36話
葬儀の日は雨だった。彼は蓋の上で萎びている花を見つめながら、すすり泣く声と傘を打つ雨音を思い出す。
この無機質な箱の中に納められている女――ネルフィナ救貧院の職員メリッサ・カラベは親族や友人たちに見守られながら埋葬された。死化粧を施され花に囲まれた彼女の顔は穏やかで、生前と変わらず美しかった。
悲惨な最期を迎えただけでなく、死後の安らかな眠りまで邪魔されるとはなんと不運な女だろう……ジョンストンは震えながら、胸の前で両手を握りしめる。
「下手なことをせずこのまま埋葬しておくべきなのでは……」
「その手で墓を掘り起こしておいて、今さらなにをおっしゃるか」
目を細め、グラーツ博士は平然と言葉を続ける。
「即死だったとはいえ、ヴァンパイアに噛みつかれたことは事実。棺の中の彼女がどうなっているのかトマス神父は心配でならないようですし、やはり確認してみた方がよいでしょう」
「墓荒らしは重罪です。ばれたらただでは済みませんよ」
「承知しておりますとも。しかしリスクに対する見返りは大きい。神父様は心の平穏を取り戻し、私はこの女の血液と臓器を手に入れることができる」
「あなたが悪魔や魔物の研究をしていることは神父様から聞いていますが、死体から臓器を抜き取るだなんてやりすぎです。正気の沙汰じゃない」
「人類の明るい未来のためですよ」
どこか楽しそうな彼を横目で見遣ったジョンストンは、胸のむかつきを覚えながら言った。
「どんなに高尚な目的があったとしても、遺体を損壊する行為は死者に対する冒涜です!許されることじゃありません」
「ヴァンパイアに吸血された者は彼らの同胞となる……不老不死の性質と人間離れした恐ろしい能力は牙を通じて受け継がれるのです。この仕組みを解き明かすため、私たちは彼らの死骸から情報を集め研究を進めてきました。ヴァンパイア化する原因はウイルスか細菌か、はたまたまったく違う何かなのか……それが判明すれば治療や予防が可能となり、市井に生きる人々が今回のような悲劇に見舞われることもなくなります。そのときを迎えて初めて、少女に惨殺されたこの女の魂は救われる。犠牲は無駄ではなかったと誰しもが思うことでしょう」
「しかし……」
ジョンストンは反論しかけたが、唇を引き結び押し黙った。
トマス神父に指示されるがまま棺を掘り起こしたが、今や彼は恐怖と不安に駆られ逃げ出したくなっていた。そんな彼を横目で見たトマス神父はその肩に静かに手を置きなだめるように言う。
「すべては皆の安寧のためです。彼女の御霊が天の国に召されるよう祈りましょう」
「ジョンストン殿。私のやり方にご納得いただけないならばお帰りください。森の入口に馬車を待たせてありますのでそちらをお使いになればよろしい」
手に握ったハンマーをゆっくり揺らしながら、グラーツ博士が気怠い声で言う。去ろうとしない彼を見て肩を竦めると、トマス神父に視線を送った。
「今夜見聞きしたことは他言無用でお願いしますよ。約束を守ってくださる限り、私も黙っていますから」
「心得ております」
「墓を暴いたことが公になったら大変ですものねえ」
神父とジョンストンを交互に見ながら口角を上げ、木杭を逆手に持ち直す。そして、墓穴に目を転じた。
「では、棺を開けてください」
博士のその声掛けに従い、ベルティは棺の一角に両手を添える。ジョンストンはまだ躊躇っているようでその場に立ち尽くしていたが、皆の視線に促され手にしていたシャベルを泥の山に刺し、穴の中に下りる。そして、蓋の角を震える手で持ち屈み込んだ。
「即死だったということですが、神父様の懸念が的中する可能性もある。蓋を外したら、私が心臓に杭を打ち込みましょう」
白木の杭とハンマーを持った博士が見守る中、掛け声と共に棺の蓋が外される。そこにはクレアによって殺害されたメリッサ・カラベが、美しい赤髪を枕に横たわっている。
腐敗はまだ始まっていない。血の気をなくした肌は死人そのものだが、しかし――
「傷がない……」
墓穴の上から明かりをかざしてトマス神父がつぶやくと、みな一斉に息を呑み動きを止めた。
クレアが首の肉を嚙みちぎったはずだが、その傷が見当たらない。
「きれいに完治している……これは」
ベルティがわななく唇で言った瞬間、メリッサはまぶたを上げ、白濁した瞳を大きく見開いた。
「棺の中を覗くな!」
グラーツ博士が怒鳴り、ジョンストンとベルティが慌てて穴の中から這い出る。
「彼女と目を合わせてはいけない!はやくここから離れろ!」
博士は続けざまに叫び、遠くに逃げるよう促す。しかしベルティはすっかり腰を抜かして尻もちをつき、やみくもに手足を動かすばかりだ。そんな彼を乱暴に押し退け墓穴の中に飛び降りた博士は、腕を大きく振りかぶる。そして、ひゅうという甲高い呼吸音と共に上体を起こしかけた彼女の首元を足裏で強く踏みつけると、左胸に鋭く木杭を押し当てそこにハンマーを叩き下ろした。
鈍い音と共に杭の先端がメリッサの胸に穿たれる。骨が砕ける音と共に顎が外れ、口がだらりと大きく開いた。その次の瞬間、人のものとは思えない断末魔が辺りに響き渡る。
博士は、鼓膜をつんざくようなその声にも動じることはなかった。ちからを一切緩めずに――しっかりと木杭を握り締め、容赦なくハンマーを振り下ろす。彼女は激しく痙攣し狭い棺の中でのたうち回った。凄まじい形相で博士に噛みつこうと牙を鳴らしていたが、木杭が心臓を貫き深々と刺さるにつれその抵抗は弱まっていく。
徐々にメリッサの体から力が抜け、博士の足首を掴んでいた手が離れた。眼球がぐるりと回って白目になったかと思うと、口から黒い泡を吹きやがて動かなくなった。
ぐったりと棺に横たわっているのを見て、グラーツ博士は詰めていた息を吐く。
「みなさんご無事で?」
妙に明るいその声に、墓穴の周りで恐怖に固まっていた3人は我に返った。ジョンストンは激しく震えながら泣き出し、ベルティに至っては狂ったように祈りの言葉を唱えている。
トマス神父がいち早く穴の淵に駆け寄り、手に持った明かりを頼りに棺を覗き込む。そこにはカールした赤毛を振り乱し牙を剥き出しにした女が横たわっている。神父はその変わり果てた姿に向かい静かに指を組んだ。
祈る彼を見上げ、グラーツ博士は嬉々として言う。
「さあ始めましょうか!」
その手には腰の鞘から引き抜いた骨切り鉈が握られている。ランタンの明かりを反射し、てらてらと光る刃を見た神父が叫んだ。
「博士!もうやめましょう」
「なにをおっしゃいます……私の仕事はここからが本番なのに」
「しかし……!もしまた目覚めるようなことがあったら……」
「これから、口に銀貨を詰め頭部を切断します。そうすれば二度と蘇ることはありません」博士は東の空に首を回らせると、言葉を継いだ。「もうすぐ夜が明ける……急がなければ。ベルティ殿、ジョンストン殿、早くこちらへ。今回は血液と臓器の一部を摘出し持ち帰るよう指示されているので、おふたりは私の助手をしてください。なあに、大丈夫ですよ……手早く済ませますから」
あまりに残酷な言葉だ。墓穴の周りに集まった3人は、グラーツ博士を茫然と見下ろした。
「なんですか皆さん……そんな目で私を見ないでいただきたいな」
博士は笑みを含んだ声で言った。その冷たい双眸が薄闇の中で鈍く光り、棺の中の女を見据える。
「相手は魔物です。同情する必要はありませんよ。淡々とやりましょう、淡々とね」




