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FATUM  作者: 紙仲てとら
第三章

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78話

 エミリアは自室でひとり、チェスボードを見つめている。盤面には黒と白の駒が整然と並べられ、静かにプレイヤーを待っていた。

 修道院ではこういった娯楽は禁じられている。しかしルールを破る者はどんな集団の中にもいるものだ。誰が持ち込んだのかは不明だが、乾物やフルーツジャムなどの保存食が貯蔵されている食品庫の奥に隠されており、皆がそれを知っている。持ち出して楽しんだあとは元に戻しておくのが暗黙の了解だった。

 隠れて娯楽に興じる者がいる中、自発的にチェスをしたいと思ったことはない。彼女の主な自由時間の過ごし方といえば、聖堂で祈るか図書館で本を読むか、星見の森を散歩するか、そのいずれかであった。

 エミリアは伏せていたまぶたを上げ、眼前の空席を見つめた。そして、古城での一戦を回想した。

 盤面を見つめる真剣な眼差しと、駒を動かす美しい指先。試合の展開に一喜一憂する姿。違和感などなにひとつなかった。

 だが、リュシアン・アルベスクは人間ではない。

 これまで正体を明かさず黙っていたということはつまり、知られたくなかったということだ。リュシアンは今後、自分と距離を置こうとするだろうとエミリアは思った。いつものシニカルな笑みを浮かべ、残酷に突き放してくるに違いない……

 離別の苦しみが忍び寄ってくるのを感じながら彼女は、もう一度チェスボードを見つめる。

 出した手紙に丁寧な返事をくれたリュシアン。若草萌ゆる星見の森で散歩をし、チェスをし、見つめ合った時間がすでに恋しい。修道院での孤独を癒し幸福をもたらしてくれた彼との思い出は今や涙に濡れ、夢のように霞んでいる。

「“寂しさや孤独を感じるとき、チェスをしなさい。チェスは精神を高め、戦いの助言をくれるだろう”」

 あの日のリュシアンの言葉を唇でなぞりながら彼女は、ルークの白駒を手に取る。

 “チェスとは盤上の戦争である”……船旅のさなかチェスを教えてくれた宣教師オーガストや対戦相手に、人を殺す覚悟で勝負しろと言われたが、普段は穏やかで愉快な彼らがなぜ死に物狂いで戦いに挑むのか理解できなかった。

 しかし今ならばわかる気がする。彼らは皆、己に課せられた運命に翻弄され、憔悴し、孤独だった。やり場のない感情を、盤上でぶつけ合っていたのだ。

 ――リュシアンもそうだったのだろうか。

 人でないものが人間社会で暮らすことは容易ではないはずだ。長い航海を共にしたあの船乗りたちと同じく……彼も遣る瀬無い思いを抱えながら友や仲間とチェスをし、孤独の痛みを紛らわせていたのだろうか。己の運命に苦しみ、悩み迷っていたのだろうか……

 物思いに耽っている彼女の耳に、扉を叩く音が届く。

「シスター・エミリア。いるのか?」

 ギルバートの声だ。

 エミリアは立ち上がり、細く開けた扉の隙間から顔を覗かせた。

 警戒しているのか、緊張した面持ちの彼女を見下ろし、ギルバートはひそめた声で言う。

「墓のひとつが何者かに荒らされたようなんだ……ちょっと来てくれ」

 それを聞いた彼女は顔の色を失う。すぐに頷いて、廊下に飛び出した。

 彼に連れられ、急いで教会の裏手に広がる森の中の墓園へと向かう。そこには庭師、トマス神父、そして数人の修道士が立っていた。

「墓守が体調不良で寝込んでるっていうんで……植木の手入れがてら園内を見回ってみたら、土が踏み荒らされとったんです」

 老いた庭師が視線で示したそこは、クレアに殺害されたメリッサ・カラベの墓だ。

「痕跡を見るにつけ動物のしわざでもなさそうだし、ご遺体を確認した方がいいかと思いましてね」

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