135話
血走った目で神父を射る。責めるようなその眼差しを受け、彼は乾いた唇を開いた。
「私を責める暇があるのなら、シスター・エミリアが採取した血液の使い道を一刻も早く明らかにし、言い逃れできないよう物証を集めて追い詰めなさい。羊の血を用いた黒魔術で誰かを呪い殺すようなことをしていたとしたら、いくらゴドリック大主教でも庇い立てすることはできないでしょう。後ろ盾をなくした彼女は問答無用で異端審問にかけられ、刑に処されることになる」
「残っているかどうかもわからない呪術の痕跡を探すなど、時間の無駄だと思いませんか。致命傷でなかったとはいえ、罪のない羊が襲われたことは揺るがぬ事実です。治安管理局に相手にされなくとも、エミリアに懐疑的な目を向けているケンプベルの民は私の言うことを信じるはず……この惨状を世間に公表し、彼女が犯人であることを広く訴えれば――」
「まずは命じられたことをひとつでも完遂しなさい。あなたの意見はそれから聞きます」
冷たい声で言葉を遮った神父は、彼の肩を強く押して突き放す。
「役立たずめが……」
口の中で小さく発せられたその言葉を、ギルバートは聞き逃さなかった。
後頭部を殴られたような衝撃で何も言えなくなっている彼に背を向けた神父は、ハンカチーフで鼻を覆うと、柵を離れ足早に聖堂の方へと去っていく。
ギルバートはその後ろ姿を見送りながら茫然と立ち尽くしていたが、やがて狂ったように髪を掻きむしり、地面に向かって吠える。
「――必ずこの手で罰を下してやるからな……エミリア・コレット!」
憎悪と怒りに燃える目で修道院の方を睨むと、傍にいた羊の腹を思い切り蹴りつけた。
あちこちで鳴き声が上がるなか、囲いを出て乱暴に門扉を閉める。彼は悪態をつきながら大股で放牧地を横切りケンプベルの町に下りていった。
空き瓶に、漏斗を使って羊の血を流し込む。コルクで栓をしたそれをラタンバスケットに戻し蓋を閉めると、エミリアは足早に修道院を出た。天高く昇った真昼の太陽が、仄暗い思いを秘めた彼女の体を清らかな光で照らしている。
「トニトルス!」
城の前まで来たとき、バルコニーにその姿を見たエミリアは小走りで橋を渡りながら名を呼んだ。
狼の姿で飛び降りてきたところをいつも通り抱きしめる。するとトニトルスは彼女に似つかわしくない臭いを嗅ぎ取り、鼻の付け根に深い皺を寄せた。
彼女の腕の中から抜け出した狼は、低く唸りながら後ずさる。頭を垂れ背中を丸めた次の瞬間、彼の体が大きく波打った。肩甲骨部分が盛り上がり、肥大した肉と筋が皮膚の下で蠢く。エミリアが目を丸くして見つめる先で、黒狼は人間に変身した。
「おい……」素早く距離を詰めた彼はエミリアの手を取り、鼻先に押し当てる。「この臭い……血だな?どこから持ってきた」
エミリアはマントを脱ぎ、裸の体に掛けてやりながら言う。
「リュシアンに会わせてちょうだい」
大扉に向かおうとするエミリアの前に立ちはだかり、トニトルスは顔を顰めた。
「待て。質問に答えろ」
「羊の血よ。人間のものじゃないわ」
「それはわかっている。どこから持ってきたのかと訊いてるんだ」
視線を彷徨わせ、なおも話をはぐらかそうとするエミリアの細腕を掴んで問い詰める。
「言え」
真剣な眼差しを正面から受けた彼女はとうとう白状した。
「修道院で飼育している羊の血よ」
「なんだって?」
叫んだトニトルスは天を仰ぎ、溜息まじりに続けた。
「神父や仲間たちとうまくいってないんだろ?真っ先にあなたが疑われるぞ」
「私のことはいいの。リュシアンに会わせて。早く……」
「動物の生き血を抜くなんて、まさかそんな過激なことをするとは思わなかったよ」
「もしも彼が家畜の血の味を好むなら、いくらでも持ってくるわ」
なんて向こう見ずな人だ……トニトルスはつぶやき、扉を大きく開けエミリアを城内に招き入れる。
鎧戸で光が遮断された寝室は静寂に包まれ、生者の気配はまるでしなかった。服を着てきたトニトルスが見守る中、エミリアはリュシアンに近づきベッドの横に膝をつく。
暗闇の中に浮かびあがる青白い顔。エミリアは、昏々と眠り続ける彼の髪を指で優しく梳いた。
トニトルスは険しい顔をしたまま、黙ってそれを見つめている。
ヴァンパイアは空腹が続くと理性を失い本能のまま獲物を貪るようになる……それを身をもって知っている彼はリュシアンがいつ暴れ出すかと警戒していた。
メトゥスのような最下級ヴァンパイアでもあれほど手古摺ったのだ。魔族全体で見てもトップクラスの才能と能力を持つリュシアンが暴走などすれば町はあっというまに屍の海と化すだろう。その光景を思うと、さすがの彼も腹の底が冷えるような恐怖を感じた。
トニトルスが昏い目を向ける先、エミリアはラタンバスケットの蓋を開けて中から羊の血が入った瓶を取り出す。そしてナイトテーブルに転がっていたグラスに注ぐと、片腕をリュシアンの首の下に差し入れ上体を起こした。
「リュシアン」
耳の傍で声を掛けたが、やはり反応がない。蝋のように生気のない顔を見つめながら、血色を失った唇にグラスの淵をあてた。
しかしリュシアンはわずかにも口を開かない。根気強く香りを嗅がせたが、ぴくりとも動かず眠っている。




