11話
「血を流す覚悟をしろと?」
マクドウェルが険しい表情でつぶやくと、ベルティは乾いた笑い声を上げた。
「マセス教会と聖杯会との宗教論争を危惧しているのだろうが、そんなものは取り越し苦労に過ぎんよ。仮に起こったとしても、今抱えている問題からしたら小さいものだ」彼は意地悪く目を細め、唇を引き結んでいるトマス神父を再び見遣った。「レイモンド公に頼ることを渋るのはマセス教会の侵略を恐れているからでしょうか?神父様……」
じっと表情を固めていた神父はここにきて初めて微笑を浮かべた。
「私はクインレスタの膝元に傅く者。天啓を待ちその御心に従うまで」
この言葉に2人はしばし黙り込んだが、やがて意を決したようにマクドウェルが口を開く。
「私は代々この地を守ってきたデュラン一族の正当な血筋、ユーグレット・エルヴィン様がケンプベルの領主にもっともふさわしいと考えます」
力強く言い放つと、トマスは深く頷き、
「彼の意見に賛同します。ユーグレット様は各地にある聖杯会の教会や修道院に多額の寄付をされ、国教会から名誉勲章を授与された御方。ロネ語で書かれた文献の解読に尽力する才女であり、浮いた噂もない。思慮深く信用に足る女性です」
「血筋にこだわり、変化を恐れるばかりではどうにもなりませんぞ」
ベルティはふんと鼻を鳴らし、唇を歪めて続ける。
「小領主の座に据えたとしても彼女が自由にできる財などたかが知れている。貴公がレイモンド公爵の前に跪き、靴にキスする姿が見えるようだ」
「ベルティ殿!トマス様に向かってなんという口の利き方を――」
声を荒らげ立ち上がりかけたマクドウェルを、トマスが手で制する。窘められた彼は一度きつく奥歯を噛み締め、低めた声で言った。
「ご自分の立場をお忘れになりませんよう。誰を新たな統治者として迎えるか、最終的な判断を下すのはケンプベルの教区長であらせられるトマス神父様です」
「黙れ。わざわざ言われずともわかっている」
応えたベルティはまるまると太った腕を組み、不遜な態度で言葉を続けた。
「私はケンプベルの未来を憂いているのだ。各地の大領主がルトマイア州の土地を奪い合い国内情勢が混迷するなか、頼りになるのはレイモンド公爵のみ。彼ならば必ずやこの地を正しい方向に導き救ってくださる」
「先ほど神父様がおっしゃっていたではないですか……レイモンド公とルトマイア公は相容れない関係であったと」
溜息が出そうになるのを堪えて、マクドウェルはベルティに真摯な眼差しを向ける。
「聖杯会を目の敵にしている彼にあまり期待しないことです。金銭的な支援や優秀な人材をこちらに寄越す可能性はほとんどないと考えた方がよろしいでしょう」
「実際に話を持ち掛けてみなければわからんだろう」
「なぜそこまでルトマイア公爵家を毛嫌いするのです。生前はあんなにも誠実に仕えていたではありませんか」
「やめてくれ」ベルティは叫び、目を鋭く光らせた。「ルトマイア公エリック・デュラン……奴には積年の恨みがある。あの田舎貴族の親類縁者に実権を握られてこき使われるくらいなら、案山子を用意して領主だと言い張った方がましだ」
顔を醜く歪め吐き捨てると、ベルティはテーブルに身を乗り出すようにし、
「レイモンド公が素直に頷かないだろうことくらい百も承知である。気難しい男だが……私が必ず懐柔してみせよう」
自信に満ち溢れたその言葉と声に目を丸くしたトマスとマクドウェルは、互いに顔を見合わせた。そして、ベルティがこんなにもルトマイア公を嫌悪しているのであればこれ以上の説得は無理だという思いを、無言のうちに交わした。
マクドウェルはひとつ大きく息をつくと、ベルティに向き直る。
「そこまでおっしゃるなら、交渉は貴殿にお任せします。ただ……ユーグレット様を説得するよりも難しく、多くの手間を要することでしょう。これはつまり、領主不在の期間が長くなるということ。ここで問題になるのが、その間どうやって各施設を維持していくかです」
マクドウェルの冷静な言葉に、ベルティはしばし沈黙した。そして親指の爪を嚙みながら言う。
「順調に事が進んだとしても数週間はかかるか」
「運営資金はすでに底をつきそうになっています。救貧院にも診療所にも一切の余裕はありません。レイモンド公爵との話がまとまるまで、他の領地を治めていらっしゃるデュラン一族の方々に寄付を募り支援していただきましょう。身内であるルトマイア公の死を知り胸を痛め、志半ばで急逝した彼の無念を汲んでくださる方は多いはずです」
「馬鹿を言うな!あの家の人間との繋がりが残っているとレイモンド公が知れば機嫌を損ねるに決まっておろう」
半ば叫ぶように言うと、ベルティは手で弄んでいた小さな帽子を腹立たしげにテーブルに叩きつける。
やはり反対してきたか……マクドウェルは舌打ちしそうになるのを堪えた。
維持費確保は喫緊の問題である。レイモンド公の反応を悠長に待つわけにはいかない。彼は逡巡したが、胸に残る迷いを振り払いもうひとつの選択肢として考えていたことを口にした。
「ではもう、残る手段はただひとつ。ここはジャーメイン城の住人――ロンドール伯リュシアン・アルベスク様に金銭的な援助をしてもらいましょう。貴族間の争いに巻き込まれて亡命してきたとはいえドラド大公国の上級貴族様だ……金はたんまり持っているに違いない」
邪悪な者と噂されている者からの施しは受けないなどときれいごとを言っていられる余裕はない。とにかく今は行政機能を維持することが第一だ。そう理解はしているが、ベルティはそれでも納得できず不満そうに眉根を寄せる。
「よくない噂が立つ者から金銭を受け取ったことが知れれば厄介だぞ」
「あの者たちの人となりや生活ぶりは未だ謎に包まれている……そのために町中から警戒され、事件の犯人なのではないかと疑惑の目を向けられているのです。民衆は彼らの正体を知りたがっていますし、寄付の呼びかけは城を訪れる口実としてちょうどいいでしょう。治安管理局の人間である我らと教会の聖職者が訪問し、何事もなかったとあれば疑惑は払拭され騒ぎも沈静化するはず」
「しかし……騒動が収束したとしてもまた別の問題が出てくるではないか」
「と申しますと?」
「多大な寄付をしたアルベスク家が住民からの信頼を得る可能性もあるということだ。私はあの者が領主になることは断固として反対だ」
「晩餐会や舞踏会などの誘いにも乗らず、頑なに城に閉じこもっている人間が領主を引き受けるとは考えられません。ここまで世俗を離れた暮らしをしているのは貴族としての責務や面倒事を押し付けられたくないからでは?」
マクドウェルのこの言葉に、誰もが口をつぐんだ。彼はそれぞれの顔を睨むような目で見つめると、感情を抑えた声で続ける。
「彼は次期領主が決まるまでの駒だ。上手く使ってやりましょう」
「そうだな」
その言葉にようやく落ち着きを取り戻したらしく、ベルティはマクドウェルのその意見に賛同するようにゆっくりと頷き、言った。
「ならば必ずやこちらの要望を受け容れていただかなければ。――しかし統率する者がいない今、治安の問題は残る。この機を狙ってのし上がろうとする下級貴族もいるぞ……暴動が起きないよう警戒してくれ」
貴族と民を率いる大領主の不在……ルトマイア公爵の死は、あらゆる場面に深刻な影響を及ぼすだろう。
それまでふたりの会話を黙って聞いていたトマス神父が言葉を発した。
「上手く使う、ですか。……関心しませんね」
「神父様、きれいごとを言っている場合ではありません。すべては皆のためなのです」
ベルティが猫なで声でなだめる。
「これまでさんざん悪魔だの化け物だのと呼んでおきながら、このようなときばかり助けを求めるなど……都合が良すぎるのでは?」
トマス神父のその問いは明らかに、マクドウェルへ向けられている。
窓辺に寄り掛かり腕を組むと、彼は答えた。
「寄付をするかしないかはアルベスク様ご自身がお決めになることです。寄付すれば美談になるでしょうし、しなくてもそれを責める権利は誰にもない。彼に損はありません。もしも我々の要望を飲んでくれたら、彼は町の英雄だ。民衆が次期領主としての期待を彼に向けるのならそれもいい」
その言葉にベルティは面白くなさそうな顔をしたが、マクドウェルは構わず続けた。
「すぐ、彼に書状を送ります。よい返信がいただけるよう神に祈っていてください」




