61話
棚に並ぶ蝋燭や天井から下がったランプに次々と火が灯っていき、長椅子の背凭れに掛けられたサファイアブルーのドレスが光を受けやわらかく浮かび上がる。
「今世も結ばれることが叶わぬならば、かの修道女をさっさと葬って次の転生をお待ちになればよろしい……拒みながらも突き放しきれないあなた様のお気持ちは、生まれながらにして魔物の私にはとうてい理解できませぬ」
「そんなことをわざわざ言いにきたのか」
リュシアンは明かりを受けて光るドレスを見つめたままぼんやりと言葉を返す。
「私が勝手に期待して勝手に傷ついた。エミリア・コレットは何も知らずこの時代に生まれ落ちただけ……こちらに彼女の人生をどうこうする権利などあるまい。人としての一生を自由に生きて死ねばいい」
火が爆ぜるちいさな音が響く。リュシアンはうつむき、腰に下げたポーチからハンカチーフを取り出した。白く清潔に洗い上げられたそれは、エミリアの清らかさそのものに見える。
「闇に抗い闇を厭う……あなた様は私が今まで見てきたどんな魔物よりも己のことを忌み、憎んでらっしゃる。あなた様にお仕えするまでは、永遠の命と永遠の美は万人が欲するものだとばかり思っておりましたから、驚きです。よろしければ教えていただけませんか……900年以上深淵を覗き込み闇と目を合わせていながら、今なおご自分の運命を否定なさるのはなぜなのか」
物憂い顔で黙り込み首を横に振った主を前に、イグニスは愉快そうに揺れる。
「誰よりも長くお仕えしている私にさえ心根を明かさず孤高を持するとは、ああ……なんと気強くご立派でありましょう。それでこそ我が主」
「美辞麗句は聞き飽きた。なにか報告があるなら手短に申せ」
冷え冷えとした声を聞いた火は、愉快そうにひらひら舞いながら言った。
「ファヴィラ嬢の急激な魔力低下の原因……トニトルスがあれこれと自論を述べ立てておりましたが、いささか言葉足らずであったようですので申し添えにまいりました」
「禁断のまじないや占術に力を使いすぎたからでは?」
「確かにそれもあるでしょう。しかし魔力低下を招いた一番の要因は、複数の魔物を主と仰ぎ仕えたことにございます」
それを聞いたリュシアンの眼光が鋭くなる。
「私以外の者と血の契りを結んだのか?」
「左様。あなた様もご存知の通り、己よりも格下の者と契約しそれの主となるのは何の問題もございません。しかしファヴィラ嬢が契った相手は自身よりも格上の者。つまりあなた様ともう一人の上級魔物に使役されたということ」
魔族の間で結ばれる血の契約。従僕となった者はいついかなる時も主からの命令に応えねばならない。複数の主に使役されることは、それだけ心身に大きな負荷が掛かる。
「――無茶なことを」
つぶやいたリュシアンは眉根を寄せ唇を噛む。血をほとんど摂取せず魔力が弱っていたせいか、ファヴィラの不穏な動きに全く気付かなかった。
「あなた様の愚かな義妹が契約を交わしたのはゼールラント帝国の最北端にある廃村バンクホーネスに棲まう魔女ターシャ・ベルーカ。ご存知のとおり、三姉妹の育ての親にございます。ファヴィラ嬢はこの義母に、幼少期から魔術や占術を教え込まれていたようですが……あなた様のお役に立つため今ふたたびその懐に入り教えを乞うて、新たなる能力を手に入れようとしたのでしょう」
「あの魔女のことだ。娘の願いを善意で聞いてやったとは考えられん。いったいなにを企んでいることやら……」
「ご安心ください。かの魔女は死にました」
「死んだ?」
にわかには信じ難い。怪訝な目を向けると、火は笑いを含んだ声で囁くように言った。
「どうやらファヴィラ嬢に裏切られ命を落としたようです」
「彼女の死とファヴィラは無関係であろう」頬に流れる髪を掻き上げながらリュシアンは小さく息を吐いて、「従者は主を殺せないはずだ」
イグニスがからからと笑い声を上げる。その響きと共に、無風であるにもかかわらず燭台の火が激しく揺れた。
「あなた様のおっしゃるとおり、血の契約により従者は主の命を奪うことができません。ですが、己の配下に殺害させることは可能です。まったく無関係の人間に依頼して殺させた、ということも考えられます。どちらにせよ、ファヴィラ嬢が北の魔女を亡きものにしたことは事実。すべての知恵と技を授かり用無しと見做した可能性もありますが、おそらく……あなた様と自分にとって邪魔な存在であると認識し凶行に及んだのでしょう」
身を震わせ煌々と燃える火は更に声を紡ぐ。
「ファヴィラ嬢は、妄執に取り憑かれておるのです。あなた様のお傍にふさわしいのは自分だけであると信じて疑わず、長く同じ時を過ごした盟友や血を分けた妹たちさえ邪魔なものと思い、敵視している……」




