12話
その数日後3人はヴェストール子爵ブレナン・ジョンストンを伴い、ジャーメイン城を訪れた。
ジョンストンはリュシアン・アルベスクと故ルトマイア公爵が城の売買契約を結ぶ際に立ち会った人物である。手続きの関係で何度も城を訪れており、アルベスク家の人間とは顔見知りであるという。
書状に対する返信はすぐに届いた。多くの人間が何度も拝謁を願ってきたが全員にべもなく断られていると聞いていたため、送ったそばからマクドウェルは次の手を考えていたが……意外なことに、訪問することをあっさりと許してくれた。
「本当に人の気配がありませんね」
ジョンストンが立ち止まり、周囲を見渡しながらぽつりと言う。
難しい顔で相槌を打ったのはマクドウェルだ。
「使用人を複数抱えていればそれなりの量の食料や生活用品を調達しなければならないはずだが……市場の商売人たちは誰一人、この城の関係者と取り引きをしたことがないそうだ」
どう考えても違和感がある。この巨大な城に5人しか住んでいないわけはない。維持するには多くの人手が必要だ。しかし町の人間が雇われているという話も聞かない。よその町や村から人を集めたのだろうか?
異様なまでの静けさに不気味なものを感じながら一行は、正面扉へと続く長いアプローチを歩いていく。見上げる古城も、道の両脇に開けた庭も――美しいが、どことなく不穏だ。まるで悪夢の始まりを見ているかのような気持ちになる。
否応なしに警戒心が高まっていくのを感じつつ、石造りの橋を渡る。しかし欄干から見下ろす小川には水が一滴も流れていない。どうやら堰き止められているらしい。
剥き出しになった川底を凝視したトマス神父は、民俗学者である実弟ブルーノ・トマスが送って寄越した本の内容を思い出していた。「古来より伝わる祓いの儀式と信仰心」と題されたそれに綴られていた、流れる水を忌み嫌う者たち。その名は――
トマスはまさかと否定し、蒼白の顔をうつむかせた。存在するはずがない、何度もそう繰り返しながら胸元に下がるメダリオンを手のひらに握りしめ、重い足取りで階段を上る。
先頭に立つジョンストンが大扉を前にして振り返った。
「亡国の王ジャミール・カザビアンを祖先に持つ大変高貴な御方です。くれぐれも失礼のないようお願いします」
そう言い含めた彼は扉に向き直る。ひとつ息をつくと、緊張の面持ちで金属製のリングを掴み、ノックした。
するとほどなくして扉が内側から開き、そこから男の顔が覗く。
褐色の肌……背が高くがっしりとしているが猫背で、漆黒の長い前髪が目元に掛かっている。服は泥と垢に汚れ、一見浮浪者のようだ。
男は固く唇を結んだまま訪問者たちを上から下まで眺め、それからゆっくりと大きく扉を開ける。妙に冷えた空気が4人の頬を撫でた。
「リュシアン・アルベスク様にお会いしたいのだが」
ジョンストンは明朗な声でそう言ったが、彼は愛想笑いもせず黙っている。前髪の隙間に光る眼で彼らを凝視したまま、中に入れと手で促した。
彼らの顔に動揺と緊張が漲る。誰もが身じろぎもせず固まるなか、トマス神父が一歩を踏み出した。それを見た3人は互いに顔を見合わせ目で合図を交わすと、彼に続き入城する。
高い天井には豪奢なシャンデリアが下がっているが灯は入っていない。正面階段を上った先にある大きな窓からの光だけで照らし出されたエントランスホールは薄暗く静まり返っている。
「ようこそいらっしゃいました」
声の方に一斉に振り向くと、階段横の広間からすらりとした体躯の男が出てくる。
――ロンドール伯リュシアン・アルベスク。
月光のように輝くプラチナブロンドの巻き毛と濡れたアイスブルーの瞳。白磁を思わせるかんばせのなか、ほのかに色づく唇がやさしい微笑を湛えている。
悪魔や怪物と噂されている人物だ、どんなにむさ苦しく醜悪な男が出てくるかと思えば……目が眩むほどに瑞々しい美男子ではないか。まるで内側から光を放っているかのようなその美貌に、初見の者たちは思わず言葉を失った。彼の姿をすでに知っているジョンストンとマクドウェルもまた、まばたきも忘れ魅入っている。
「先日は、手続きの件でご足労いただいたのに対応できず申し訳ありませんでした」
リュシアンはまず、売買契約で世話になったジョンストンに手を差し出し、穏やかな笑みを浮かべる。
「病床に伏していると妹君からお聞きしましたが……その後お体の具合はいかがですか」
「おかげさまですっかり良くなりました」
返事しつつ握り返してきたその手の氷のような冷たさに、ジョンストンは顔色を変えた。やはりなにかおかしい……そう思いながらも平静を装い、司祭に振り返る。
「こちらは聖ラディウス教会のトマス神父です」
紹介され前に出た彼の祭服には、クインレスタ教のシンボルである柊の葉と花が刺繍されている。彼が歩を進めるたびに、足首まである長いローブから神秘的な香のにおいが舞いあがり、エピヌの星を刻み込んだ銀のメダリオンペンダントが胸元で鈍い光を放つ。
皆の目がリュシアンの反応を注視する。もしも悪魔や怪物ならば聖具を身に着ける司祭を畏れ、触れようとしないはずだ。
彼らが固唾を呑んで見守るなか、リュシアンは美しく微笑んだままトマス神父の手を取ると、
「お会いできて光栄です」
親愛の情を感じさせる柔らかな口調で言い、人差し指にはめられた黄金の指輪に唇を寄せ敬意と忠誠をあらわした。
その行動を目にした彼らはほっとしたような、どこか納得のいかないような奇妙な顔をしてふたりを見つめている。
「さあ皆様、奥の部屋へどうぞ」
リュシアンはにこやかに言うと、客人を大広間にいざなう。
全員の後ろ姿を見届けてから歩き出したトマス神父は、ふと足を止めて視線を後方に流した。そこには扉を開けてくれた男が何をするでもなく立ってこちらを眺めている。
「――彼は?」
神父は城の若き主に尋ねる。
「使用人のひとりです。今日は朝から庭仕事を任せていたので……お見苦しいものをお見せしてしまい申し訳ありません」
それにしてもみすぼらしく不気味な男だ。艶のない漆黒の蓬髪に、泥と垢で汚れた粗末な服……この立派な城の使用人とはとても思えなかった。足元を見ると、裸足だ。
トマス神父は黒髪の男の不躾な視線を背中に浴びながら、大広間へ入った。
そこは上品で高級感のある家具と調度品が並んでいる。赤煉瓦造りの暖炉に火はなく、薄暗い。部屋の奥の壁には鹿の頭部の剥製とサーベルが飾られている。
ここにもクリスタル硝子があしらわれた煌びやかなシャンデリアが下がっているが、やはり明かりは灯されていない。磨かれた大理石の床が、大窓から差し込む光で鈍く輝いている。
マクドウェルは淡い光に吸い寄せられるように窓に近づき、手入れの行き届いた壮大な庭園を眺めながら言った。
「実に見事な庭だ。陽が出ていればもっと美しいでしょうね」
出発したときは元気な太陽が顔を見せていたはずだが、ここに来る間にいつのまにか雲行きが怪しくなり、今にも雨が降り出しそうになっている。
「あまりに整いすぎていて作り物のようだ」
マクドウェルの横に立ったベルティがぼそりと口にする。リュシアンは彼らの背を見つめて目を細め、
「そうですね。私はもうすこし自由に生い茂らせておく方が好きなのですが、家族に反対されまして」
「妹君が3人いらっしゃるとか……」
近づいてきたリュシアンを横目で見たマクドウェルが言う。
「ええ。妹たちは親が救貧院から引き取ってきたので血は繋がっていないのですが……養子だからと遠慮することなくのびのびと育ちましてね。3人揃うと敵いません。すぐに言いくるめられてしまいます」
苦笑したリュシアンは一行に座るよう促し自らも長椅子に腰を下ろす。するとほどなくして扉が開き、黒い詰襟ドレスを着た女が入ってきた。手には真鍮のトレー。ティーポットと人数分のカップが載っている。
ゆるやかなウェーブを描く豊かな赤毛を首の後ろで無造作に束ね、宝石を散りばめたネックレスや髪留めなどの装飾品も身に着けず地味な出で立ちである。だが彼女は着飾らずとも十分美しく、絹のようになめらかな肌とアンニュイな眼差しは男たちを魅了した。




