143話
マクドウェルの手技により、傷口はきれいに縫合された。聞けば父親は医師であり、彼もまた医療の心得があるという。
手当てを終えると、彼らは熱い紅茶を前に改めて顔を合わせた。
「ありがとうございます……ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
エミリアは深々と頭を下げる。マクドウェルはゆるくかぶりを振って、
「大事に至らずよかった。しかし……なぜあんなにもひどい怪我を?」
問われた彼女は答えず、うつむいている。
「シスター・エミリア……あなたの身になにが起こったのか、話していただけませんか」
まるで尋問をしているようだ……治安官だった頃のことを思い出したマクドウェルは苦く笑った。もちろん現役のときのように秘密を聞き出そうと厳しく問い詰めるつもりは毛頭ない。
彼は急かすこともなく黙って様子を窺っていたが、エミリアは一向に口を開こうとしない。長椅子に浅く座り、固く握りしめた両の拳を膝の上に置いて、じっとうつむいたままだ。
「まあ……無理に語ることはないさ。外は雨だし、遠慮せずゆっくり休んでいきなよ。ほら、焼き菓子も食べて」
カールソンはまるでこの邸の主のような口振りで言い、人懐こい笑みを浮かべる。
「ところで僕たちは昨日の夜、ヨークエヴァのドルゴナ・レーン劇場で観劇してきたんだけど、舞台に興味は?」
「観たことがないのでなんとも……」
その返しにカールソンは思わず前のめりになってエミリアを見つめる。
「一度も?」
「はい……そのような娯楽は禁じられておりますので……」
伏し目がちに答えると、彼はおもむろに腕を組んで小さく唸った。
「これは驚いた……隠れて観劇しに来ている聖職者や修道者も多いのに」
黙ってふたりの会話を聞いていたマクドウェルは、眉を吊り上げてカールソンを睨む。
「シスター・エミリアは誰よりも慎み深く誠実な方だぞ。どこぞの不真面目な修道者と一緒にするな」
「そんなことわかってるよ……でも、生涯に一度はリラ・シドンズの演技を観てもらいたいな」
まぶたを閉じたカールソンは舞台上の優雅な姿を思い起こしながら、うっとりと表情を緩める。
「昨夜は特に神がかっていたな……アデレード役はリラにしか演じられないと誰もが思うくらい完璧な舞台だった」
それにはマクドウェルも同調し、深く頷く。
「主演の役者を決めるときに興行主とかなり揉めたようだが……ベティではなくリラをヒロインに抜擢したギャリックの判断は正しかったということだな。クラウス夫人を演じたキャサリン・マクベスも適役だったし、彼はやはり素晴らしい演出家だよ」
少しでも場を明るくしようとしてか、ふたりは演劇の話に花を咲かせる。
弾む声の中、エミリアは気が気ではない。リュシアンはどうしているだろう。また生気を無くし死んだように倒れているのではないか?
思い悩んでいるせいか、それとも切創による体のダメージのせいか……エミリアの顔色は優れない。冷たい汗を額に浮かべうつろな目をしている彼女に気づき、笑みを消したマクドウェルは心配そうに眉尻を下げる。
「横になられた方がよさそうだ」柱時計が午前10時を指しているのを見て、「昼食までひと眠りしてください。ゲストルームにご案内します」
「ありがとうございます。でも私、これから友人との約束があるので……そろそろお暇させていただきます」
弱々しい声で口にしたエミリアは目礼して立ち上がった。しかし酷いめまいに襲われ、次の一歩を踏み出すことができない。今にも崩れ落ちそうなエミリアの体をカールソンと共に支えたマクドウェルは、色を失くした顔を覗き込み言った。
「無理なさらず、どうか今は体を休めてください。ご友人への伝言はこちらでお預かりしますから……」
彼に諫められたエミリアは再び長椅子に尻をついたが、体を起こしていられず座面に倒れ伏し、そのまま意識を手放してしまう。
彼女が目覚めたのはその翌日だった。
シーツに投げ出された左腕には新しい包帯が巻かれ、清潔に保たれている。ぼんやりと霞む目で周囲を窺えば、マクドウェルが窓際の寝椅子に腰掛けて本を読んでいた。
「マクドウェル様……」
小さく呼びかけると、気づいた彼は眠そうな目をこすり、そっと笑った。閉じた本を置いて立ち上がると、手燭を持ってベッドに近づく。
「だいぶ血色が戻りましたね。よかった」
「私……」
「覚えておられませんか。昨日の昼前、ご友人に会いに行こうとして意識を失われました。かなり失血したようですから、そのせいでしょう」
エミリアは外が朝を迎えようとしていることを知り、慌てて掛け布団をどかすとベッドから両脚を下ろす。
「いけません!安静にしていないと……」
立ち上がろうとする体を押し止め、半ば強引にベッドに横たわらせる。
「しばらくここで静養してください。教会には私の方からうまく言っておきます」
「しかし……」
その言葉を遮るようにマクドウェルは首を横に振って見せる。断固とした態度だ。
「朝食の用意をさせます。安静にしていてくださいね」
背に枕を当てて言い含めると、彼は部屋を出て行った。
脱力したエミリアは枕に身を沈め、悲痛の表情を顔いっぱいに広げた。
窓の外は昨日に引き続き暗雲が垂れ込めており、甚雨に濡れている。穏やかな丘陵を描く牧草地の向こう、鉛色の空に稲妻がまたたいているのが見える。
あの雷雲の下にはジャーメイン城があるはずだ。
「ごめんなさい……リュシアン……」
彼女は両手で顔を覆い肩を震わせる。すすり泣く声を、窓を叩く雨と荒れ狂う風の音が掻き消した。




