137話
トマス神父の使いではなく独断で来たという話が本当で、そのうえ邪悪な存在を許さず徹底的に戦うという教皇庁の思想を聖杯会に取り入れることを、誰にも相談せず決めたというならば……ギルバートは教会内でかなりの力を有していることになる。
せっせと神父の機嫌取りばかりしている能無しだと思っていたが、エミリア・コレットが干されてからというもの彼の存在感は増すばかりだ。修道院長を差し置いて、修道会でも幅を利かせているとも聞く。
そこまで考えて、ベルティは書く手を止め宙を睨んだ。聖ラディウス教会や修道会が彼の手に落ちる可能性が高いとあれば、ここで恩を売っておいた方がよいかもしれないと思い至ったのだ。無下にして追い払い、のちのち煩い蠅になられたら堪らない。
「――つまるところ……新たな祈祓師を迎え入れて悪魔討伐の思想を広め、聖杯会でも邪祓いの儀式を行うことのできる人材を育てたいということであろう。しかしそれが本当に聖杯会のためになるというのか?教皇庁と結託して教理を歪めようとしていると邪推され反発が起こったら大変なことになるぞ」
「レイモンド卿に統治していただいてからケンプベルの治安は安定しました。彼が連れてきた祈祓師が己の命をかけて邪を祓ったことで平穏が訪れたという美談が広がるに伴い、教皇庁に向ける聖杯会信者らの目は以前よりも穏やかなものになっています。私たち教会側としましても、治安水準向上のため公に尽くし、レイモンド卿のお力になりたいと考えています」
「ふむ……それで?」
「われわれ聖杯会は不戦を貴ぶあまりに邪悪なる者の侵入を許し、今やクインレスタ教の宗派のなかでもっとも脆弱な存在となっている……レイモンド卿のご尽力のおかげで宗派の壁が打ち砕かれようとしているいまこそ、邪祓いの権威である祈祓師に教えを乞い、学びを深める絶好の機会。聖杯会に在籍する聖職者や修道者たちの多くが邪悪なるものを退けられるようになれば、こちらの管轄する教区で起こる問題を自分たちで解決できるようになりますから、今までのように教皇庁の手を煩わせることもなくなります。これはレイモンド卿にとっても良い話かと」
教皇庁が何百年ものあいだ、多くの犠牲を払いながら積み上げてきた魔を祓うための技と知識。それを無償で学ばせろという浅ましい乞食根性が彼の言動から透けて見える。正直、怒鳴りつけて追い返してやりたかったが、ベルティはぐっと堪えた。
仕方なく彼は引き出しを漁り、天鵞絨の紙挟みを取り出した。そしてしばらくのあいだ黙り込みじっくりと紙面に目を通すと、重々しく口を開く。
「君の役に立ちそうな奴をひとり知っている。神命使徒の会に所属する正式な祈祓師ではないが……マセス教会から枝分かれした救国派の信徒で、悪魔祓いを生業とする連中の間では腕が立つことで有名だ。会ってみたらいい」
書類や手紙の山の中から一枚のまっさらな便箋を引っ張り出し、なにやらさらさらと書き記す。荒っぽい手つきで二つ折りにして、ギルバートに差し出した。
「教皇庁からの頼みを無償で引き受けるような男だ。多少は信頼できるだろう」
そう言いつつも……実のところベルティは、彼の素性をよく知らない。わかっていることは、優秀だがなかなか食えない奴ということだけだ。
もしも、後々その男がレイモンド公にとって有益な人物だとわかれば、聖杯会からこちら側に引き抜けばいい。神命使徒の会の祈祓師たちから“出来損ない”と馬鹿にされている救国派の人間がどれほどの能力を持っているか見させてもらうとしよう――ベルティは密かに薄笑いを浮かべる。
その魂胆を知ってか知らずか、ギルバートは嬉々として紙を広げ文字に目を落とした。
「――ヨークエヴァ……」
彼はつぶやき、顔を上げてベルティを見る。
「救国派の一部が聖シャルレット大聖堂の近くに潜伏し、ロシュ・ゴドリック大主教の動向を監視しているようだと噂で聞きました。そのうちのひとりですか?」
「盲目の男だ。奴はとにかく鼻が利く……いろいろ知っているだろうから、きっと役に立つ」
質問には答えずにそう言うと、ベルティは新たな書簡の封を開け、ペン先をインク壺にひたす。それから二度と顔を上げようとはしなかった。
早く去れということらしい。唇に微笑を滲ませたギルバートは無言で一礼すると、静かに長官室を後にした。




