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FATUM  作者: 紙仲てとら
第一章

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2/24

1話

 エミリア・コレットの記憶はカルタイ王国ロメネル島の港町、クロレバークから始まっている。

 潮のにおいと、風向きによって漁港から漂ってくる強烈な生臭さ。曇天の下、緩慢な動作で荷を船に積み込む屈強な男たちの怒声……ゆったりと弧を描く地平線と、硝子の欠片を散りばめたようにきらめくさざ波。波が停泊漁船の舩腹を舐める音、遠く聞こえる鴎の鳴き声が、永遠とも思える時間のなかにあった。幼い自分を包み込んでいたこの小さな世界を、彼女は20年以上経った今でも鮮明に思い出せる。白い砂浜を裸足で歩いたときの感触や、亜麻色の髪に絡む、なめらかな潮風さえも。

 エミリアがこの世に生を享けた旺歴1400年代後半。南海交易の要として発展したロメネル島には、各国から集まった多くの商人たちが暮らしていた。エミリアの両親、マテウスとイレーネもまた海を渡ってきた交易商人である。この島から遠く離れたラングベッカー王国で生まれ育った彼らは、島の言語や文化を学びながら懸命に働いた。

 家族3人が暮らすクロレバークは交易の中心地マロルサから離れた場所にある、豊かな自然に囲まれたのどかな町だ。島に来た当初はマルロサの隣町クザヌスに所在するレニャ・ヒカ湾の近くに住み、茶葉や香などを売って商売をしていたが、航海のさなか海賊に積み荷を奪われ大損害を被り莫大な借金を抱えてしまったため、マルロサに次ぐ交易都市であるクザヌスからこの小さな港町に居を移したのであった。

 移住当初、夫婦は都会暮らしに未練があるようで元の住まいに戻りたがっていたが、彼らの娘エミリアはといえば一目でここが気に入ったようで、いち早く地域に馴染んだ。昔からの生活を営む島民達で構成された集落はのどかで、すこし不気味で、ちょうどよく寂れている。道行く人は無愛想で口数も少ないが困っているとすぐに手を差し伸べてくれるし、浜辺では美しく光る白い砂で遊ぶことができる。森の中に秘密基地をつくっても、誰に咎められることもない。彼女は幸福だった。

 教育熱心であった父マテウスは、7歳になるエミリアを町の小さな学び舎ハルロード学園に入れることにした。そこは、グレンスピア大陸の巨大国家ヘルマドラ王国から来島し、クインレスタ教の布教をしているミンテル教会の修道女らによって無償で運営されている場所であった。

 入学したエミリアは非常に熱心に学んだ。現在の彼女が持つ神への信心はこの学び舎で育まれたといっていい。修道女たちは幼い彼女に学問を教え、信仰を語り、罪と罰そして救いと赦しの中に神の与えたもう光を見出せと説いた。

 そうしてコレット一家は静かな港町で平穏な日々を過ごしていたが、ある日事件が起こる。

 交易制限策により茶や香、煙草などといった嗜好品の輸出入は彼らが住まう地域から遠く離れたボナパールにある一港に限定され、政府の許可を得た特権商人しか取引きすることが許されなくなったのだ。

 これを受け、許可を持たない商人たちは続々と島を出ていった。エミリアの父母もまた、彼らと同じくクロレバークを離れ、ひとまず故郷の島国ラングベッカー王国に戻ることにした。

 彼らは港近くに居を構え再び商売を始めた。身を粉にして働くもなかなかうまくいかず、やがてグレンスピア大陸からやって来た商人相手に密貿易の形で茶や香、陶磁器、絹織物などを輸出して生計を立てるようになる。商いは徐々に軌道に乗り、一家は多くの富を手にした。

 しかし運命とは残酷なものだ。家族三人、なに不自由なく幸せに暮らしていたある日、マテウスは恩義ある友人の頼みを断りきれず違法薬物の密輸入に手を貸してしまった。そしてその数年後、仲間の裏切りにより悪事が明るみに出て治安管理局に逮捕された。

 罪に問われたのは嗜好品や布製品といったものの密輸に関する事のみで、違法薬物を取り扱っていた証拠は管理当局上層部により抹消された。なぜならその頃、治安官と商人の間で違法薬物の取り引きが横行していたからだ。マテウスの仲間にも彼らと通じている者がいたため、癒着が発覚することを恐れたのだろう。

 夫が逮捕されたことが公になると、イレーネは故郷を去ることを決めた。近隣の人間からの視線が厳しいものとなり、それを疎ましく思ったからである。

 手元に残っているほんのわずかな金を握りしめ、住み慣れた町に別れを告げたイレーネは、まだ幼いエミリアを連れ各地を転々としながら暮らした。彼女は夫がもう帰ってこないことを知っていた。

 そうして安寧の地を求め彷徨ったのち足を踏み入れたのは、家族3人で穏やかな日々を送った思い出の地クロレバークだった。手引きしてくれたのは、マテウスとイレーネの古い友人である。マテウスが逮捕されたということを人づてに聞いたらしく、彼は必死にイレーネを探した。再会後、事情を聞いた彼は傷心のイレーネを励まし、支え、やがて彼女の精神的な拠り所となった。

 一方、エミリアの支えとなったのは宗教であった。

 ロメネル島の先住民のほとんどが土着の宗教イルビヌス教団の信者であり、グレンスピア大陸から渡ってきたクインレスタ教の信者は色眼鏡で見られる傾向にあったが――それでも敬虔な信徒である彼女は天地の母クインレスタを崇拝し、祈りの日々を重ねた。

 自室に誂えた祭壇の前に跪くエミリアの胸の中には、いつも父マテウスの姿があった。犯した罪を知っていたがしかし父を愛していたのだ。神のしもべとなることを誓った彼女は夜毎、父の罪が浄化されることを願い神の祝福があるようにと祈り続けた。

 ある日庭先で、近所にあるテヘレス教会の修道女から借りた聖典を開き読み耽っていると、例の男が家を訪ねてきた。クロレバークに戻る手助けをしてくれた、父母の旧友である。

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