127話
本がびっしりと並んだ書棚を見回して、エミリアは感嘆の声を漏らす。
ジャーメイン城の書庫に彼女はいた。なぜかといえば、ファヴィラを手伝うためである。
事の次第はこうだ。リュシアンに襲われてからおよそ一週間後、再びジャーメイン城を訪れたエミリアは彼の私室の扉を叩いた。しかし会ってはもらえず、肩を落として帰ろうとしたところをファヴィラに引き留められたのだ。大広間に通され軽食と飲み物をご馳走になりながら、朝からずっと書庫の整理をしていたという話を聞き、いつも良くしてもらっている礼を込めて手伝いを申し出たのである。
ファヴィラはエミリアをよく慕った。エミリアもまた、友好的に接してくれる彼女に心を許している。リュシアンやトニトルスの前では表情を崩すことなくきびきびしているが、ふたりきりになると人が変わったように甘えてくるファヴィラを、エミリアは妹のように可愛がった。ふたりは、周囲が思うよりずっと親密な関係だ。
「リュシアンは読書家なのね」
経年劣化で頁が外れたり虫に食われてしまったものとそうでないものを選別しながら、エミリアは瞳を輝かせる。
「哲学書、医学書、美術書に歴史書。まあ……禁書まで」
「お兄さまは知識欲旺盛な御方でして、あなた様が転生されるのをお待ちになるあいだ、一日のほとんどを読書に費やしてらっしゃいました」
ファヴィラの言葉に相槌を打って、手に取った一冊の表紙をめくった。
「これは?」
「イルビヌス教団が信奉する太陽神カダについての文献です。ノレム教の唯一神ダミア・シシについて書かれたものも数冊ございます」
言いながら、迷いなく抜き出した数冊の本をエミリアに手渡す。すぐさまそれを開きページを繰りながら、彼女は唸った。
「レネシア語も読めるだなんて……すごいわ」
リュシアンはほとんどの国の言葉を使いこなす。エミリアも複数の国の言語を話せるが、今や古語となったロネ語よりも前に使われていたといわれるレネシア語は解読するための資料もほとんど残っておらず、わからないところも多い。
「最近は、クインレスタ教の歴史に興味がおありのご様子。聖典にまつわる遺跡の研究記録や各地に残る聖使徒の逸話をまとめた書物を買い集め、熱心にお読みになっておられます」
彼女が指し示す先、宗教学や聖典、預言書、神話といった本が山積みになっている。それを見たエミリアは驚きを隠せない。宗教を馬鹿にしていたリュシアンがまさかこんなにも様々な本を読み漁っているとは。
「エミリア様のことを理解したいとお考えなのだと思います」
梯子に上って棚に本を並べながら、ファヴィラが言う。その背中を見つめ、エミリアはぽつりとつぶやいた。
「そうかしら……」彼女は小さく息をついて、「――私……時々、彼のことがよくわからなくなるの」
手を止めたファヴィラは梯子の上からエミリアを見下ろした。
「あなたとリュシアンは、すいぶん長いあいだ一緒にいると聞いたわ。あなたしか知らない彼の姿がたくさんあるのでしょうね」
「――リュシアン様は慈悲深く情に厚い御方です。主従関係である以上、本来ならば許されぬことですが……兄と呼ぶことを容認してくださり、私たちのことも妹と呼んでくださいます。なにか困ったことがあれば、血の契りを交わした兄妹なのだから頼ってほしいとまで言ってくださって」
「あなたたちのことをとても大切に思っているのね……」
「恐れ多いことです」
うつむいたファヴィラは、抑揚のない声で言葉を返す。ややあって彼女は、再び書棚に本を収め始めた。
選別が終わったものを梯子の下から渡していたエミリアは、ファヴィラの異変にすぐ気がついた。一向に作業がはかどらないことに違和感を覚えて仰ぎ見れば、彼女は心ここにあらずといった様子で、本を手にしたまま一点を見つめている。
表情に変化はないが、どうにも挙動がおかしい。ついさっきまで機械のように正確に本を並べていたのに、今では目に見えて作業速度が落ち、集中力を欠いているように見える。表紙や背表紙を無意味にいじってばかりいるし、巻数の順番を間違えていることにも気づいていない。
様子がおかしくなったのは、先ほどリュシアンのことで話し込んだあとからだ。会話の内容を思い返したエミリアは、ふいに顔を曇らせた。
「ファヴィラ」
「はい」
「リュシアンとなにかあったの?」
「いいえ、なにも……」
ファヴィラは微笑んだ。すべてを諦観したようなその笑みが、エミリアの目にはなんとも悲しげに映った。
すべての作業を終えた頃には陽も落ち、窓の外は深い闇に覆われている。ふたりは連れ立って書庫を出た。
「夕食をご用意しますので、大広間でお待ちください」
「お言葉に甘えたいところだけれど、門限が迫っているから……もう一度リュシアンに声を掛けて、今日は帰るわ」
リュシアンの部屋の前でファヴィラと別れたエミリアは、かたく閉ざされている扉を叩いた。今度こそ返事がこないかと、耳を澄ます。
蝋燭の頼りない灯りの中、彼女は沈黙し続ける大扉をじっと見つめた。
ファヴィラから聞いたところによれば、騒動のあったあの夜からこうして鍵をかけ閉じ籠っているという。部屋から一歩も出ずトニトルス以外の誰とも会おうとしないらしい。
エミリアは、豹変したリュシアンの白銀の瞳を思い起こす。
人の血を飲むことを避け続けたことで、彼は相当強い飢餓感に苛まれていたのだろう――エミリアは自分の軽率な発言や不注意がリュシアンを追い詰め豹変させてしまったのだと自覚し己を責め続けていた。




