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FATUM  作者: 紙仲てとら
第二章

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55話

「ヴァンパイア化する原因をつきとめ……治療方法を見つけるためですか?」

 ジョンストンが静かに言葉を返すと、トマスは小さく頷く。

「君も知っての通り、彼はセルリオス教皇庁の祈祓師でありながら、エトワール生理学研究所という特殊な組織とも繋がりを持っている。若いころレイモンド公爵の思想や理念に感銘を受け、神命使徒の会に入会し祈祓師となったそうですが……今では閣下と真逆の考えを抱いているようだ」

 レイモンド公は、邪祓いの儀式が失敗したらすぐに少女を殺せと命じてきた。しかし博士はそれと反対の立場を取っており、儀式が失敗しても殺さず生かしておけと言う。

 博士はかねてからクレア・オルビーを観察し事細かに記録している。定期的に少女の血液や唾液を採取し、時には皮膚を切り取り毛髪を抜いて持ち帰ることもあった。そして先ほども、弛緩した彼女の体に謎の薬剤を投与しているところを目撃してしまった。

 そのときトマスは思った。彼は初めから、邪悪なものに蝕まれた人間を神が救うわけがないと諦め、儀式が不成功に終わることを確信していたのだろうと。

 祈祓師として教皇庁に仕えていてもその本懐は、エトワール生理学研究所なる組織の構成員として治療方法を見つけることなのだ。実際、彼は非常に研究熱心であり、神に祈ったりすがったりするような発言は一切しない。人間が自我を失い獣のようになることに魔物の邪気や瘴気といった非科学的な事象が関係しているとしつつも宗教的儀式を軽視し、原因究明のためには医学的・科学的な観点が必要だと主張している。

 信仰心を失ったに等しい彼がなぜ今も祈祓師を名乗り続けているのかは容易に想像がつく。信心深いマセス教徒として有名なレイモンド公に取り入るためだ。

 博士の属するエトワール生理学研究所は非力な民間団体であり、法の枠の外で自由に動くには国の内政を牛耳る宗教団体と貴族院の後ろ盾が必須となる。近年彼らが急速に力をつけてきているのは、グラーツ博士がセルリオス教皇庁と縁の深いレイモンド公を懐柔し、裏で操っているからだ。

 レイモンド公の寵愛を失わぬよう、博士はクレアの死を偽装するに違いない。彼は神ではなく研究に魂を捧げた人間だ……被害者はこの少女だけにとどまらないであろうと思われた。ケンプベルの浄化という名目で捕らえられた者たちの中にヴァンパイアがいれば秘密裏に拉致し、クレアと同様に閉じ込めて生かし続け、残酷な実験をするはずだ。

 彼は従順な祈祓師という仮面を被り、この先もレイモンド公を欺き続けるだろう。研究所の発展と自分の探求心を満たすために。

「あれを生かすと博士が言うならば、協力しましょう。地下牢に幽閉していることはくれぐれもレイモンド公爵の耳に入れないよう頼みます」

 トマス神父はジョンストンに言い含めると、上り切った階段の先に現れた巨大な鐘を見上げる。

「ランドルフ・グラーツのしていることを神父様もよくご存知のはず。彼は幼い子どもを傷つけ苦しめている外道だ。協力などする必要はありません!」

 ジョンストンは苦悶の表情を浮かべ、言葉を継ぐ。

「神父様、私は……救えないのならば、解放してやりたいのです」

「今すぐに殺すべきだと?私の手で」

 直接的な言葉に、ジョンストンはびくりと身を強張らせた。蒼白の顔で小刻みに震えている彼に振り返ったトマスは、冷ややかな眼差しを浴びせながら言葉を継ぐ。

「勝手な行動は慎み、指示を待つようにと博士から言われています。それに……殺処分するには早すぎる。あれはまだ十分に罰を受けていませんから」

「あなたはご自分の行為や考えが正しいと、本気で思っておられるのですか?それが、神の望みであると……」

 悲痛な色を含んだ彼の言葉に、トマス神父は答えなかった。消沈しうつむく若者に再び背を向け、淡々とした口調で言う。

「祈祓師とは名ばかり。グラーツ博士は、神の力を借りて問題を解決することなどとうに諦め……ヴァンパイアと化した者に施す治療法を探し出そうとしている」

「しかし神父様……!どんな大義があろうと、人間を生きたまま実験台にするなどあまりに惨い」

「クレア・オルビーは人の生を捨て怪物になったのだと、何度言えばご理解いただけるのですか?」

 冷淡な声に総毛立ち、ジョンストンは表情を固めて黙り込んだ。少女を哀れに思う気持ちが胸に込み上げるも、目の前の老獪を説き伏せる言葉を持たぬことをこの若者は知っている。舌の先まで出掛かった罵倒の声を飲み込み、唇をきつく噛みしめるばかりだ。

「清らかな魂は穢され、今や邪悪なる者の手中にあるのです。ゆえに肉体を捧げ苦痛を受けることが禊となる。罪を贖えぬまま死ぬなど……クレアの魂も望んではいないでしょう」

 神父はそう続けた。錯乱した少女を目の当たりにし、彼は聖なる力が悪の力に勝るとは限らないことを身をもって感じていた。天から降ってきた一滴の絶望は彼の眼を曇らせるのに充分すぎるほどだった。

「あれの監視を続けましょう、ジョンストン殿。博士に研究成果を挙げてもらうことができればこれ以上のことはない。あなたにも引き続き協力を願いたい」

「やめてくれ……!もうたくさんだ!」

「すべては神の意思。私は神の代弁者である……」

 黒い穴のような目を細めてつぶやくと、トマス神父は石造りの手摺りに寄り掛かり、朝陽に暴き出された街並みを眺める。

 彼らの頭上で、鐘ががらんと鳴った。急に怯えたような顔になった神父はゆっくりと天を振り仰ぐと、祈りの指を組む。いつもなら心洗われるような鐘の音が、今日はひどく不快なものに聞こえた。

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