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FATUM  作者: 紙仲てとら
第一章

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38話

 まず目に飛び込んできたのは大きな窓だった。そこからやわらかな月明かりが差し込み、家具の輪郭を白く縁取っている。

 後ろ手に扉を閉める。広い室内をぐるりと見渡すも、誰の姿もない。

 エミリアが呼び掛けようと唇を開いたそのとき、どこからともなく声が響いた。

「君を招いた覚えはないのだが」

 わずかに怒りを含んだ美しい声に、心臓が大きく波打つ。

 エミリアは小さく震えながら辺りに目を走らせる。すると微かな衣擦れの音と共に大きな影が動き、リュシアン・アルベスクが部屋の隅の暗がりから姿を現した。背凭れを手で撫でながら長椅子を回り込んできた彼は、非難するような目でこちらを見つめている。

 先ほどまでそこには誰もいなかったはずだ。隠れられるような場所もない……エミリアは背筋に冷たい汗が浮くのを感じた。

「エミリア・コレット」

 リュシアンの唇が彼女の名を紡ぐ。

「修道女がこんな夜更けに何の用だ」

 彼はエミリアを見据えたまま、鷹揚な態度で長椅子に腰を下ろした。青白い光を帯びたアイスブルーの瞳には明らかな敵意が宿っている。

 彼の怒りを感じても、恐ろしいとは思わなかった。それどころかエミリアは、熱い胸の鼓動を感じながら、彼の美貌に見蕩れていた。記憶の中で反芻していたよりずっと魅力的な男だ。

 装飾のない詰襟シャツに漆黒の脚衣という飾らない格好だが、威厳と気品に満ち溢れている。生まれながらの貴族とはこういうものだと、エミリアは思った。たとえ粗末な服を着ようとも高貴な身分であることは隠せないだろう。

「何用で来たのかと訊いている」

 不愉快そうに眉を寄せ、リュシアンはもう一度問う。端整な顔の半分が月の光に照らされている。大理石のようになめらかな肌は男のものとも思えないほどだ。

 儚く、どこか物悲しい美しさを見つめながら、エミリアは言った。

「どうしてもお会いしたくて」

 その一言を聞くなりリュシアンは薄ら笑いを浮かべる。

「私の血の色が皆と同じかどうかを確かめにきたのか?」

「人間相手にそのようなことをする必要がありましょうか」

「悪魔である私が聖霊大祭に参列したせいで、教会が責任を問われ激しく非難されていると聞いたよ。この騒動の渦中にある君の口からそんな言葉が出るとは驚きだ」

「私はあなた様を悪魔とは思っていません」

「なぜ?」

「大祭に参列なさったじゃありませんか」

 エミリアは静かにそう答え、続ける。

「あなた様は教会という聖域に入ることができた。邪悪なる者ではないはず」

 リュシアンはうつむき、肩を揺らしながら喉の奥で笑う。

「もっともな見解だ」

 そう言って顔を上げた彼を、エミリアはまっすぐに見つめた。

「ひとつ教えてください」

「なんだ」

「これまで一度も私たちの前に姿を表さなかったあなた様があの日、聖堂においでになった理由を」

 その問いに、リュシアンは密かに息を呑んだ。

「神父に誘われてね。どうやら彼はその事実を隠したいようだから、誰にも言わず黙っておいてくれたまえ」

 平静を装って答え、そっと笑う。

 言葉の裏に隠されたものを見透かそうとするかのように、エミリアは真剣な目で見つめてくる。リュシアンは胸の奥がせつなさに締めつけられるのを感じながら、彼女の体を視線でなぞった。

 こんなにも近くで見るのは400年ぶりだ。否応なしに胸が高鳴り、彼は内心うろたえていた。

 何度転生を繰り返しても変わらぬ、惚れ惚れするほど美しい亜麻色の髪。宝石のように輝く特徴的な菫色の虹彩、万人の心を惹きつけ虜にするその魅惑的な眼差し……口角の上がった小さな唇と、おっとりとした垂れ目は彼女の穏やかな気質を物語っている。

 違うのは名前だけだ。愛する者の面影を見る彼の顔に、憂いが滲む。

「アルベスク様……」

 名を呼ぶ甘やかな声。体の芯が熱くしびれるのを感じた彼はエミリアから目を逸らし、突き放すように言った。

「いつも、誰にも言わず人目を忍んでここに来ているのだろう。空が白む前に帰った方がいい。真夜中に城を訪れたことが教会関係者や民衆に知れたら立場が危うくなるぞ」

「お察しのとおりです」

 エミリアは素直に認めた。

「あなた様に見舞い品を届けていたことも、今夜のことも、誰にも話していません。私の行動を神父様が知ったら、たいそうお怒りになることでしょう……」

「なにせ私は悪魔だからな。君がこの城に出入りするところを誰かが目撃してそのことを町中に触れ回ったとしたら、神父は夜も眠れなくなるんじゃないか?教会に対する非難がますます苛烈になることを恐れて……」

 彼は乾いた声で笑い、

「君も、悪魔と通じていると噂されたくはないだろう。だったらもうこんな馬鹿な真似はしないことだ。早く帰って眠り、今日ここに来たことは忘れるがいい」

「悪魔を名乗るわりにはずいぶんと優しいことをおっしゃるのね」

 微笑んだエミリアは、名残惜しそうにゆっくりと言葉を続けた。

「また来ます」

「来てはいけない」リュシアンは薄闇の中で目を閉じ、かぶりを振る。「これ以上近づくな。君と私はあまりに違う」

「私は、そうは思いません。私たちはいずれ、互いのよき理解者となる……そんな気がするのです」

「我々が理解し合える日は来ないよ。シスター・エミリア……教会に守られている君に、悪魔と呼ばれ嫌忌される私の孤独はわかるまい」

「わかります。痛いほど……」

 エミリアは消え入りそうな声で言い、憂愁に沈む顔を伏せた。

「私はすでに庇護の手を失いました。群れからはぐれた惨めな羊です」

 まぶたを上げたリュシアンは射るような目つきで彼女を見つめ、硬い声で問うた。

「どういうことだ」

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