30話
ケンプベルの治安官チャーリー・マクドウェルは相棒のアレックス・カールソンと共に、ヨークエヴァ市街のコーヒーハウスで新聞記事に目を落としていた。
「酷い事件だ」
カールソンはカップを置きハンカチーフで口元を押さえた。マクドウェルは黙ったまま、小さな村で起こった悲劇をもう一度読み返す。
先週月曜日の深夜、ケンプベルの隣村ラナデルで、住人の大半が失血死するという事件が起こった。不審な人物を見かけた者はおらず、目立った外傷もないため流行り病の可能性も視野に入れて調査が進められている。生存者は医師の診察を受けたのち、健康に問題のない者だけが他の町に移送され、村は現在、数人の病人のみを残し閉鎖されているという。
「たった一晩で村が壊滅状態になるとは」
「上層部は流行り病が蔓延したとして早く捜査を切り上げたいみたいだけど、その可能性は低いよね」
紙面から顔を上げたマクドウェルは頷き、腕を組む。
「そうだな……しかし被害者の体内に血が一滴も残っていないうえにミイラのようになっていたと聞けば人間業とも思えん」
「昨日、事件担当者から話を聞いたよ。すこし前に似たような遺体が8体、フォグハイム州レオラトで発見されたらしい。今回の事件との関連を調査中だそうだ」
「8体か。大量殺人を実行する前に少人数で作戦を試したとも考えられるな。だとすれば自然現象ではなく、人のしわざか……」
「僕たちが担当してる事件とは手口が異なるから同一人物の犯行ではなさそうだけど、ラナデルは隣町だし、ケンプベルにまで被害が及ばないように警戒しなければね」
カールソンが神妙な面持ちで言うと、彼は静かにかぶりを振った。
「確かに手口は違うが、まったく無関係とは思えない」
つい先日、マクドウェルはトマス神父から内々の話があるとの書簡を受け取り、従者をつけずひとりで聖ラディウス教会を訪れた。
神父は聖霊大祭で卒倒して以来体調が思わしくないといい寝室にこもっていたが、ラナデルで起こった事件のことは耳にしていたらしい。ジャーメイン城に棲む悪魔のしわざだと彼は言い切り、聖霊大祭の日に起こった騒動のことをマクドウェルに詳細に話した。
「トマス神父の話によれば……ラナデルで事件が起こる前日、聖ラディウス教会では信者を集めて、年に一度の聖霊大祭が開かれていた。その儀式の最中に彼は、体に異変を感じ意識を失ってしまったのだそうだ。それに続き副助祭であるシスター・エミリアも虚脱状態に陥って……典礼は中止になったと」
「2人も倒れたの?」
「そうだ。しかもその日、聖堂内にはアルベスク伯爵の姿があったらしい。トマス神父は、彼に睨みつけられた瞬間、体の自由が利かなくなり失神してしまったと話していた」
「悪魔がついに尻尾を見せたってわけだね」
「君までそんなことを言うのか」マクドウェルは大袈裟に肩を竦めて、「悪魔だと思い込んでいる相手への恐怖心から過剰反応を起こしただけさ。伯爵自身に相手を失神させるような力はない」
「それは君の見解だろ?実際に聖堂にいた信者たちはなんて言ってるの?両目が光った?空を飛んだ?それとも顔が醜い怪物みたいに歪んでた?」
「いや……そういった証言はない」
「なあんだ。ここのところ伯爵への批判が過熱してたし、ついに目撃者が出たのかと思ったよ。じゃあいまユグランス大広場で大規模な抗議活動をしてる連中は、彼が聖堂にいたってだけで騒いでるってことか。すごい熱量だな」
冷たい笑みを浮かべる彼を細めた目で見つめて、マクドウェルは小さく息をついた。
「正体を見た見ないは大した問題じゃないんだろう。悪魔なのではないかという疑惑をかけられた男、高位聖職者、神のしもべである修道者、そして信者。彼らが神の家に一堂に会するという状況……材料が揃えば人は無理矢理にでも答えを出したくなるものだ」
「そんなもんかね……」
鼻白んだ様子で言いながら、カールソンはカップを傾ける。
「それで、聖堂での事件後、伯爵は無事に帰城できたの?神父とシスターになにか悪さをしたんじゃないかと、信者たちに詰め寄られたりしなかったのかい」
「ふたりが立て続けに倒れ、信者らは真っ先に伯爵を疑った。クインレスタに仇なす者と決めつけられ悪魔だのなんだのと罵倒された彼は、背の高い女とふたりでシグル山に続く深い森の中へ消えていったという」
「なんでまた森になんか」
「人目を避けて城へ帰るならそこを通った方がいいからな。だいぶ遠回りにはなるが」
「ああ、確かに。見通しのいい路上でしつこく追い回されて罵声を浴びせられるくらいなら、帰城に時間が掛かったとしても木々に紛れて追っ手を巻いた方がいいか」
「伯爵と女は、鬱蒼とした森に入り行方をくらましたかった。でも目的はそれだけではなかったのかもしれん」
マクドウェルはコートのポケットから地図を取り出しテーブルに広げた。
「森に入る道はいくつかあるが、彼が通っていった道は昔、聖ラディウス教会の修道者たちがシグル山を越えた先にある中核都市ホールロウに薬草を届けるために使っていたものらしい。ネヴィルクックに植物園ができて取り引きがなくなってからは、草木で荒れ果ててほとんど使われていない旧道だ。途中に分岐があって、左手に進めばジャーメイン城に面したニムロット通りに出る。だが……その反対、右手に行くと」
無骨な指で右の道をなぞった先。
そこには渦中の村、ラナデルがある。ここはかつて宿場町として栄え、商売や興行など様々な理由でホールロウに向かう人々の中継地点となっていた。
「なるほど」
カールソンは片方の口角を上げ、テーブルに肘をついた。地図から指を離したマクドウェルは、彼に顔を近づけ、低めた声で言う。
「神父様は聖霊大祭での一件とラナデルの事件にはなんらかの関連性があるのではないかとお考えのようだ。分岐点には道標が立っているし、伯爵がこれまでも旧道を使ったことがあるならば当然、ラナデルの存在を知っているはず」
「犯人だと思ってるの?」
カールソンは親友の顔を覗き込み短く問うた。彼はその目を強い眼差しで見つめ返しただけで、なんとも答えない。
「仮に君の推理が正しかったとしてさ……あんな大人数をたった2人だけでどうやって?」
「わからん」
あまりにあっさり認めたので、カールソンは思わず笑ってしまう。難しい顔のマクドウェルは地図を折り畳みながら続けた。
「仮説をひとつ立てるとしたら毒物だ。聖霊大祭での仕打ちに対する腹いせで、井戸水に混入させたのかもしれない。管轄外だから直接の手出しはできんが、村での目撃情報がないかだけでも調べてみよう」
「トマス神父も君も、まだ伯爵を疑っていたんだね。ジャーメイン城を訪ねて以降めっきり彼の話題を口に出さなくなったから、捜査の対象から外したのだとばかり思っていたよ」
畳んだ地図をテーブルに放ると、マクドウェルはコーヒーをひとくち飲んで喉を潤し言った。
「おかしな話なんだが、一時期どうかしていた」
「城でなにかあったの?」
「特にはなにも。ただ、アルベスク伯爵に会ったあとしばらく頭がまともに働かなくてな。それに……なぜか訪問した日の記憶がところどころ抜け落ちているんだ」
先日教会を訪った際に、トマス神父も同じようなことを言っていたのを思い出す。城で過ごした記憶は日を追うごとに薄れ、交渉の内容どころか、初めて対面した際にどんなやり取りをしたのかすらはっきりと思い出せないのだという。
城の訪問直後に話したとき神父は、リュシアン・アルベスクは潔白であると信じていた。そのうえ、むやみに疑うのはよせと忠告までしてきたが――今ではそれとは真逆の言葉を青白い顔で繰り返している。“あの男は悪魔だ。排除せねばならない”と。
「何とも説明し難い……自分が自分でないような奇妙な感覚だ。トマス神父も、あの男のことを考えようとすると酷い頭痛に襲われ、思ってもいない言葉が口から出ることもあったと話していた。どうやら彼も、俺と似たような状態に陥っていたらしい」
「それはもしかしたら君の信じない“悪魔や呪い”のしわざじゃないの?」
にやと笑い、カールソンが言う。
その愉快そうな顔を横目で見たマクドウェルが苦々しく唇を曲げたそのときだ。乱暴に扉を押し開け店内に駆け込んできた人物がいた。
「マクドウェル殿!」
切羽詰まった呼び声と共に周囲を見回しているのはヴェストール子爵ブレナン・ジョンストンである。
ふたりは驚き椅子から立ち上がった。その姿を目に入れるなり、彼は客席の間を縫いながら駆け寄ってきた。
勢いあまってつまづいた彼を抱きとめ、マクドウェルは目を丸くする。
「よくここがわかったじゃないか」
「ハリエット女史から心当たりのある場所を何か所か教えていただいて、ようやく……」
「それはご苦労だったね。さあ、疲れただろうからそこに座りたまえ。コーヒーをご馳走してあげよう」
「そんな暇はありません、大変なんです」
乾き切った掠れ声で、あえぐようにジョンストンは続けた。
「殺人事件を起こした子どもが現行犯逮捕されました!今すぐケンプベルに戻ってください」
「なんだって……子どもが?」
「ネルフィナ救貧院の10歳の少女です。突然暴れ出して施設職員を襲ったとのこと。被害者は首の肉を噛みちぎられ、大量出血し……その場で死亡しました」
その言葉にふたりは絶句し顔を見合わせる。
「急ごう」
マクドウェルはテーブルに放り出されていた地図を掴み早足に店を出た。




