10話
夕刻の鐘が遠くに聞こえる。
聖ラディウス教会の司祭ハリー・トマス、ケンプベルの治安官ミルドレスク子爵チャーリー・マクドウェル、そして治安管理局の面々を束ねる治安判事長レスノア子爵ジョルジュ・ベルティ……古寂びた集会場、リオナード邸に集まったこの3人の男たちは、重苦しい空気のなか会合の席に着いた。彼らの横顔は小さな窓から差し込む光に照らされ、薄闇に浮かんでいる。その面持ちは一様に暗く、緊張感に満ちている。
「まさかルトマイア公までもが凶徒の手にかかるとは」
苦々しく独り言ちたベルティは、苛立たしげに片膝を揺すった。
「あのような形で大領主を喪い……民衆に動揺が広がっています」
燭台の蝋燭に火を灯しながら、マクドウェルが声をひそめる。なにか言いたそうなベルティを横目に、彼は言葉を続けた。
「ルトマイア公を含めた9件の殺人事件。その犯人は、異国から来たジャーメイン城の居住者アルベスク家の者らではないかという声がもっとも多く、城の強制捜査および身柄拘束の要望が治安管理局に多数寄せられています。ですが、犯行現場の目撃証言はどれも曖昧なもので、犯人の特徴どころか性別すらもわかっていません」
「リュシアン・アルベスクと彼の妹たちの身辺調査は続けているんだろうな?」
「もちろん継続していますが、彼らを犯人とする明確な情報や証拠は一切出てきておらず……民衆の憶測のみで検挙はできないので、他に犯人がいる可能性も視野に入れて捜査しています」
マクドウェルは、町の人々のあいだに不穏な噂が流れ始めてから密かにリュシアン・アルベスクの動向を追っているが、逮捕に繋がるような怪しい点は一向に見つからない。城から出てきたのを確認できたのは数週間のうちたった数回で、そのうえ行動範囲は敷地内にとどまっている。そこで何をしているかといえば――なんのことはない。テラスに置かれた寝椅子で本を読んだり、庭園をゆったり散歩したり、時には花摘みをしていることもある。
彼の出で立ちや所作は実に優雅で洗練されていた。あの姿は一度目にしたら忘れられない……マクドウェルは初めて彼を見た日のことを回想する。
内側から光り輝くような白い肌を持つ、女と見紛うほどに麗しい男であった。よく手入れされたプラチナブロンドの巻毛と、魅惑的なアイスブルーの瞳、そしてわずかに口角の上がった薔薇色の唇……。たおやかな手つきで鋏を扱いバラの茎をぱちりぱちりと切る微かな音がよみがえり、マクドウェルは無意識のうちに耳朶に触れる。
伯爵の妹たちはどうかといえば、彼以上に姿を見せなかった。城の敷地内が見渡せる場所すべてに仲間を配し昼夜見張らせても、客の出入りはおろか馭者や門番の姿すらない。使用人と思しき褐色の肌の男がたまに出てきて、ひとり庭園をうろうろしているのみだ。
調査の協力者は日に日に減っていた。そのうえこの件に深く関わった人間ほどリュシアン・アルベスクの無罪を確信するようだ。闇雲に疑われている彼こそが被害者だ、と同情する者まで出てきている。彼の妖艶ともいえる美しさにみな参ってしまうらしい。
ルトマイア公爵の死から早5日。州を統率する大領主である彼が事件に巻き込まれ命を落としたことで、ケンプベルの治安官はみな目の色を変えた。この大事件を解決に導けば名を上げることができる――出世を狙い、事件担当でない者までがしゃしゃり出てくる始末だ。独自のルートで犯人を追い掛けている者も多く、情報共有もままならない。
治安管理局はもはや正常に機能していなかった。こういうときこそ局の長であるジョルジュ・ベルティが陣頭指揮を執り治安官らをまとめあげねばならないが、どうやらその器ではないようだ。
ベルティは、故ルトマイア公エリック・デュランの傀儡だった。司法権を担う治安管理局の判事長として裁きの場を牛耳ってきたがそれは表向きのものであり、実際はルトマイア公が裏で糸を引いていた。死刑判決を下すか否かさえ彼ひとりの裁量に委ねられていたのである。法や行政に多大な影響力を持つ大領主が死んだことで組織の統率は乱れ、秩序は失われつつあった。
「本題に入りましょう」
神妙な顔でマクドウェルが言う。
「他州からの侵略を受け事態が複雑化する前に、一刻も早くケンプベルの次期領主の候補者を選出せねばなりません。ご意見をお聞かせください」
領主の権限はその一族の長男が代々引き継ぐことになっているが、公爵には子どもがいない。妻帯者だったが子宝に恵まれず後継者はどうなるのかと噂されていた矢先の不幸だった。
後継問題を解決する前に急逝したため、次期大領主の座は空いたままだ。それを好機と見たか、他の州の大領主たちがルトマイア州の市町村を奪い合っていると聞く。すでにいくつかの町は陥落したようだ。
ここケンプベルには故ルトマイア公の拠点グライムス城があり、彼が町の行政に直接介入していたため小領主はいない。トップが不在の今、もしも攻め込まれてしまえば、話し合いの席につくことなく一方的に併合され支配下に置かれてしまうだろう。今以上に情勢が不安定になる前に、早急に新たな町の統治者を擁立するか、または信頼できる大領主に庇護を求める必要があった。
「これは大変なことになった……」
しきりに膝を揺すりながら、ベルティが手で顔を覆う。
ぎらぎらと光る瞳が忙しなく視線を交わし合う。しかしトマス神父だけはテーブルの上で燃える蝋燭の明かりを穏やかな眼差しで見つめ、波紋ひとつない湖のように落ち着き払っていた。
「婚内子も婚外子もいないのであれば、ルトマイア公の親族の中から選出しましょう。となると、ふさわしいのは……彼の叔父でしょうか」
トマス神父が静かに言うと、ベルティはテーブルを拳で叩き興奮した口調で叫んだ。
「金を使い込むことしかしない能無しの老いぼれに町を乗っ取られたらそれこそ終わりです!絶対に認められません」
顔面を憤怒の色に染めながら言った彼は身を乗り出し、
「神父様……抵抗はおありでしょうが、すぐにでもレイモンド公パトリック・チェスター様にご助力願いましょう!」
興奮気味のベルティを諌めるように、トマス神父はやわらかな声音で言う。
「その案には賛同しかねます。故ルトマイア公爵とレイモンド公爵が水と油のような関係になったのは、教理について意見が対立したことが原因です。レイモンド公にとって、聖杯会の教区であるこの地は忌むべき場所……こちらの利を優先し動いてくれることはないでしょう」
声が途切れ、重苦しい沈黙が辺りに満ちた。すると眉根を寄せたまま2人の話を聞いていたマクドウェルがようやく口を開く。
「領主不在のケンプベルは深刻な事態に陥っています。診療所や救貧院など、この町にある施設のほとんどがルトマイア公爵からの絶大なる支援ありきで運営していた……王室の援助金と住民からの寄付金だけではとても立ち行かない」
「後継ぎがいさえすればこのような問題に頭を悩ませずに済んだものを。死んでなお臣下の手を煩わせるとは、なんと無能な主君よ」
「彼ひとりの財力に頼り切り、不測の事態に備えることを怠っていたのがそもそもの間違いだったのです。これは行政を任されている我々役人の責任であり、後継ぎの有無は無関係です」
それを聞くなりベルティはトマス神父に向けていた視線をマクドウェルに流し、鋭く言い放つ。
「窮地に立たされているというならば、四の五の言わずレイモンド公爵に助けを求めるべきであろう!それに私たちが柔軟な態度で接すれば、教派や教理の違いでいがみ合う時代を終わらせられるかもしれんぞ」
マクドウェルは冷静な目で彼をまっすぐに見つめ返し、かすかに首を横に振った。
「私も神父様と同じく、レイモンド公に助力を願い出るのは反対です。ルトマイア公の叔父上に任せられないとおっしゃるならば、遠い血縁にあたるエルヴィン家のユーグレット様をお迎えしたらいかがでしょう」
「寡婦など論外だ」ぴしゃりと言い切って、「田舎貴族の支配する時代は終わったのだよ、マクドウェル君。パトリック・チェスター様は王家の血筋であり貴族院の有力者……彼ならば統率力に長け財力も申し分ない。革命の時がきたのだ」




