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FATUM  作者: 紙仲てとら
第一章

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39話

「――私は今……悪魔を聖堂に招き入れた犯人なのではないかという疑いを掛けられています」

 それを聞いたリュシアンは驚きを隠せない。前のめりになりながら口早に問うた。

「君が?一体なぜ」

「この瞳の色が原因のひとつです」大陸では滅多に見ない菫色の双眸を指差し、「めずらしいでしょう?誰が言い出したのかは、わかりませんが……ケンプベルの町には“悪魔との姦淫によって生まれた子どもは紫水晶のような瞳をもつ”という言い伝えがあるようなのです。その者は神を裏切り、人類に破滅をもたらすであろうといわれています」

「なんと愚かな……」

 無学な人間の馬鹿げた妄想を知り、リュシアンは時の流れを憂えた。

 彼女の目の色は、今は無きトリアノ大陸の巨大帝国ナダリスを支配していたロイ・コレット・マクベール・ミュリアスの直系である証だ。大陸が海の底に沈んでから千年が経つとはいえ、この町に住まう教養人や民衆、誰ひとりとしてその歴史を知らないとは。

「瞳の色だけではございません。私は文化も宗教も違う島国から渡ってきた異国の徒。初めてこの地を訪れたときからずっと“クインレスタ教を根絶やしにするために送り込まれた邪教の徒に違いない”と、一部の聖杯会信者たちから疑惑の目を向けられてきました。狂信者と呼ばれる彼らは、今回の騒動に私が一枚噛んでいると考えているようです。紫目の異人がクインレスタに背き聖域に悪魔を招き入れたと主張する声は、町の人々のみならず教会関係者の耳にまで届き……今や修道院の仲間にすら不信感を抱かれています」

 リュシアンは絶句する。聖霊大祭のあの日、瘴気を浴びて虚脱状態となり倒れたエミリアは明らかに被害者であったはずだ。まさか彼女が不利な立場に追い込まれることになろうとは。

 ショックを隠せず暗い顔で口を噤んでいる彼に歩み寄ったエミリアは、足元に片膝をついて続ける。

「アルベスク様……城に籠って騒動の沈静化を待つのではなく、毅然と声を上げ身の潔白をお示しください。誰かの虚妄が真実として伝わり御身に受難が降りかかる前に……」

「助言は結構。他人のことより己の心配をしたらどうだ」

「私は祈る者です。自身の境遇を憂うより先に為すべきことがあります」

「それが神の教えか?くだらぬ……」

「どうか胸臆を開き民衆に心をお寄せくださいませ。対話を重ねれば彼らも、あなた様が悪魔などではなく善良な人間であると理解し融和的な姿勢を見せるはずです」

「私の無実が明らかになったとして、君はどうなる」

「え……」

「悪魔を聖堂に招いた者という疑いは晴れるのか?」

 エミリアは虚を突かれたような顔をしたが、すぐに表情をやわらげ首を小さく横に振った。

「おそらくそれは叶いません……狂信者たちは私がいつか必ず神を裏切ると思い込み、10年ものあいだこちらの動向を監視し町の人々に警告を発していたのです。彼らが予見した通り、神の家である聖堂で事件が起こった今……いかに真実を語ろうと、誰も私の声に耳を傾けてはくれないでしょう」

 いちど言葉を切りうつむくと、胸元で光るメダリオンを手の中に握りしめる。

「教会を糾弾する声が今以上に大きくなれば、神父様は事態の収束を図るため背信の疑いがある私を罪人とし、しかるべき罰を与えるはずです。この瞳を持って生まれたこと、そして異国の地で修道者になることを選んだことが招いた結果として、私は処罰を受け入れます」

「その結末を神が望んでいるとしたら、残酷な話だな」

 エミリアは目を上げ、リュシアンを見た。悲憤に満ちた顔の彼を瞳に映したとき、胸にあたたかなものが流れ込んでくるのを感じた。

 その感覚をなぜか懐かしく思いながら、彼女は再び顔を伏せる。

「すべては神の御心のままに」

 その言葉を聞いたリュシアンは血が滲むくらいに強く唇を噛んだ。

 このまぶしいほど心の清らかな女のどこに悪を見ると言うのだ?彼の胸は怒りに燃える。ケンプベルに住まうすべての人間からあの騒動の記憶を消しエミリアの汚名を雪いでやりたいと思ったがしかし、魔力が低下している今の自分には昔のように多くの人間の記憶を改ざんすることなど不可能だ。それができるほどの力を取り戻すには長い時が掛かるだろう。

 彼は自分の無力さに苛立ちを覚えつつも、静かな声音で言った。

「罪の証拠を見つけるのは難しい。しかし潔白を証明するのはそれよりもっと難しいことだ」

「あなた様は高貴な身であらせられます。名を穢されたままで良いはずはございません」

「疑われようがなんだろうが……どうでもいい。私は近いうちにこの町を去る。もう構わず、捨て置け」

 エミリアの顔に明らかな動揺が走る。心臓を冷たい手で握りしめられたような衝撃を受けた彼女は、その場に凍りついた。

「本当に、ここを出て行ってしまわれるのですか?」

「大領主エリック・デュランがこの世を去り、ルトマイア州の均衡は崩れた。ケンプベルは沈みゆく泥船だ。宗教と迷信に毒された人間たちと共に溺れたくはない」

 震えるまつげを伏せたエミリアは、自分が酷く狼狽し傷ついていることに気づいた。信じられない思いだった。

 新たな亡命先が見つかったというなら、それに越したことはない。ケンプベルから出て新天地で新たなスタートを切った方が平穏に暮らしていけるだろう。そう思ってはいるのに、この胸の痛みは何だ。エミリアは茫然と目の前の男を見つめた。恍惚とするほどに甘美で、同時に苦くもある複雑な感情が彼女を苦しめる。

 黙り込んでしまったエミリアを見て、リュシアンは立ち上がった。

「そろそろ休みたい。帰ってくれないか」

 そのとき扉がノックされ、葡萄酒の瓶とゴブレットを乗せたワゴンを押しつつファヴィラが入ってきた。ふたりの視線が同時に彼女に向けられ、張りつめていた緊張が解ける。

「お客様のお帰りだ」

 リュシアンは何か言いかけたファヴィラを鋭い目つきで黙らせ立ち上がる。そして閉まりかけていた扉の淵を手で乱暴に掴み大きく開け放った。

 エミリアはリュシアンとファヴィラの方を向いて一礼すると、

「夜分に突然、失礼いたしました」

「お気をつけて」

 形ばかりの挨拶を交わし、エミリアはマントの前を掻き合わせながら暗然とした顔を床にうつむけ歩き出す。

 勢いよく一歩踏み出すもそのあとはだめだった。別れの瞬間が近づくたび歩調が遅くなっていき……扉を支えているリュシアンの前で、彼女はとうとう立ち止まる。数秒のあいだ、至近距離で見つめ合った。

「いかがなさいましたか」

 問われるも、エミリアは答えられない。唇を開いたがうまく言葉にならず、空気を噛むばかりだ。

 うつむいてしまった彼女を見つめるリュシアンの眼差しが、ふいにやわらかなものになる。胸の前でぎゅっと握りしめられた手。白くまるい頬に影を落とす長い睫毛と、わななく唇。なんといじらしく、可憐で、愛らしいことか……

 残酷な運命を背負い冷たく凍えていたはずの彼の胸に、愛惜の念がよぎる。

(マリアンヌ……)

 心の奥で呼び掛けると、その声が聞こえたかのようにエミリアが顔を上げた。

「旅のご無事を祈っております。どうかいつまでもお元気で……」

 やっとのことで言葉を紡いだ瞬間、まぶたの裏が熱くなる。彼女は目に滲んだ涙をごまかすように微笑んだ。

「さようなら」

 そう短く口にすると、リュシアンの横を通り過ぎ、足早に室内を出る。

 瞳を濡らす涙に気づいた彼は思わず手を伸ばした。しかしその指先は空を掻き、歩き出した彼女には届かない。

 引き寄せられるようにふらりと廊下に出、遠くなる背中を見送る。

 近づいてくるファヴィラの足音に我に返ったリュシアンは、横に立った彼女を睨むように見て、

「誰も城に入れるなと言っただろう」

 不機嫌な声で吐き捨てるように言った。

「あの御方はお兄さまの身を案じ尽くしてくださいました」

「向こうが勝手にしたことだ。義理に応える必要はない」

「病などと偽ったのがよろしくなかったのではないかと存じます」

 ファヴィラは細かな光を湛えたエメラルドの瞳で彼を見上げる。

「礼節を欠けば魂までもが魔道に堕ちる。そう教えてくださったのはお兄さまです」

 リュシアンは妹を冷たく見下ろし、ふんと鼻を鳴らす。そして再び、エミリアの方に視線を遣った。

 廊下の暗がりを進む彼女の横に、どこから現れたのかトニトルスが寄り添うのが見える。気づいた彼女は恐れる様子もなく狼の頭を撫で、共に昏い廊下の奥へと溶けていった。

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