9話
「辻馬車が落としていったんだよ」
そう証言する男の声は震えている。
あまりに凄惨な事件だ……ケンプベルの治安官チャーリー・マクドウェルは書く手を止め、恐怖に青褪めている男を上目遣いに見た。
「喪服を着た御者が乗った馬車だった……つば広帽を深くかぶっていたし、顔はわからない。いきなり手綱を引かれて驚いたんだろうよ……馬どもが一斉に嘶いたんで何事かと顔を上げたら、道のど真ん中で停車してやがった。そんで……声をかける間もなく客席の扉が開いて、中から、……」
おぞましい音と共に肉塊が捨てられた――男は途切れ途切れに言うと汚れた顔を手のひらで拭い、喉の奥から込み上げてきた酸っぱいものを必死に堪える。
事件現場の近くには血塗れの麻袋が数枚落ちていた。犯人はバラバラに切断した死体を袋に詰め、わざわざ人々が往来する道まで運びその中身をばら撒いたのだ。
「客席にいた人物の顔は見たか?」
「見えなかったよ……なにしろあっと言う間のことで」
マクドウェルは苦虫を噛み潰したような顔で頷きながら証言を手帳に書き留めると、万年筆の端を噛む。
そのとき道の向こう側から、彼の幼馴染であり仕事の相棒でもあるアレックス・カールソンが小走りでやって来た。マクドウェルは聴取していた男を解放し、相棒に向かって開口一番に尋ねる。
「目撃者は?」
「残念ながら有力な情報は無し。誰に聞いても、急に現れて風のように立ち去ったと話すばかりさ。犯人はずいぶん手慣れているようだね」
ここのところ立て続けに起こっている一連の殺人事件と同じ人物の所業に違いない……マクドウェルは現場に目を向ける。切断遺体はすでに集められ治安管理局に運ばれた後で、住民が桶で水を掛け石畳にこびりついた血痕を洗い流している。
「犯人の顔を見た者はいないけど、屋根が壊れかけた古い辻馬車だったと証言する者が何人かいたよ。最近ルム・ドマ共和国で話題になってる殺人集団のしわざかな」
カールソンが小首を傾げると、マクドウェルは即座に首を横に振り、
「いや、おそらく犯人は彼らじゃない。……四肢の切断面を見たか?」
「やだなあ……そんなにまじまじと見るわけないじゃないか」
あきれたような声で言い放ち肩を竦める。マクドウェルは険しい顔で濡れた地面を見つめつつ言った。
「組織の崩れが全くなく切り落とされていた。ルム・ドマ共和国を騒がせているのは貧しい流浪の民だろう?使い古した粗悪なナイフしか持たない奴らが、腕や脚をあんなきれいに切断するのは無理だ。犯人はきちんと手入れされた上等な刃物を所持している者の可能性が高い」
そう推測するマクドウェルの父は医師で、軍医として従軍した経験もある。戦争での傷がもとでやむなく手や足を切り落とさなければならなくなった兵士はみな、父の経営していた医院に搬送されてきた。町の秩序を守り警護する治安官となるまでのあいだマクドウェルは、その手術の助手をしていたのだ。使う刃物や掛かった時間によって切断面が違うのはよく知っている。
「確かに言われてみればそうだね」カールソンは深く頷き、「それに奴らは遺体を解体するなんて面倒なことに時間をかけたりしないか……」
「ジャック・アローも酷い殺され方をしたが……ここまで損壊するとはあまりにも猟奇的過ぎる。ユーゴ・シムズやエド・グランのときよりも多くの臓器が消失しているしな」
「なんだって?」
「脳味噌と腸の一部と、舌、胃、肝臓……、あと」嫌悪感を顔に滲ませマクドウェルは自身の暗褐色の瞳を指差す。「目玉」
「おお嫌だ」
顔を顰めたカールソンは、粟立つ腕を服の上からさする。
「先週殺害されたジャックは胸から腹にかけて大きく裂かれていたが、持ち去られた臓器はひとつもなかった。しかし今回は……どんな目的があるか知らんが、きれいに切り取られている。そのうえ鋭利な刃物で四肢を切断され胴体は真っ二つ……」
ふたりはどちらからともなく深い溜息をついた。
「鋭利な刃物、ねえ。肉屋かな?豚や牛を解体できるなら人間なんて簡単なものだ」
カールソンが言うのを聞きながらマクドウェルは低く唸り、思案顔で顎鬚をさする。
「ルトマイア公爵は昨日の朝、聖ラディウス教会で目撃されている。そのときの彼はいつもとは違う様子だったそうだ」
証言の書かかれている手帳のページを太い指で繰り、彼は続けた。
「修道士の話だと告解を終えてからもすぐには帰らず、しばらくのあいだ祭壇の前に跪き祈っていたらしい。その後ロッテンミュラーの議場に向かい本会議に出席。終了後、メリングホルンにあるカントリーハウスにて就寝。そしてなぜか夜も明けきらぬ頃に家路についた。馬車を用意しようとしたが断られ、真っ青な顔でひとり飛び出して行ってしまったと複数の使用人が証言している」
「使用人たちはお供しなかったのかい?酷いな」
「いや、側仕えの者たちが後を追いかけている。しかし霧が濃くて見失ってしまったらしい。彼らはすぐ、公爵の居宅であるグライムス城に使いを出したそうだ。しかし夜明けを迎えても主は帰らず……無惨な姿で発見された。今は――」懐中時計を取り出し、
「9時か」
「その時計……精度は?」
「飾りと思って馬鹿にするな。けっこう高かったんだぞ」
鼻の付け根に皺を刻みながら息巻く彼の肩をなだめるように軽く叩き、カールソンは片頬を上げる。
「それで?君はどう考える?」
「カントリーハウスからほど近い森の中で、公爵が乗っていった馬の死体が発見されている。ということは、出発してすぐに拉致されたということだ」
「メリングホルンからケンプベルまでは、どんな駿馬でも2時間以上かかるよ。犯人はここに来る道中で彼を殺害、解体したってことかい?」
「彼がバラバラになった状態で発見されたのは午前7時過ぎ。4時前にカントリーハウスを出て行方知れずになったということは……拉致されてから道路にばら撒かれるまで3時間ほどしか掛かっていないということになるな」
「単騎で駆けるよりも辻馬車の方が遅いと考えると、死体損壊に使える時間はほとんどない。わざわざ屋内に運び込む余裕なんてなかったはずだ。人けのない森で犯行に及んだとしてもまだ辺りは暗かっただろうし、そんな状況で人体を細切れにして脳や内臓まで切り取るなんて無理じゃないか?」
マクドウェルは問いかけに相槌も打たず、難しい顔をしたまま懐中時計をベストの胸ポケットに押し込む。そうして歩き出した彼の後ろにカールソンが続いた。
「それにしても、ルトマイア公はなにをそんなに焦っていたんだろうね」
「これはまだ内密にしておいてほしい話だが……近ごろ公爵は、他の8人の被害者と同じく奇妙な夢と幻聴に悩まされていたらしい。邪悪なる者の声が聴こえると訴えて、だいぶ取り乱していたと……」
それを聞くなり、カールソンは乾いた声で笑った。
「その“邪悪なる者”とやらの声に怯えてカントリーハウスを飛び出したってのかい?朝4時に?」
小馬鹿にしたように言う彼を横目で見たマクドウェルは視線を鋭くする。
「夢や幻聴が突飛な行動の原因となった可能性は十分にある」
「人の心に忍び込む悪魔とか呪いのせいだったりして。怖くなっても途中で捜査を投げ出さないでくれよ?チャーリー君」
「ふざけてる場合じゃないぞアレックス。俺は悪魔も呪いも信じちゃいない。これは常軌を逸した人間が引き起こした凶悪犯罪だ」
叱られた子どものように唇をすぼめたカールソンは神妙な顔になり頷いて、同意を示す。
「立て続けに起こった8件の殺人事件との関連性も詳しく調べないとならないね」
「おそらく同一人物の犯行だろう。これまでに発見された遺体は四肢をバラバラにされてこそいなかったが、切り落とされた頭部、額に血で描かれたエピヌの星、口の中に銀貨……そして心臓に杭という点は共通している」
「被害者全員が同じ夢を見たり幻聴を聞いてるっていうのも妙な話だ。もしかしたら幻覚作用のある薬物が町に持ち込まれたのかもしれない。その点から見ると、すこし前に移住してきた例の伯爵が怪しい。しばらく彼の動向を探ってみるよ」
「リュシアン・アルベスクか……」
小さくその名を口にした彼は、天高く聳えるジャーメイン城に目をやる。
「俺はもう少し範囲を広げて聞き込むことにする。アレックス、君は伯爵の身辺を探るのと並行してこの辺りの廃墟や納屋をもう一度徹底的に調べてくれ。ここ一帯を囲む森の中も忘れずに頼む」
ふたりは頷き合い、それぞれに調査を開始した。




