13話
「一番目の妹、クリスティーナです」
終始笑みを湛えているリュシアンの横、対人間用の偽名で呼ばれたファヴィラはにこりともせず、スカートを少し摘み上げ優雅に挨拶する。目尻の切れ上がった大きな瞳は吸い込まれそうに鮮やかなエメラルドグリーン。紅を引いた唇は朝露に濡れた小さな薔薇の蕾のように可憐だ。その蠱惑的な姿に、訪問者全員が視線を奪われている。
彼女はそれぞれの前にティーカップを配り終えると、入ってきたときと同じく無表情のまま扉の向こうに消える。
「なんと麗しい……」
深窓の令嬢が去った方を見つめたまま、ベルティが吐息まじりに言った。年齢を尋ねると18だという。
「そろそろ嫁がせねばと思うのですが……なかなか良縁に恵まれず」
「なに、焦らずともすぐ見つかりますよ。あれほどの美しさならば引く手数多でしょう」
困ったように眉を下げたリュシアンは薄く笑ってうつむき、首を横に振る。そして、
「ところで本日はどのようなご用件でしょう?」
細い指先でカップを取り、そっと目を上げ正面の来客者たちを見据えた。
「独身男のつまらない生活を覗きにきたわけでありませんよね」
唇は笑っている。だがその瞳の奥には射るような鋭さがあった。歓迎されているわけではないと改めて思い知ったマクドウェルは、彼の視線に気圧され声を呑んでいたが――トマス神父は動じず見つめ返し、唇を開いた。
「この町にあるネルフィナ救貧院のことはご存知でしょうか?」
「ああ……ナックバレー大通りとキルボン通りが交差する場所にある連なった建物のことですね」
町の施設のことなど興味はないと思っていたが……彼の返答に内心驚きながら神父は頷く。
「さようです。町の発足当初から、救貧院を始めとした多くの公共施設は王室からの援助金と善意の寄付に支えられてまいりました。しかし1400年代後半になると町は度重なる天災に襲われ……景気は悪化の一途を辿り、援助金や寄付金だけで施設を運営することが難しくなっていきました。そんなとき手を差し伸べてくださったのがルトマイア公エリック様でございます。施設の運営資金に充てるため民に更なる税を課すことが検討されていましたがルトマイア公はそれに反対され、自らの財を投じケンプベルの人々の暮らしを支えてくださったのです。我々は長らく、その財力を頼りにしてまいりましたが――先日、かの御方は何者かに襲われ非業の死を遂げました」
「なんと……」
大きく目を見開き、リュシアンは言葉を続ける。
「それは一大事だ。デュラン一族は代々、ケンプベルを小領主に任せず直々に治めていたそうですね。長年頼りにしていた大領主様が世を去られ庇護を失ったとあれば、なにかとお困りでしょう」
落ち着いた口調は変わらない。一身に注がれる視線をものともせず、彼は優雅なしぐさでカップを傾けた。
「お察しの通り、このままではルトマイア公爵に多額の寄付をいただいて運営していた施設……救貧院だけでなく、診療所、学校……教会や修道院などの存続が危うい状態になってしまいます。そこで、閣下にお力添えを願いたいのです」
神父は穏やかな光を宿した瞳を向け、真摯に訴える。しかしリュシアンはたっぷりの皮肉を込め鼻で笑った。
「古城に棲まう怪物の力を借りることなど、この町のみなさまは望んでいないのでは?」
トマスは表情を硬くし黙り込む。テーブルに目を落とした彼はひとつ静かに息を吐き、
「閣下のお怒りはごもっともです。皆なんの証拠もなく騒ぎ立てているのですから」
「異国人に差別はつきものですから……仕方のないことです」
リュシアンは言葉をなくしている目の前の4人をじっくりと眺め、それから甘やかな声で言葉を紡ぐ。
「私の祖国ドラド大公国にも黒い髪にペールオレンジの肌を持つ民族が多く移住してきましたが、やはり受け入れられるまでに時間が掛かりました。自分たちと異なる人種を見て排他的な考えを抱くのはどこも同じですよ」
凍てついた湖面のように青い双眸を細め、リュシアンは肘掛けに頬杖をついた。その姿を見つめていたトマス神父はエミリアの顔をふと思い浮かべる。
聞けばエミリアも様々な場面で差別に苦しんできたという。それでもめげず、彼女は自分という存在を正しく知ってもらうために率先して外に出、人々と積極的に関わりを持った。しかしこの男はそれとは真逆、城に閉じ籠り人目に触れない生活をすることで周囲との摩擦を避けようとしている。おそらく人間嫌いなのだ。情に訴えても無駄なのかもしれない。
ここは下手にけしかけず一旦引くべきか……トマス神父が次の言葉をためらっていると、ベルティが口を開いた。
「すべてはあなたの行い次第です」
ぎょろりとした目で城の主を睨むように見上げる。その瞬間、憎悪を含んだ表情がリュシアンの貌をよぎったのを神父は見逃さなかった。
「城の扉はいつも固く閉ざされたまま……市場に使いの者すら来ず取り引きもない。舞踏会や晩餐会に参加することも全く無いそうですね。その態度が上流階級の方々の不興を買い、社交界は貴殿の黒い噂で持ち切りだ。ケンプベルの住民も城に籠り何をしているのかと恐れ、あれこれと憶測をめぐらせている状態です」
「お騒がせしていることは謝ります。ただ……貴族とも平民とも慣れ合う気はないのです。人付き合いがどうにもわずらわしくて」
「爵位を持つ貴族は大領主を筆頭に民衆を守り導かなければなりません。ルトマイア公も貴殿のお力添えを期待し城と土地をお譲りしたに違いない。彼の亡き今、そのお気持ちに応えようとは思わないのですか」
「故人の遺志を勝手に想像し善意を強要するのはいかがなものかと」
「お言葉ですが閣下。私はルトマイア公爵の忠臣として長きにわたり仕えてきたのです。決して勝手な想像などではございません」
「たとえ彼の遺志が貴殿のおっしゃるとおりだとしても、民を思い力を尽くすことは貴族の義務ではない。貴族たる者の理想の姿がそうであるというだけでしょう。我々の慎ましい生活に口を出さないでいただきたいな……」
リュシアンは背凭れに身を預けたまま高慢な態度でそう言ってのける。
「確かに義務ではありません。ですが縁ある地が危機に瀕しているときくらいは上級貴族らしく振る舞ってくだいませ」
ほのかな笑みを湛えたまま、彼はなんとも答えない。その反応に焦れたように、ベルティは言葉を重ねる。
「故ルトマイア公爵から受けた恩をお忘れですか?亡命者である貴殿をためらいもなく受け入れてくださったのですよ。これにすこしでも恩義を感じているのであれば、ルトマイア公が愛したこの町をどうかお救いください。金銭的なご支援をいただいたことが民衆のあいだに広まれば、悪い噂は消え誤解も解けましょう。あなた様とていつまでも怪物呼ばわりされたくはないはず」
「怪物でも悪魔でも、好きなように呼んでくださって結構」
「なんですと……」
「私はこの町の人間に好かれるために来たのではありません。母国の騒動が落ち着くまで、愛する家族と共にこの地で静かに暮らしたいだけなのです」
「――爵位を授けられたということを今一度お考えになった方がいい」
怒りに顔を紅潮させたベルティは椅子を蹴って立ち上がった。
「どうやら貴殿は情義に薄く、施しの精神もお持ちでないようだ。莫大な富を有する伯爵ともあろう御方がこんなにも狭量とは嘆かわしい……。下級貴族の方がまだ己の立場というものをわかっている」
そう吐き捨てると、いとまを告げることなく大広間から出て行く。ジョンストンがその後を慌てて追いかけていった。




