76話
片付けを済ませ逃げるように食事室を出た。中庭に面した回廊を足早に行くさなか、刺すような視線を感じ振り向けば、遠くでギルバートがこちらを見ていた。彼女は胸の底に冷たい水が流れたような気がして身震いし、小走りになりながら司祭館に入った。
トマス神父の部屋の前まできて背後をもう一度振り返る。長い廊下の先には誰もいない。エミリアはそっと胸を撫で下ろして扉に向き直ると、風に乱れたベールを直してから、ためらいがちにノックした。
「神父様……エミリアです」
「入りなさい」
一拍置いて返ってきた声を受け、緊張の面持ちで扉を開ける。
室内は薄暗かった。閉められたカーテンのわずかな隙間から差し込む一筋の光に照らされたトマス神父は、執務机に向かい、紙面に目を落としていた。
「シスター・エミリア……」彼は顔を下に向けたまま重々しく溜息をついた。「ほとぼりが冷めるまで静かにしていなさいと言ったのに……無断で外出したうえ、門限まで破ったそうですね。皆が騒いでいましたよ」
エミリアは神父の前に歩み寄り、頭を垂れる。
「申し訳ありません」
「規律や言いつけは守らねば。……とはいえ、修道院の中でひとり過ごしていては息苦しく気が塞ぐのもわかります。今回だけは許しましょう」抑揚の少ない声で言い、嘆息したのちに続けた。「それで、昨日はどこで何を?」
エミリアが入室してからずっと、神父は一度も視線を上げない。
「友人と会っていました」
「はて……友人とは?修道会の人間ですか?」
「いいえ。ジャーメイン城の主、アルベスク様です」
ここにきて初めて彼は顔を上げる。
「かかわるなと言ったはずですよ。シスター」
「今もアルベスク様を警戒してらっしゃるのですか?レイモンド公の声明により疑いは晴れたはず。あの御方は――」
「リュシアン・アルベスクに近づいてはなりません」
エミリアの言葉を遮って鋭く言い放ったそのとき、部屋の扉が叩かれる。エミリアは体ごと振り向き執務机の前から離れた。
開けたのは修道士のひとりである。
「神父様。マクドウェル様とカールソン様がお見えです」
「応接間にお通ししてください」
眉間に皺を刻んだトマス神父は、目頭を指で揉んだ。そして外した眼鏡のつるを折り畳みながら立ち上がり、エミリアを睨むように見る。
「シスター・エミリア。異国の徒であるあなたを神の子として迎え入れてくださったゴドリック大主教への恩を忘れぬよう……義に応え義に尽くし、清くあれ」
エミリアは茫然と立ち尽くしていたが、やがて何も言わず、静かに一礼した。
トマス神父が応接間に入ってくると、マクドウェルとカールソンは窓際の長椅子から立ち上がり、差し出された彼の手を固く握った。
「お忙しいところ申し訳ありません」
「ようこそお越しくださいました。どうぞお掛けになってください」
トマス神父は祭服に風を孕ませながら木製の粗末なアームチェアに座す。ふたりはテーブルを挟んだ向かい側にそれぞれ腰を下ろした。
尻が痛くなりそうだ……座面の硬さを感じながらそんな呑気なことを考えているカールソンの横に座したマクドウェルは、今にも神父に噛みつきそうな顔をしている。
「おふたりともお元気そうでなにより」
「神父様もお変わりなくて安心しました。なにしろケンプベルはいま大変革の真っ只中にありますからね……気苦労が絶えず疲弊しているのではと心配だったんです」
作り笑いを浮かべるカールソンに軽く相槌を打つと、神父はマクドウェルの方に目を遣る。
「聞きましたよマクドウェル殿。近々ケンプベルの邸宅を売却し、ホールロウのタウンハウスに住まいを移されるご予定だとか。都会での暮らしが楽しみですね」
微笑を湛えつつ言った彼は、マクドウェルが唇をきつく引き結んで反応せずにいるのを瞬きもせず見つめ、感情に乏しい声で続ける。
「治安官は暴徒や殺人鬼を相手取り命がけで職務にあたらねばなりませんから……任を解かれ、奥方様も安堵されたことでしょう」
「俺たちは世間話をしに来たのではありません。それくらいおわかりのはず」
険阻な顔つきのマクドウェルは、身を乗り出すようにして神父の濁った目を覗き込んだ。すると彼はくすくす笑って、
「いいえ、さっぱりわかりません。友と談笑するつもりで訪れてくれたのではないのなら、いったいどんな御用で?」




