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FATUM  作者: 紙仲てとら
第二章

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42話

 自信満々に言ってのける博士に異議を唱えたのはトマス神父だ。

「私はメリッサがヴァンパイアであったとは思えません。クレアに襲われた彼女の心臓は止まっていた。それは医師が現場で確認しています。なにより、ヴァンパイアならあの程度の傷で死んだりはしないでしょう」

「一度に大量の血を失って仮死状態となったのではないかと。不死身の魔物とて深手を負えば弱体化しますからねえ。それに、彼らの心臓の拍動は人間のそれよりもだいぶ遅く弱々しい。医師が脈を取り損ねたとも考えられます」

 絶句する彼らを交互に見て、博士は顎鬚を撫でつつ持論を続ける。

「彼女はおそらく、見たら死ぬと言われる夢の噂が町に出回り始めた時期にクレアに吸血され、救貧院で襲われたときにはすでにヴァンパイアとして完全覚醒していたのでしょう」

「なんということだ……」

 トマス神父は青ざめた顔で口元を押さえる。それを横目に見ながら、博士は平然と続けた。

「魔物にまつわる文献の中には、ヴァンパイアとして目覚めるに従い血液への渇望は強くなっていくとあります。最初は動物、次に人間。多くの血を啜り、精気を吸収することにより魔力が強化され完全覚醒し、人間を遥かに凌駕する身体能力と特殊能力を得る。しかし、実際に私たちの脅威となり騒ぎを起こすのは一部の下級ヴァンパイアのみ……上級ヴァンパイアの大半は理性的で暴走することもほとんどなく、野生動物の血を糧とし静かに暮らしているようです。ルトマイア公爵が怪死して以降、ケンプベルで殺人事件は起きていない。つまりメリッサ・カラベは人の血を日々の主食とせず、主に動物の血で飢えをしのいでいた。人に紛れて生活するには大人しくしているのが一番ですからね」

「これまで通り周囲と関わり……ヴァンパイアであることを隠し続けていたと?」

 ジョンストンが小さく口にすると博士は頷き、

「どうやら彼らは階級によってかなり知能差があるようでしてね。メリッサ・カラベは理知的で冷静な上級ヴァンパイアであり、自身の特殊能力に翻弄され錯乱することもなかったことから誰にも怪しまれなかった。クレアは知能の低い最下級ヴァンパイアとして覚醒してしまったがゆえ、心身の制御がうまくできなかったのでしょう。――そういえば……ここのところ町の周辺で家畜が襲われる事件が頻発していたようですね。それに加えて、隣村のラナデルで住人の大半が失血死している……。もしかしたら一連の事件の犯人はクレア・オルビーかもしれませんな」

「そんなまさか……」

「大人をも凌ぐ異様な強さを考えれば、彼女が頻繁に血液を摂取していたことは間違いない。階級が低ければ低いほど攻撃的になり、見境なく人間を襲い、騒ぎを起こす」

 辺りがふと暗くなった。見れば、壁掛け燭台の蝋燭の火が消えている。風など吹いていないのに――ジョンストンは背筋をぞっと震わせた。

 クレアを囲む蝋燭の光だけが淡く揺れるなか、博士の声が朗々と響く。

「さて……最大の謎は、少女の夢に出てきた妖精の正体だ。いったいどこに隠れているんでしょうねえ……」

「目星はもうついています。ジャーメイン城の住人です」

 言い放ったトマス神父に、博士は体ごと振り返った。

「諸悪の根源は、アルベスク家の人間であると?」

「彼ら以外に考えられません」

 断言する彼に冷ややかな笑みを向けた博士は、鷹揚に頷く。

「神父様がそうおっしゃるなら私の方でも調べてみましょう。しかしながら、ケンプベルはいま混乱のさなかにあり、教派の違う私のことを疎ましく思う聖杯会信者も多くいる。調査が順調に進むかどうかは、彼らから絶対的な信頼を寄せられている神父様のお心次第です」

 彼の言わんとすることを、トマス神父もジョンストンもわかっている。

 早急に領主を据えねば、ケンプベルの町はますますの混乱に陥るだろう。恐怖に慄き騒ぎ立てる民衆を鎮圧し、圧倒的な統率力で導いてくれる人物を早急に迎え入れねばならない。だが……

 黙り込んでしまったトマス神父とジョンストンの前を通り過ぎ、壁の燭台に火を入れながら、博士はのんびりとした口調で言った。

「“煉獄より解き放たれし邪悪は鋼鉄の槍で天を突き刺し血の雨を降らせ、またたくまにこの世すべての地と海を穢した”……熟考している時間はありませんよ」

 マッチの火を吹き消して微笑む彼から目を逸らし、トマス神父はクレアを見つめる。ジョンストンは神父に顔を近づけ、消え入りそうな声で訴えかけた。

「神父様……やはりここは、レイモンド公爵に指揮を執っていただくべきでは……」

 トマス神父の心中をあらわすかのように、彼の影が蝋燭の薄明りに震え、揺れる。

 博士はジョンストンの言葉を耳聡く聞きつけ、彼らの背中を眺めながらどちらにともなく口にした。

「公爵の指示のもとであれば私も動きやすい。なにせ活動資金を潤沢に用意してもらえますから」

 神父は血に濡れたような目を大きく開き、博士を見た。

「チェスター家はルトマイア州随一の財力を誇る名門貴族です。当主であるレイモンド公がケンプベルを手に入れたあかつきには、惜しみなく金銭を投じ行政を立て直すことでしょう。町の混乱などすぐに収束するはずです」

 まばたきもせず話を聞いていた神父は見開いていた目を細め、微かに開いた唇の隙間に白い歯を覗かせた。博士はそれを満足そうな顔で見遣り、

「閣下にケンプベルの統治を再度願い出るのであれば、まずは彼が指示した通り町の“清掃”を進めなければ」

 牢の入口につま先を向け、横たわるクレアにゆっくりと歩み寄る。そして言葉を続けた。

「邪祓いの儀式は準備が整いしだい執り行います。ヴァンパイアとしては最下級だ。一週間も血を断てばだいぶ衰弱しているでしょう」

 込み上げる恐怖心がジョンストンの顔を強張らせる。一方、余裕を滲ませるグラーツ博士は口元に笑みを刻み、軽快な口調で問うた。

「幼い少女に何をするつもりかと警戒しておいでですか?ジョンストン君……。ただ儀式を施しただけで終わるはずがないと……」

 メリッサ・カラベに対する容赦ない残虐行為を思い出し、吐き気を覚えた青年はぐっと息を詰め顔を背ける。

 彼の反応を見て冷笑した博士は、牢の前で立ち尽くしているトマスに目を転じた。

「ねえ神父様。レイモンド公はああ言っておられましたが、儀式が失敗しても少女は殺さず生かしたままにしておいてくださいね。いろいろ実験してみたいことがあるので」

 神父はなにも答えない。先ほどからずっと、しまりのない笑みを浮かべている。その横でジョンストンは、震えながら後ずさり叫んだ。

「まさか……メリッサ・カラベにしたように、クレアの体を切り裂くつもりですか?」

 悲痛な声が牢内に反響する。グラーツ博士は怒りと悲しみに揺れる彼の瞳を覗き込み、言い聞かせるように言葉を紡いだ。

「彼女は本能のまま血を啜る化け物になってしまった。私たちと同じ生き物であると考えていては、いつまでも苦しいままですよ」

「化け物などではない!クレアは――」

 言い淀むジョンストンの両目から涙がこぼれ落ちた。博士は眉尻を下げ、憐憫の眼差しを送る。

「魔物として扱うことに良心の呵責を感じているのですね。だからあんなものを用意したわけだ」

 手で示した先にはミルク粥と給餌用シリンジがある。博士は片頬に笑みを刻んで、そっと溜息をついた。

「人の食事など与えても苦しませるだけだと思いますが……まあ、与えることで罪悪感が薄れるというならばそれもいい。お好きにどうぞ」

 涙を浮かべたジョンストンは体ごとテーブルに向き直る。恐怖に引き攣った青白い顔でシリンジを掴むも、棒立ちになったまま動かない。

 博士はマッチの箱を手で弄びながらその様子を見つめていた。まるで檻の中の動物を観察しているかのような目で。

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