6話
壁掛け燭台の灯りが、地下室へと降りていく男を照らし出している。
一定の間隔で響く硬質な靴音……炎がゆらぐたび、彼の端整な顔に張り付いた濃い影が奇妙に歪む。
長く続く螺旋階段を下り更に進んだ先に、重厚な黒塗りの鉄扉がある。木霊する足音を引き摺りながら近づいた彼は、錆びた錠に鍵を差し込んで施錠を解いた。力を込めて引き開けると、蝶番が軋む音と共に埃と黴の臭いが通路に漏れ出てくる。
蝋燭の淡い光に照らされた室内は物であふれ、雑然としていた。正面の壁には背の高い棚が設けられており、赤い液体を満たした瓶がずらりと並んでいる。チェストや飾り棚に無造作に置かれた高価な宝飾品が灯りを反射して輝き、緻密な模様で装飾された陶磁器や硝子のグラス、様々な国で買い揃えた何種類もの香水や香料が埃をかぶりながら沈黙を守っていた。そのめずらしい品々の隙間を縫うように、褪せた写真が入ったフォトフレームがいくつも置かれている。被写体はすべて同じ女性である。
ライティングビューローの上には、新聞の切り抜きをスクラップしたものや、愛の言葉が綴られた手紙の束など……彼自身の繊細な思い出が並べられていた。羽根ペンが刺さっているインク壺はもうほとんどからっぽで、その横には貴族連中から送られてきた舞踏会や晩餐会への誘いの書状が封も切られぬまま山積みになっている。
年代物の美しいタペストリーや絵画が飾られた壁の前に、肘掛付きの長椅子が置いてある。その背凭れには、胸元と袖口に細かな刺繍が施されたサファイアブルーのドレスが掛けられている。
風もないのに蝋燭の火が激しく揺れた。その震える光を横顔に受けて――リュシアン・アルベスクは長椅子に歩み寄り、ドレスに腕を伸ばした。銀糸を織り込んだ仕立ての良い生地はしっとりと指先に馴染む。
「お兄さま」
いつの間にか戸口に女が立っていた。彼はそちらに振り返りもせず、よく通る声で言った。
「よく恥ずかしげもなく顔を出せたものだな」
「どうか怒りをお鎮めくださいませ」
石の床に片膝をついた彼女は深く頭を垂れる。
「私が眠っている間に勝手なことをさせるなと命じたはずだぞ」
「しかしあの子らも……」
リュシアンはゆっくりと女の方に振り向く。その虹彩は白銀に染まり、怒りと憎悪に満ちている。
「弁明も言い訳も聞く気はない」彼は青白いまぶたを閉じ、冷えた息を吐く。「ファヴィラ……。あれほど妹たちをしっかり躾けろと言いつけておいたのに」
靴音を響かせ、リュシアンは地面に傅いているファヴィラに近づく。そして、白銀からいつものアイスブルーに戻った瞳で見下ろした。
「それで、誰だ。食事の後始末をしてくれたのは?」
彼女は主の靴のつま先を見つめながら、静かな声音で答える。
「腹を裂き内臓を持ち去るという猟奇的な手口を見る限り……恐らく、エトワール生理学研究所の人間が絡んでいるのではないかと思われます」
リュシアンは口角をあげて喉の奥で笑う。
「ここでもその名を聞くことになろうとは」
これまで各国を旅してきたが、魔女狩りや異端審問などが行われている近年のクインレスタ教圏では必ずと言っていいほどエトワール生理学研究所の構成員が暗躍している。悪魔や魔物の類を始末することを目的とし、法の枠を越えた残虐な行いをも正義と位置付けている者たちだ。
「お兄さま……この地は危険です。いちどドラド大公国に戻り身を隠しましょう」
「ケンプベルを離れるつもりはない」
「研究所の人間ではなく教会が遣わした祈祓師の可能性もございます。相手の正体が掴めない状況であの御方を探すのは無謀な行為です」
「彼女の姿を一目も見ずに去れと?」
「時機は必ず訪れます。ですから……」
「400年待ったのだぞ」
言葉を遮り、彼はファヴィラを見つめた。怒りと哀しみが混じったその眼差しを受け、彼女は口を噤む。
リュシアンはファヴィラの脇をすり抜けて地下室を出ると、石の階段を上っていく。背中に続く小さな足音を聞きながら、彼は肩越しに尋ねた。
「マリアンヌの詳しい居場所はまだわからないのか?」
「25年から30年ほど前いずこかにて転生し、フォグハイム州からここルトマイア州ケンプベルに移動したことは確かです。しかしまたもや足取りが途絶えております」
「私も町中をくまなく探してみたが……彼女の面影を宿す者は見当たらない。どういうことだこれは」
「神の庇護を特に強く受けた土地……教会周辺の地域でお暮しになられているのではないかと。聖なる力は我々の目を欺きます」
「透視の力などあっても役に立たんな」
「その能力はまだ開花したばかり。いずれは神に守られし聖域まで見渡すことができるようになりましょう」
彼は不満そうに眉をひそめ、
「妹たちが吸血したのは10人だったか。……いま生き残っているのは2人。このどちらかということはないな?」
「確認しましたがそれはございません。どうぞご安心を」
「1人か2人で腹は十分満たされるであろうに、見境いなく10人も襲うとは」怒りと呆れに顔を顰めて続ける。「もう二度と無駄食いをさせるな」
「仰せのままに」
「残りの2人は今どうしている?」
「発作的に錯乱状態になり異常をきたすこともありますが、概ね通常どおり生活しているようです。しかし教皇庁の祈祓師らはもう、魔道に堕ちた者たちの居場所を嗅ぎつけているでしょう……始末されるのも時間の問題かと」
「忌々しい犬どもめ……」
リュシアンは思案顔で階段を上りきり、廊下を行った先にある吹き抜けの大広間に出た。しんと静まり返ってはいるが、確かに気配がする。彼は腰に手を当てると、溜息まじりに虚空へ呼びかけた。
「隠れていないで出て来い」
アーチを描く天井に冷えた声が響く。
するとどこからともなく小さな羽音がし、彼の目の前を一匹の蝙蝠が横切る。それは部屋の隅の暗がりに消えたが、次の瞬間その闇の中から黒いマントを着た女が出現した。ファヴィラのすぐ下の妹、ウングラである。
彼女はゆっくりとリュシアンとファヴィラに歩み寄った。マントについたフードを深く被っているせいで顔は見えない。
「私や姉の許可なしにこの近辺で狩りをしたそうだな」
リュシアンの声は聞こえていたが、陰気なウングラはうつむいたまま黙っている。
――今回のリュシアンの眠りは深かった。今日目覚めるまで数週間眠っていたことになる。ふだん彼は、自分が生まれた曜日である金曜日と、大地が神聖な力に満ちるクインレスタ教の祝祭日以外には睡眠を取らない。だが飢餓状態のときや月齢の影響を受けた場合など、この日以外にも眠りに落ちそのまま長く目覚めないことがあった。
ウングラは空腹に耐えられなかっただけで、困らせたいわけではなかったのだとリュシアンもわかっている。しかし眠っているのをいいことに約束を破り、滞在している町で騒ぎを起こしたことが彼の怒りに触れた。
「いいか、ウングラ。私は空腹を満たすことを禁じているわけではない。決まりを守れと言っているんだ」
三姉妹は3日に一度の食事を許されていたが、その際は必ず住まいから離れた地まで行くようにと、リュシアンはいつも口を酸っぱくして言っている。三姉妹の長女であるファヴィラはこの決まりを忠実に守っているが、問題は彼女の下の妹2人……本能のままに食事をする次女と三女は、リュシアンと姉の目を盗んで居住地の人間を襲い、しょっちゅうトラブルを起こしているのだ。




