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FATUM  作者: 紙仲てとら
第二章

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62話

「憶測でものを言うのはそこまでだ。貴様はファヴィラのことをまるでわかっていない」

 微かにかぶりを振り鼻で笑ったリュシアンの横顔を、勢いを増した火が赤々と照らし出す。

「我が主よ、これは決して妄言などではございませぬぞ。ファヴィラ嬢はあなた様を誰にも奪われたくはないと思っている。それがたとえ900年以上の長きにわたりあなた様が想いを寄せている人間であろうとも」

 口元から笑みを消したリュシアンの脳裏に、エミリアの姿が浮かぶ。

 ファヴィラがマリアンヌの生まれ変わりに悪感情を抱くわけがない。あの生真面目なヴァンパイアは出会ってから今日に至るまで献身的に仕えてきてくれた。転生先を占い、導いてくれたのも彼女だ。

「滅多なことを言うなイグニス。ファヴィラは義妹であり血の契りを交わした忠臣である。マリアンヌと私のために力を尽くしてくれているところを見れば、その誠実さは疑うべくもない」

「かつて人間であったあなた様には、ファヴィラ嬢の献身は無償の愛のように映るのでしょうが……そんなものは幻にすぎません。すべてはあなた様を手懐け意のままに操ることを目的とした打算的な行動です」

 イグニスは火の舌でリュシアンの肌を舐め、低めた声で続ける。

「ファヴィラ嬢があなた様のため己を犠牲にしているのは事実……しかしこれは人間世界でいうところの愛などではございません。魔物とは嫉妬深く執着心が強く、強欲で、自分の為になることでなければ行動を起こさないものです。あの娘は魔女に呪われし女の腹から生まれたいやしきもの……あなた様が思うよりも利己的で卑劣なことをお忘れなきよう」

「私の妹を悪く言うのはよせ」

「身を削る献身を美しい仲間意識や愛情と捉えてはなりません。元人間であるあなた様と純血の魔物の考え方はまったく異なるのです」

「貴様はどうなんだ。見返りありきで私の傍にいるというのか」

「魔物はみな同じです。己の利のみを追求し、使えるものはなんでも使います」ランプが割れ、そこからこぼれた火が声を重ねる。「我が父カルカダーラの寵愛を受けるあなた様は全魔物の中でも類を見ないほど優秀で、強大な魔力をお持ちだ。地獄の王の愛し子と呼ばれるあなた様にお仕えしていると聞けば、誰もが私の前にひれ伏し額ずく」

 立ち尽くすリュシアンの影を壁に映し、イグニスは平然と言葉を連ねた。

「祈り火フラーマを斃せなかった私は父に愛されず、魔界で軽んじられる存在でしたが……今や母すら私に逆らえない。はっきり申し上げましょう……私はあなた様の権威を利用し自身の地位を確立したのです」

 彼は絶句し、猛々しく燃える火を凝視した。驚愕はやがて嫌悪に変わり、彼は怒りを孕んだ声で詰問する。

「イグニス……私が魔力を失ったら困るおまえがなぜ人間の体に近づく術を教えた?嘘か?あれは」

「まさか!」地獄の火は即座に叫んで呵々と笑い、「決して虚言ではございません」

「貴様も狼と同じく、私が魔物として闇に生き続けることを望んでいるはずだ。なのになぜ」

「尋ねられたので答えたのです。私は主に逆らうことはいたしません。あなた様が本心で望むことならば従うまででございます」

 それを聞いた瞬間、リュシアンはイグニスの言葉の裏にあるものを感じ取った。

 尋ねられれば答える。意見に反対はしない……イグニスは従順であるがしかし薄情なのだ。自分が仕える主の背に矢が飛んでくるのがわかっていても、助けろと命じられなければ動かない。流れ矢が自分の方に飛んでくるようなことがないかぎり見て見ぬふりだ。注意を促すこともなければ身を挺して守ることもないだろう。

「どうか警戒なさらないでくださいませ。私は主君の忠実な下僕。あなた様が魂の片割れとやらを信じ、会いたいと願うならば必ず叶えてさしあげましょう。たとえ残酷な現実があなた様を痛めつけ、絶望させるとわかっていたとしても……」

「――なんだと?」

 リュシアンはこぼれんばかりに目を瞠った。

「もしや貴様……知っていたのか?マリアンヌの魂が神のしもべとなる運命を背負って生まれ変わるということを」

 ハンカチーフを握り込んだ手を震わせ、蒼白の顔で言を継ぐ。

「尋ねられなかったから黙っていた、そうだろう」

「いいえ、その件につきましては存じませんでした。私は予知能力を持ちませぬゆえ」

「しらを切るつもりか……」

「お言葉ですが、怒りの矛先を向けるべき相手は私ではなくファヴィラ嬢ではないでしょうか。私と違い、未来の断片を見ることのできる彼女はマリアンヌ様が修道女となることを半世紀以上前から予知していたはず。しかし、その情報をあなた様にお伝えすることはなかった。これまでに転生した3人の女たちのときもそうです。再会前すでに、マリアンヌ様が他の男と家庭を築いていることを知っていたはずであるのに報告せず黙っていた……」

 蝋燭の芯からこぼれ落ちた火が笑う。光の帯を引きつつ石の床を跳ね、踊りながら笑っている。 

「ファヴィラ嬢はなぜ真実を隠し、すでに夫と子のいるマリアンヌ様と再会させあなた様を苦しませてきたのでしょうか。なぜ毎回、マリアンヌ様が既婚者となった後の出会いとなってしまうのでしょうか……。私は常々思っていたのです。まるで、ファヴィラ嬢があなた様とマリアンヌ様の運命を手のひらで転がし、弄んでいるようだと……」

 リュシアンは愕然とし、赤々と燃えるそれをまばたきも忘れ見つめた。

「あの娘はなにかよからぬことを考えているようです。くれぐれもお気をつけくださいませ……」

 イグニスのその言葉を最後まで聞くことなく、リュシアンは棚に並ぶ燭台を腕で薙ぎ払う。室内を照らし出していたすべての火が、ぼうと音を立ててひときわ大きく燃え上がった。その次の瞬間、静かな闇が訪れすべてが黒に溶ける。

 立ち尽くしたリュシアンは、狭い空間に自分の呼吸の音だけが響くのを聞いていた。

 イグニスは奸悪な火の精霊だ。自分以外の者に不幸が降りかかることを望み、苦痛に歪む顔を見て喜ぶ。仕える主に矢が刺さりそうでも命じなければ助けはしない。そんな存在が今回自ら警告してきたのは、自分にとって大きな損害となる事態が起こると予感してのこと――つまり従属する主の命を脅かすような危険が迫っていると察知したからであろう。そしてその危険は、ファヴィラの謀略により引き起こされるかもしれないと、火は警告している。

 しかしリュシアンにはまだ、義理の妹である彼女を信じたい気持ちがあった。邪悪な精霊イグニスと同じく、人の情動を知らない冷酷非道な魔物という存在に、清い心は望めないとわかってはいても。

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