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FATUM  作者: 紙仲てとら
第四章

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145話

 窓の鎧戸は半分外れており、室内は薄い青色に満たされている。

 穴だらけの粗末なマットレスの上に、開かれた本が伏せてあるのが見える。寝台のすぐ傍に古びたライティングビューローが置かれ、机上にはぼろぼろになった羽ペンがインク瓶に刺さっている。

 狭い部屋の空気はフロントがある一階よりもいっそう悪く、教会で使用する香の煙が充満していた。ギルバートは慎重な足取りで部屋の中央まで歩み、辺りを見回す。窓の木枠に沿って食事用のテーブルが設置され、その上にあるクインレスタの小さな彫像と香油、聖典がやわらかな青い光に照らされていた。

 テーブルの横に目を転じたギルバートは、びくりと身を震わせる。

 壁際に置かれた椅子に、背の高い痩せた男が座っていた。ぼろきれのような衣服を纏い、長く伸びた髪を後頭部で無造作に束ねている。

「救国派の信徒だな?」

 煙に噎せそうになりながら、ギルバートは声を掛けた。

 背中に流れ落ちる白髪まじりの蓬髪。どこか見覚えのある後ろ姿だ。彼はこめかみや首筋にじっとりと汗が滲むのを感じながら更に近づいた。

「おい……聞こえているなら返事をしてくれ」

 微動だにせず人形のように座っている姿がなんとも恐ろしく、語尾が震える。

 椅子に座ったまま眠っているのか?反応がないことに焦れたギルバートが椅子の前に回り込もうと一歩踏み出したとき、男がようやく薄い唇を開いた。

「久しぶりだなギルバート」

 肩越しに言い、そして立ち上がる。体ごと振り向くと、動きを止めたギルバートが息を呑む気配が伝わってきた。目を布で覆い隠した男は黄ばんだ歯を見せて笑う。

「俺のことを忘れちまったのか……寂しいねえ」

「――モーリス……」

 まさか忘れるはずがない。この男とは奉仕に訪れたネルフィナ救貧院で出会い、気さくな仲だ。思わぬ再会にギルバートは動揺し、頬を紅潮させ絶句している。

「来ると思ってたよ」

 そう言うと、モーリスは肩を揺すりながら笑った。

「とうとうエミリア・コレットを潰す覚悟がついたようだな」

「なぜそれを……」

「あんたはずっと前からシスター・エミリアのことを目の敵にしていたじゃないか……あの娘は鈍くて気づかなかったようだが」

「なんでもお見通しってわけか。全盲だからといって油断できないな」

 薄く笑みを浮かべたまま、モーリスは鼻先を上げて空気を嗅ぐ。

「このにおい……あんた、ずいぶんと高揚しているな。いったいなにがあった?」

「――エミリアは教会の羊の血を盗んだ。神を冒涜する背教者だ」

「へえ……」

 自分から尋ねたわりに興味なさそうな様子で相槌を打つと、小皿の香油を指先に取って匂いを吸い込む。満足そうにひとつ息をついて、モーリスは言った。

「うまくやっていると思っていたんだがねえ……ついに尻尾を出しちまったか」

「あなたもエミリアの裏の顔を知っていたようだな。なぜ知らせてくれなかったんだ」

「そんなに怖い声を出すなよ」

 彼はテーブルに頬杖をつき、言葉を継ぐ。

「シスター・エミリアは羊の血を盗むこと以上の罪を犯していない。教会のやり方や思想に疑問を持ってはいるが、まだ神を信じているし、肉体も清いままだ。でもまあ……純潔を保っていられるのも時間の問題だろう。厄介な連中とかなり深い関係にあるようだからな」

 厄介な連中――

 ギルバートの眼光が鋭くなる。

「ジャーメイン城に棲むアルベスク家の人間か」

「ご名答」

 モーリスは口角を上げ小さく拍手する。

「あの化け物どもはケンプベルに災厄をもたらし、そのせいで多くの人間が命を落とすことになった。だがシスターは……奴らの正体と犯した罪を知りながらもそれを告発することなく、隠し続けている」

「ちょっと待ってくれ。ケンプベルで起こった陰惨な連続殺人事件は邪教を信奉する者のしわざだと、レイモンド公爵家の当主パトリック・チェスター様が明言している。――モーリス……あなたはあの城の者たちが犯人と見ているのか?」

 彼はその問いに対してすぐには答えることはせず、大袈裟な溜息をつきつつ言った。

「凶作や疫病のせいでここ数年、平民の生活は非常に厳しい状態だ。自分たちから搾り取った税金で裕福な暮らしをする貴族らに妬みや憎しみの感情を抱いている者も多くいる……こんなときに爵位持ちのリュシアン・アルベスクが重大事件の犯人として逮捕されたりしたら、特権階級に対する大規模な暴動が起きかねない。レイモンド公は真実を追求することではなく自身の地位と名声を守る方を選んだのさ」

「――上からの発表はすべて嘘だったということか」

「ああ。ケンプベルやその周辺地域で起こったすべての事件の“元凶”は呪われた不死の血を町に持ち込んだジャーメイン城の者たちだ」

「不死の血……」

「彼らはヴァンパイア。人や動物の生き血を糧とする魔物だ」

 ギルバートはそれを聞いて確信した。

 ――城に棲んでいる者たちは人ならざるもの。この邪悪な存在と繋がっているエミリアもまた、人であることを捨てた……だからこそ神を裏切り、血を求めて羊を襲ったのだと。

 正式な祈祓師でなくともモーリスは邪と戦う方法を知っている。彼の力を借りて、生き血を啜る魔物リュシアン・アルベスクを捕らえられれば、彼の正体を隠匿していたエミリアを罪に問うことができるはずだ。

 火刑台に上る彼女の姿を想像し、ギルバートはほくそ笑んだ。

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