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FATUM  作者: 紙仲てとら
第二章

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41話

「そのうち来るでしょうから、鍵は開けたままにしておいてやってください」

 肩越しに振り向き言葉を投げてくる博士に、トマスは必死の形相でかぶりを振った。

「いけません。もしも無関係の誰かに侵入されたら一大事です」

「そんなに神経質にならずともよいではありませんか。こんな真夜中に敷地内をうろつくのなんて私たちくらいですよ」

 あきれたような口調で言われ、トマスは唇を引き結ぶ。拳の中に握り込んだ鍵に自身の体温が染み込んでいくのを感じながら、彼は自分自身に言い聞かせた。――そうだ。ここのところ神経質になりすぎている。なにも心配することはない……もし部外者が侵入してくるようなことがあったら、その者の口を永遠に塞いでしまえばいいだけだ。

 そこまで考えて、神父は怖気を震う。次々と浮かんでくる恐ろしい言葉を追い出そうとするかのように頭を振ると、博士の後に続いた。

 彼らは不気味に黒光りする通路を黙って歩いた。地下一帯に充満する悪臭を和らげるために香が焚かれているが、それもあまり役に立っていない。牢の並ぶ区画に辿り着くと、不快な臭いはますます強くなり、神父は祭服の袖で鼻先を覆う。

 博士は胸ポケットからマッチを取り出し、消えている蝋燭に火をつけた。行き止まりの壁に設けられた祭壇に鎮座するクインレスタの彫像が仄暗い空間に浮かび上がる。

「おや?聖杯会の神父様も、魔封じの儀式をご存知でしたか」

 クレアの周囲に描かれた紋様を鉄格子越しに眺めたグラーツ博士は愉快そうに笑って言いながら、粗末な木椅子の座面にハンカチーフを敷いて座った。

「人間の考えた儀式など気休め程度にしかならないのが悔しいですね」囚われの少女を見つめながら足を組み、粘ついた声で続ける。「ヴァンパイア……彼らはそれぞれに異なる特殊な能力を隠し持っているといいます。ある者は人間の思考を操り、ある者は視覚、聴覚、嗅覚ともに鋭く、なかには蝙蝠やネズミに変身できる者もいると……」

「私も彼らのことはよく知っています」

「これは驚きましたなあ。子どもにすら架空の存在と笑われているものに興味がおありだとは」

「弟が民俗学者なものですから」

 それを聞くなり大袈裟に驚いて、博士は椅子から立ち上がった。「ヴァンパイアのことをどれほどご存知で?」顎髭を撫でながらクレアに近づく。

 彼を目で追いつつ、トマス神父は続ける。

「鋭い牙を穿ち人や獣の血を啜る魔物……流れる水を嫌い、姿は鏡に映らない。聖なる炎で身を焼き滅ぼされるか、白木の杭または銀でできた武器で心臓を貫かれない限り、永遠に命を繋ぐ……心臓を破壊されてもしばらくのあいだ生き続けた事例もあったため頭を切り落とすことがもっとも確実な殺害方法だといわれている」

 神父はクレアを横目で見遣り、声を低める。

「空想の話だとばかり」

 沈黙が落ちたそのとき、扉が開く音が響き彼らはそちらに目を遣った。

 やってきたのは顔に暗影を落としたヴェストール子爵ブレナン・ジョンストンだ。手にはミルク粥と給餌用のシリンジが載ったトレーを持っている。

 それを見たグラーツ博士は肩を竦め首を横に振った。

「彼らの活力の源は血液だ。人間の食事を与えても無駄ですよ」

 言いながらテーブルに近づくと、銀の短剣を手にし、切れ味を見るように刃先に触れる。トマスは彼の行動を冷ややかに見つめながら、沈んだ声で問うた。

「邪祓いの儀式で悪魔を退けることに成功したという記録は多く残されていますが……ヴァンパイアが人間に戻ったという事例はどの文献にもない。やはり、魔物を祓うのは不可能なのでしょうか」

 不敵な笑みを口角に刻んだ博士は、短剣を弄びながら答える。

「教皇庁はこれまで、吸血された者がヴァンパイア化するのはウイルスや毒素といったもののせいではなく、彼らが発する邪気に心身を蝕まれたためであると主張してきました。穢れにより我を失い意識と肉体を乗っ取られ、異常行動を繰り返すようになる……いわば悪魔に取り憑かれているのと同じ状態になるのだと。それが本当ならば、邪祓いの儀式で本来の人間性に戻すのも可能ということになる。ですが、今まで一度も儀式が成功したことはない」

「儀式で元に戻れないということは……やはり病かなにかのせいであると?」

「すべてが医学的、科学的に解明できるとは限りません。これはあくまでも仮説に過ぎませんが――ヴァンパイアに魅入られた者はもれなく彼らが放つ瘴気で精神が汚染され、惑わされているあいだに吸血される。その際に牙を通じてなんらかの病毒が体内に侵入……肉体的な変化が起こり、運動能力が飛躍的に向上。おそらく入り込んだものが体組織の異常を引き起こし、人体の限界を越えた爆発的な力を生み出している。つまり瘴気や邪気の類がせん妄を誘発するという非科学的な事象と、医学的に解明できる身体疾患が同時に起こっているのではないかと、私は考えています」

 ゆっくりと歩きながら言い、トマス神父の前で立ち止まる。祭壇の灯りを背にした博士は、黒く染まる顔で彼を見下ろした。

「教皇庁の祈祓師となって数十年……邪悪なるものを祓うことを使命とし、多くの魂を救ってきました。しかしヴァンパイアという魔物に関しては未知の部分があまりにも多すぎる。メリッサ・カラベやこの少女だけでは答えに辿り着くことはできない……もっと多くのサンプルが必要です。すぐに地下牢の増設に取り掛かりましょう。ここならば彼女らと同じ症例の者を集め、安全に観察することができる」

「グラーツ博士……申し訳ありませんが、我々聖杯会はこれ以上協力することはできません。邪祓いの儀式が済んだら報酬をお渡ししますので、速やかにお引き取りいただきたい。観察だのなんだのは、よそでなさってください」

「おやおや、ずいぶんと冷たいことをおっしゃるじゃありませんか」博士は芝居がかったしぐさで腕を広げ、首をふりふり言葉を続ける。「ケンプベルには複数のヴァンパイアがひそんでいる……クレア・オルビーの問題を解決したところでどうにかなるような状況ではないことくらいおわかりでしょう。罪なき神の子らが命の危険にさらされているというのに、黙って見ているおつもりですか?神父様?」

 溜息を飲み込み、トマス神父は落ち窪んだまぶたを指で押さえた。思案している様子の彼に目を据えたまま、博士は親しげな笑みを浮かべ言葉を継ぐ。

「亡きルトマイア公爵や各地で惨殺された被害者たちが一様に、見知らぬ美しい女と姦淫する奇妙な夢に悩まされていたことはご存知ですね?この辺りに隠れているヴァンパイアはどうやら、獲物の夢に入り込んだり幻を見せたりすることができるようだ。魅了され我を忘れているうちに、奴らの餌食となってしまう」

「その女に吸血されヴァンパイアとなったメリッサが、クレアを襲い仲間にしたとお考えなのですか?すこし前に心労で寝込んでいた時期はあれど、最近の彼女はいつも通り元気で特に変わったところはなかったと、救貧院の院長マチルダが証言していましたが」

「神父様……あなたも鈍い御方ですね。少女は以前から“美しい妖精の夢を見た”とマチルダ・ロスに話していたのでしょう?そして、狂暴化したクレアの世話をしていたメリッサ・カラベには床に臥していた時期があった。これだけで真実が見えてくるじゃありませんか」

「どういうことですか。はっきりおっしゃってください」

「メリッサ・カラベは、例の女の夢を見ていない。つまり彼女はもっとも大切にしていた者に人生を壊されたのですよ」

 昏い顔でふたりの会話を聞いていたジョンストンはテーブルにトレーを置くと、目を逸らしたまま口を開いた。

「メリッサが棺の中で目を覚ましたのは、殺される前すでにクレア・オルビーによってヴァンパイア化していたからではないでしょうか。クレアがあのとき吸血せず首の肉を食いちぎっただけだったのは、仲間同士の争いという可能性があるのでは……」

「その通り!」博士が指を鳴らして破顔する。「メリッサ・カラベを魔の道に堕としたのは、幻を見せ夢を操る能力を持つヴァンパイアではない。彼女が実の子のように可愛がっていたクレア・オルビーに違いありません」

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