58話
重だるい体を長椅子から剥がし立ち上がったマクドウェルは、酔いを覚まそうとするように頬を叩きながら机上を覗き込み、片眉を上げる。
「これは?」
「ゼールラント帝国ロスコーカレッジの宗教学者が大昔に書いた本だよ」
「ロスコーカレッジだって?」
「少し前に別の事件を捜査していたとき、犯人の家の書庫で発見してさ。やけに読み込まれていたから、犯行の動機に繋がるかもしれないと思ってひととおり目を通したんだよ。書かれているのはクインレスタ教にまつわる真偽不明の話ばかりなんだけど、その中にちょっと気になる部分があってね。君の意見を聞きたくて持ってきたんだ」
マクドウェルは気乗りしない様子で老眼鏡を取り、陽に焼け変色した表紙をめくった。唇をへの字に曲げ、紙面を埋め尽くす細かな文字を目でなぞる。
ロネ語だ。遥か昔に習ったが、もうすっかり忘れてしまった。難しい顔をしている彼の手から本を取り、カールソンが代わりに読み上げた。
「太陽が眠るとき、幽寂たる常闇にて死者の息遣いが聞こえる。その呼びかけに応えてはならない。招いてはならない。門を、扉を、窓を、固く閉ざせ。死者との姦淫をここに禁ずる”」
「死者からの呼びかけ?」
「古語は難解だから断片的にしか翻訳できなかったけど、なかなか興味深いことが書いてあるんだ。――死んだ夫が墓から蘇り、夜遅くに妻の住む家に訪れてきた。妻は信じられない思いだったが家に招き入れた。愛し合うふたりは情交を結び、子を成したと」
カールソンの話はこうだ。
夫は夜にしか来ない。朝になると忽然と姿を消していた。いつの間にか眠ってしまい、目が覚めるといないため、妻は願望が見せる夢なのだろうと思っていた。しかし彼女にはひとつ気になることがあった。夫が夢に現れるようになってからというもの、農場で飼育している家畜が血を抜かれ干乾びて死ぬという奇怪な事件が頻発していたのである。
目撃者はおらず、被害が日に日に拡大していくなか、さらに不可思議な現象が起こった。死んだはずの身内が家にやって来たと訴える者が次々と現れたのだ。
街中が騒然とするなか、夫と逢瀬を重ねていた妻の妊娠が発覚する。新たな命を宿した彼女はそこで初めて、夫の死そのものを疑い始めた。
彼が静かに棺の中で眠っているとは思えない。埋葬後息を吹き返し地上に出たものの、死人が帰ってきたと大騒ぎになることを恐れ、ああして真夜中に会いに来るのではないか?
事の真相を明らかにするため、妻は司祭に協力を依頼し、夫の墓を暴いた。
するとそこには驚くべき彼の姿があった。
埋葬してから長い時が経過しているにもかかわらず腐敗は全く進んでおらず、髪も爪も伸びている。多少青白い顔をしてはいるが肌には張りがあり、生者そのものだ。唇は赤黒く汚れ、丸く開いた口の中には新鮮な血液が溜まっている。
これ以前に棺が開けられた形跡はなかった。それにもかかわらず夫は夜な夜な出歩き、血を啜っているのだ。
妻は恐怖に身震いした。腹にいるのは死者との間にできた子だ。
この一件を受け、教会側は疑わしい墓を次々と暴いていった。すると彼女の夫のような現象が掘り起こしたすべての棺の中で起きていたのだ。
邪悪なる者のしわざと見た司祭はセルリオス教皇庁に書簡を送り、助けを求めた。その数日後、ひとりの男が村を訪れる。教皇庁からやってきたその男は祈祓師と呼ばれ、悪魔や魔物を駆逐することに生涯を捧げているという。
祈祓師は一連の事件を、人間や獣の生き血を糧としている不死身の魔物ヴァンパイアのしわざと断定した。
彼らは通常、人間を餌と見ているが時に仲間にすることもあるといい、選ばれた者は血の契約を結ばされ、不老不死となり血を求めるようになる。永遠の命を断つためには心臓に銀製のナイフか白木の杭を打ち込み、銀貨を口いっぱいに詰めたのち頭部を切り落とさねばならない。
祈祓師は変異が起こっている遺体にそれを施し、また、生者であっても吸血された痕が見受けられる者はすべて殺し手順通りに埋葬するよう助言した。
司祭は村の住人を調べ上げ、疑わしい者を処刑。最初の被害者ともいえるその妻も吸血された疑いがあるとして子どもを産む前に殺された。それ以降、死者が夜毎訪れてくるということも、家畜が失血死することも起こらなくなったという。
「心臓に杭を打ち込み、頭を切り落し、口の中に大量の銀貨を詰める……これまでに起こった殺人事件の手口に似ていると思わない?」




