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FATUM  作者: 紙仲てとら
第一章

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3話

 その日の夜、エミリアは初めて、オーガストのことを母に訊ねた。

 問われた彼女は初め、ためらうように唇を閉じていたが、やがて「口外しないように」ときつく言い含め、かの男のことを語り始めた。

 ――オーガスト・キンバリー……ヘルマドラ国王から直々に公爵位を授けられたというジェラルード州きっての名門貴族キンバリー家の子息でありながら、ハントピグリー国教会を母体として創設された聖杯会の宣教師として各国を渡り歩いているらしい。普段は「ルネ・リヴァ」という偽名を使い素性を隠して活動しており、彼が高貴な身分であることを知っている者はほとんどいないという。

 マテウスとイレーネとの付き合いはもう10年以上になる。その出会いは運命的なものだった。宣教のために各国を渡り歩いていたオーガストは航海中、海賊に襲われた。絶体絶命の中、マテウスの商船がちょうど通りかかり共闘してくれたことで野蛮な賊どもを蹴散らすことができたのだといい、命と名誉を救われた彼は、いつか必ず報いるとマテウスに約束したのだという。

 それを聞いてようやくエミリアは、彼が母と自分にここまで親身になってくれる意味を理解した。

 どこからともなく現れ母に金を渡して去っていく男のことを、なにか裏があるのではないかと訝しみ警戒していたがその必要はまるでなかった。彼は純粋な気持ちで母と自分の力になろうとしてくれていた。10年以上前に父から受けた恩を忘れず報いようとしていたのだ。

 その夜、エミリアは壁に掛けたクインレスタの肖像に向かい膝をついた。両指を組み頭を垂れる。他人を表面的にしか見ずに疑うばかりであった自分の狭量さと愚かさを懺悔し、赦しを乞うた。

 毎夜の祈りのなか、胸に浮かぶのは父であり母であり友であったが、その日は違った。彼女はこれまで考えてきたものとは違う自分の未来の姿を初めて想像する。

 迷いを振り切り決断することで違う人生が拓けるかもしれない。この狭い檻の中から飛び立ち、学び、真摯に仕えること……神はそれを望み、あの男を私に遣わしたのではないか?

「御心のままに受け入れます」

 エミリアは覚悟を胸に、手作りの小さな祭壇を見上げささやいた。

 お針子の仕事をして金を貯め、15歳のエミリアはついにオーガストと共に商船に乗りグレンスピア大陸の巨大王国ヘルマドラへと旅立った。クロレバークを去る間際に母イレーネと、月に数度は手紙を書いて寄越すこと、その他いくつかの約束事を固く交わした。

 こうして、各国の港町を経由しながらの船旅が始まった。気の遠くなるような時間を船上で過ごす間、エミリアは宣教師オーガストから多くのことを学んだ。神学だけでなく、礼儀作法から歴史、世の理など様々なことを。

 また、彼は娯楽をよしとせず禁欲的なエミリアにチェスを教えた人物でもある。他の男たちのように金銭こそ賭けなかったが、彼女はこの盤上のゲームを気分転換のひとつとして楽しんだ。「神に捧げる戦いだ」オーガストは勝負のたびにそう言っていた。

 そして長く過酷な旅を終え、エミリアはヘルマドラ王国ルトマイア州の州都ヨークエヴァに鎮座する聖シャルレット大聖堂で入信儀礼を受けた。

 その後、学校に併設された小さな礼拝堂の司祭を務めているオーガストの親戚のもとに身を寄せ、日々熱心に神学を学ぶ。そして3年後、18歳になったエミリアはルトマイア州ケンプベルの聖ラディウス教会に併設されたロサ・リタ修道院に身を落ち着けることとなった。

 そこには男女30人ほどの修道士・修道女が慎ましく暮らしており、祈りの日々を送っている。奉仕活動も盛んに行われており、手作りのバターやパン、チーズ、薬草酒などを貧しい者に分け与えた。時には道行く人に向けて教理を説き信仰を広める活動に勤しむこともあった。

 ヘルマドラ王国ルトマイア州の州都ヨークエヴァに拠点を置くハントピグリー国教会は、隣国ゼールラントの中心地ロスコーカレッジに君臨するマセス教会の母体、セルリオス教皇庁のやり方に異を唱え独立した者らによって設立された。

 それを機に新たに作られた教派「聖杯会」の教理は最大教派であるマセス教会と共通点が多いものの、礼拝の形式や典礼についてはサリージャ正教が統率するミンテル教会の流れも汲んでおり、どちらの特徴も併せ持っている。

 聖杯会は、クインレスタ教二大教派であるマセス教会とミンテル教会と比べると歴史が浅いが、地道な布教活動で信者を集め勢力を拡大するにつれ存在感を強めていき、それに伴いその名も各国で知られるようになった。

 他教派の信者を改宗するに至らせたひとつの要因は、ハントピグリー国教会が「万人のための宗教」という原点に立ち返って聖杯会を創設したことにある。

 宗教が強欲な貴族たちに政治利用され、二大教派の聖職者が富裕層の意見を取り入れた豪華な聖堂を建てることに力を入れる中、聖杯会は庶民の祈りの場として小さな礼拝堂や教会を各地に建設した。

 宗教と政治の癒着を問題視し、適切な距離と関係性を維持するよう働きかけている点でも民衆からの支持を得ている。また、二大教派は言語文化の違う修道者を迎える際に様々な試練を科すが、聖杯会は出自を問題としない。事実、大主教ロシュ・ゴドリックを初めとした高位聖職者の面々は、ルーツの異なるエミリアをすんなり受け容れ歓迎している。

 しかしながら、すべての信徒がこの「万人のための宗教」を掲げて発足した教派の博愛精神を重んじているわけではない。今でこそエミリアは多くの住民から慕われケンプベルの町に溶け込んでいるが、やってきたばかりの頃は様々な場面で苦労した。言語も文化も違う島国出身に対しての差別意識は苛烈であり、一部の保守主義的な住民らにいたっては彼女を悪魔扱いし地域から追い出そうとしていたのである。

 その一方で、聖杯会の敬虔な信徒――シスター、ブラザーと呼び合いながら家族のように肩を寄せ合いロサ・リタ修道院で暮らす修道者たちは、教理に倣いエミリアを快く迎えた。彼らはみな寛容で親切であった。

 エミリアは初めこそ戸惑うことも多くあったが、理解ある者たちの助けを借りながら徐々に修道女としての生活に馴染んでいった。

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