57話
ケンプベルにはハントピグリー国教会が建てた教会や礼拝堂しかないため、聖杯会信者が住民の大半を占める。教理の違うマセス教会に属するレイモンド公爵の領地となるにあたり多くのマセス教徒が流入してきたため、信者同士の摩擦があるかと思われたが、意外にもそういった問題は起こっていない。
深刻な軋轢を生む原因となったのは、宗派間の対立ではなく、町を守り運営していた役人の一斉解任である。亡きルトマイア公エリック・デュランに信頼され役職に就いていた下級貴族たちは一人残らず解雇され組織から追い出された。現在ケンプベルを取り仕切るのは、公爵の本拠地レイモンド州の州都ブラウセンからやってきた者たちだ。
公庁が管轄する治安管理局も例外ではない。ケンプベルのために骨身を惜しまず働いてきたチャーリー・マクドウェルとその相棒であるアレックス・カールソンも治安官の地位を剥奪され、これまでに授かったすべての栄光と権利を失った。
「チャーリー……。また飲んでるのか」
執務室に入ってきたカールソンはあきれたような声を出す。
長椅子に寝そべり、ウイスキーグラスを呷っていたマクドウェルは血走った眼で相棒を見遣る。
「君こそまた来たのか……たいした用もなかろうに」
呂律の回らない舌で言うと、大きなげっぷをひとつし、再び天井に目を戻した。
腰に片手を当てたままサイドテーブルに近づいたカールソンは、灰皿の中の大量の巻き煙草の吸殻と、床のあちこちに転がっている酒瓶を交互に睨み、苦々しい顔をする。
「ダイアナが心配していたよ。人が変わってしまったようだと」
マクドウェルは火のついた煙草を口に銜えたまま反応しない。けむりが揺蕩う天井をうつろに眺めるばかりだ。カールソンは唇から煙草を奪い、ひとくち吸ってから灰皿にこすりつけた。
「彼女にはもう君しかいないんだ……大事にしてあげなよ」
尚も黙っている彼を見つめながら肺に残った煙を吐くと、溜息まじりに言を足す。
「すっかりヤケになっちまって……。役職を剥奪されたからって腐っているのかい」
「まさか。ただ失望しているだけさ……あんな人物を懐に入れた聖ラディウス教会と、無力な自分自身にな」
しゃがれた声で返し、瓶に直接口をつけウイスキーを流し込む。レースの袖で乱暴に口元を拭いながら、彼は続けた。
「ルトマイア州の要であったエリック様が惨殺されたことでこの町の均衡は一気に崩れた……俺たちはなんとしてでも彼を守るべきだった」
「殺害される前日、神父に懺悔してたんでしょ?内容はわからずじまい?」
「守秘義務があるからどんな罪を犯したのかまでは教えてもらえなかった。ただ、不気味な夢や相次ぐ怪死がエリック様の正気を奪ったことは確かだ。今さらながら後悔している……あの御方のためになにかできることがあったんじゃないかと」
「後悔しているなら引きこもってないでさ、僕たちふたりでやれることをやってやろうじゃないか」
「職を解かれた俺たちにはもうなにもない。厄介事は御免だよ」
「では僕ひとりでやろう」
マクドウェルは薄笑いを浮かべ、踵を返したその背中に声を投げる。
「いつも威勢だけはいいな。一体なにができると言うんだ?この状況で」
「権力と権限だけが、君のすべてだったの?」
カールソンは振り向き、
「もっと熱意がある奴だと思っていた。残念だよ」
見たこともない冷えた目で突き離すように言い捨てると、ドアを引き開ける。
「アレックス」
ドアノブを握りしめたまま動きをとめたが、振り向かない。すらりとした背中を見つめながらマクドウェルは上体を起こし、両手で顔を覆うと酒臭い溜息を吐く。そして少々投げやりな調子で言葉を継いだ。
「もったいぶってないで早く言わないか。有力な情報を掴んだからここへ来たんだろ」
カールソンはにやりと笑い、振り向く。
「そうこなくては」
言いながら彼の執務机に歩み寄り、鞄から一冊の本を取り出した。




