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FATUM  作者: 紙仲てとら
第一章

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16話

 火は明確な意思を持って伸び縮みしながら、暖炉から這い出した。

「水をかけるだなんてひどいではないですか我が主……おかげでずいぶんと長いあいだ眠ってしまいました」

 低く落ち着いた声が室内に反響したかと思うと、床を這ってきた火の筋がリュシアンを取り囲み円を描く。靡く熱の温もりを感じながら彼は溜息をつき、

「客人との時間を貴様に邪魔されるような気がしてな」

 冷たく光る目を前方に据えたまま言い放つ。

 炎は愉快そうに体をうねらせ火の粉をばらまいた。

「おやおや……本日はずいぶんとご機嫌ななめでございますね。誰ですかな、あなた様を苛立たせる不届き者は……」

「無駄口を叩くなイグニス。私が何に腹を立てているかわかっているはずだ」

「はて……?皆目見当がつきませんが」

「――ウングラをけしかけたのは貴様だろう」

「いったい何の話でしょう」

 燃え盛る舌を震わせて笑う。

「しらを切るのはよせ。あの子が私のためにと人間の血液を持ち帰ってきた」

「ああ……。そのことでしたか。よけいな気遣いであったというならば申し訳ございませんでした。最近の主は人の血も動物の血もほとんどお召し上がりになられていないようでしたので……お体が相当にお辛いのではないかと思いまして」

「心配は無用だ」

「人の血をお飲みにならぬのならば、動物の血で空腹を満たさなければ。家畜伝染病が広がり多くの地域の牛馬が痩せ衰えておるようですが、ケンプベルで飼育されているものはみな健康ですし栄養状態も良好……今夜あたりお食事に行かれてはいかがでしょう」

「地下に保管してあるものを飲む。案ずるな」

「古い血は精気を含みません。劣化した葡萄酒のように味も悪い。そんなものを飲み続けていたら、お体に障ります。どうか新鮮な生き血をお召し上がりください」

「まだ言うか。どうやらまた水をかけられたいようだな」

「そうお怒りにならず、どうか……」

「無駄だイグニス。忠告しても聞きやしない」トニトルスが会話に割って入る。「そんなに主人のことが心配なら、町の人間を何人か見繕って城に連れてくればいいじゃないか。天井に吊るして、オレがじっくり料理してやるよ。血を流し泣き叫ぶ姿を見れば食欲も湧くだろう」

 それを聞くなりリュシアンはあからさまな嫌悪を顔にあらわした。

「貴様のように獲物をいたぶる趣味はない。人間が苦しみ悶えるさまを見て私が喜ぶと思っているのならば即刻その考えを改めろ」

「これはこれは、実に高邁な精神をお持ちだ。生まれたときから怪物のオレとは違うな」

 嘲笑するトニトルスを睨むような目で一瞥し、彼は低めた声で言葉を吐き捨てる。

「人間や家畜を襲えば必ず騒ぎになる。膨大な魔力を必要とするような状況でなければ野生の鹿や猪の血で少し喉を潤すだけで十分だ」

「ふん。どんなに抗おうとおまえは魔物だ。ほんとうは人間の血をたっぷり飲みたくてたまらないんだろ?オレには見えるぞ。全身に深く刻まれた呪いが」

 リュシアンはトニトルスと炎を睨み据えていたが、やがて苦い顔のままうつむいた。

「今週末、聖ラディウス教会の聖霊大祭に参加する。この典礼はクンレスタ教徒にとって非常に重要なもの……信心深いマリアンヌの生まれ変わりは必ず姿を見せるはずだ」

「今のお体では危険です」火の勢いを増したイグニスが口早に続ける。「魔力が枯渇した状態で聖域に侵入すれば、いくらあなた様とて無事では済みません」

「準備はする」

「それはつまり……」

「これ以上言わせるな」

 黙って聞いていたトニトルスが大声で笑い出した。暗い目を上げてその様子を見つめたリュシアンは、絶望感に打ちのめされるのを感じながら言った。

「人間はかつての同胞だ。その血を本能で求めてしまうことがどれほど私の心を悩ませ痛めつけてきたか……おまえたちはわからず、考えたこともないのだろうな」

 その言葉に大きく反応し、イグニスが火花をにぎやかに弾けさせる。

「いいえ、いいえ。わかりますとも。主の苦悩を一番近くで見てきたのですから」

「イグニス……火の賢者よ。この憂いを取り払ってはくれまいか。私はこの身が疎ましくてならんのだ。魔の者として生きるさだめをどうしても受け入れることができない。人間らしい生活を営みながら、マリアンヌの生まれ変わりを待つことができたらどんなによいか……。もしもそのすべを知っているならば、知恵を貸しておくれ」

「人間らしい生活ですか」

 独り言ちた火が紅から蒼に変わり一層激しく燃え上がる。

「問われたら答えるのが私の役目。思い悩み苦しむあなた様に、ひとつお教えいたしましょう」

 リュシアンは腰を屈めると、自分を取り囲んでいる炎の一部を掴み上げた。小さな炎は手のひらの上で踊るように燃えながら言った。

「とある宗教学者の暖炉に住んでいたときに耳にしたことです。彼は集まった仲間たちとこんな話をしていました……神の敵である不死身の魔物ヴァンパイアは、人間の血を完全に断ち長期間にわたり魔力が枯渇し続けた場合、限りなく人体に近い状態になるのだと」

「不老不死ではなくなるということか?」

「あなた様を生かしているのは魔力ではなく呪いです。吸血をやめたくらいでは、呪いは解けません。血液は高い魔力と肉体の健康を維持するためのものであり、摂取しなかったとしても空腹により身体活動が困難になるだけのこと。他者を思い通りに操る能力や変身能力などを失うというだけで完全に人間に戻れるわけではございませんし、これまで通り老いもせず死も訪れないでしょう」

 リュシアンの表情が陰るのを見たイグニスは、火の温もりで彼の頬を撫で言葉を続ける。

「これはあくまでも噂でございますが、血を糧とせず人間と同じものだけを食べて生きているヴァンパイアもいるとか。話の出所もわからず真偽はさだかでないものの……火のないところに煙は立たぬとも申します。ひょっとしたら長き煩悶のすえ望み通りの生活を手に入れた者がいるのやもしれませぬな」

「そうか」

 思案顔で答えたリュシアンに、トニトルスが迫る。

「まさか自分の体で話の真偽を確かめるつもりじゃなかろうな」

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