラを自分の後ろに下がらせ、深々と頭を垂れる。

 彼女は当初、妹らのしでかしたことをそれほど深刻には考えていなかった。自分たちに血を吸われた者は従順な僕となる。さほど力は持たないが、この土地の人間と諍いが起きたときの兵隊として引き入れておけば心強い。そう思っていた。

 しかし予想外のことが起こった――この町にはエトワール生理学研究所の構成員もしくは祈祓師が潜んでいる。彼らは魔物の性質や弱点を熟知しており、不老不死のヴァンパイアを葬るすべを知っている。特に祈祓師はセルリオス教皇庁に所属する特殊な修行を積んだ者たちで、邪祓いの儀式を執り行うことができ、下位魔族はこれに対抗する術を持たない。なによりも厄介なのは、彼らが熱心な信者を多く抱えていることである。祓いの力を信じる気持ちと苛烈な信仰心は民をひとつにし、悪と見做した者に一斉に襲い掛かる……魔力が乏しく聖なる力に弱いファヴィラは、神兵となり恐れを捨てて向かってくる集団に脅威を感じていた。神の名と威光を振りかざす彼らの狂騒に飲み込まれ、主であるリュシアンの役に立てずに命を散らすことを何よりも恐れているのだ。

 微かな苦悶を眉間に刻み頭を下げている彼女の肩に触れ顔を上げるよう促したリュシアンは、天井から一向に降りてこようとせず女神のように慈悲深い顔で笑っているメトゥスに視線を転じ、冷たい声で吐き捨てた。

「おまえたちには付き合いきれん」

 彼の怒りは鎮まりきらないようだ。いつもは艶やかに光るアイスブルーの虹彩が燃えるように輝き白銀色に染まる。

「全員、しばらく城の外に出るな」大広間から続く廊下の暗闇に溶けながらファヴィラにそう命じ、更なる怒りに表情を険しくする。「面倒なことになりそうだ」



 その日の朝早く、聖ラディウス教会の司祭ハリー・トマスは数人の男たちと連れ立って出掛けていった。

 見送ったエミリアは清掃と礼拝を終えると、ネルフィナ救貧院に持っていくためのパンを焼いた。それをバターやチーズ、薬草酒などと共にラタンバスケットに詰め、教会の正門を出る。

 3月も終わりに近づいていたが朝はまだ冷え込む。丘の上から吹いてきた冷たい風に首を竦めた彼女はマントの前を掻き合わせつつ、砂煙の立つ乾いた道を歩いていく。

 人々で賑わう商店街へと続くアーチをくぐった先、目抜き通りの突き当りにそびえるは例の伯爵が暮らすジャーメイン城だ。

 エミリアは足を止め、古城に視線を投げかけた。そうして立ち尽くしたまま、司祭ハリー・トマスに聞いた話を胸の裡で反芻する。

 すこし前、挨拶訪問したいとの書簡を伯爵に出したところ、返事はすぐに届いたという。副助祭であるエミリアもその手紙に目を通したが、やんわり断る言葉が丁寧な筆跡で綴られ、優雅なサインで締められていた。

 彼の名はロンドール伯リュシアン・アルベスク。聞くところによると、かつて栄華を極めた貴族の末裔で、つい最近祖国であるドラド大公国から亡命してきたらしい。

 彼に関する情報はたったこれだけだ。この教区の生まれではないため、聖ラディウス教会が管理する住民記録帳に載っておらず、司祭トマスすら血筋や家柄を正しく把握できていない。亡命者として彼を受け入れたルトマイア公はそれなりに交流があったはずだが、多くを語ろうとはしなかった。悪夢に連日悩まされるようになってからは、その名すら口にすることを避けているようだ。

 ケンプベルの住民はリュシアン・アルベスクに興味津々といった様子だが、ほとんどが彼の身元の詳細を知らないだろうとエミリアは思った。なにせケンプベルきっての情報通(噂好きとも言う)も首を傾げているくらいなのだ。よそから人が入ってくると、転入転出や土地建物の管理といった行政を担うルトマイア公爵家麾下の貴族がその人物に対してあれこれと噂し合い、それが民衆の間にまで流れてくることが多いが、今回は不自然なほど町なかに情報が下りてこないようだった。

 遠い目をしたエミリアは、自分が初めてグレンスピア大陸の地を踏んだ日のことを思い出していた。遠い島国から来たと知れ渡るやいなや人々の関心の的にされ、時には心ない言葉をかけられ深く傷ついたこと。聖杯会の修道者たちは皆とても親切であったが、異国出身者に対する好奇心からくる過度な詮索や干渉に居心地の悪さを感じたこと。人の心の温もりに触れ胸を熱くすることも多々あれど、悲しみや不安も大きかった。

 数々の記憶を取り留めもなく呼び起こしながら、エミリアは再び歩みを進める。

 秘密主義的な彼のことを、各地を逃げ回っている凶悪犯だと決めつけたり、人間に害をなす悪魔や怪物の類ではないかと邪推する者は多い。その者らは揃ってこう主張する……面が割れて悪事が働きづらくなることを避けるため、むやみに人前に出ず城に籠っているのだと。

 だが、エミリアは思う。彼はただ、自身に向けられる好奇の眼差しを疎ましく感じ表に出てこないだけなのではないか?かつての自分が感じていた疎外感や孤独を、彼もまた味わっているのではないか?

 歩きながら彼女は再び顔を古城の方に向ける。朝靄を纏ったジャーメイン城は、天から降り注ぐやわらかな光に照らされ神々しく輝いている。

 そのあまりの美しさに、思わず溜息を漏らす。蔦と苔に浸食された城壁を丁寧に磨きあげ、庭木に新たな命を吹き込んだ城主を、心の汚れ切った悪人とはどうしても思えなかった。

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