123話
彼女が内心あれこれと気を揉んでいることを知らぬリュシアンは、テーブルランプに灯を入れ、カードを箱から出す。
「さあ、なんのゲームをしようか」
「――コントラクトブリッジはどう?」
向かい側に腰掛けたエミリアは努めて明るく言いながら、ちらりとリュシアンを見遣った。
「人数が足りないじゃないか」
「レディ・ファヴィラを誘いましょうよ。トニトルスも入れたらちょうどぴったり4人よ」
「あの獣をここに呼べと?」
片眉を上げ、エミリアを軽く睨みながらカードを切る。
「君は怖いもの知らずだな。ふつう、狼と聞けば恐怖心を抱くと思うが」
「あの子は特別よ」
ふふと笑うエミリアを前にあきれたような顔をして、リュシアンはカードの束を乱暴にテーブルに置く。そして若干前のめりになりながら言った。
「あのな。トニトルスはただの狼じゃないんだぞ」
「わかってる。でも……とっても甘えんぼうで、かわいくてしかたがないの。しぐさも狼というより子犬のようだし……」
「こっ……子犬?」
「あのこ、体はあんなに大きいけれど、子どものワーウルフなんでしょう?私がひとりでどこか行こうとすると、すごく悲しそうに鼻を鳴らしてまとわりついてきて、離れようとしないの。このあいだなんかお手洗いにまでついてきたのよ」
そのとき蝶番の軋む音がし、ふたりはその方を振り返る。リュシアンは嫌悪感を露わにし立ち上がった。
開いた扉の向こうに黒い毛並みの狼がおり、凛々しく聡明な眼差しでふたりを見つめている。
嬉しそうなエミリアと目が合うと、狼は足取り軽く入室してきた。
「出ていけ」
トニトルスは指示を無視し、爪先を鳴らしながら部屋の奥に進んでくる。
その後にファヴィラが続く。持っているトレーの上にはつくりたてのサンドイッチが載っている。
ファヴィラが食事の準備を整えているのを横目に、トニトルスは座っているエミリアの膝に擦り寄った。彼女は愛おしそうに目を細めてその鼻先を撫でる。甘やかな慈愛をその身に受け、ご満悦の狼を憎々しく思いながら、リュシアンは再度告げる。
「おい。出ていけと言っている」
「そんなことを言わないでリュシアン……」諌めたエミリアは狼の額に頬を当てて抱き寄せ、「私に会いに来てくれたのよね?」
背中の毛を撫でてやりながら言う。リュシアンはちっと舌打ちをして睨んだが、狼はそっぽを向き無視し続けている。
「人間の姿になってはいけないの?一緒に遊びたいわ」
エミリアは無邪気に言う。
「自分で毛づくろいもできないようなやつにゲームなんて無理だ」
「冷たいご主人様ね……」
エミリアはトニトルスの頬を両手で挟みやさしくさすりながら、美しく光る黄金の瞳を覗き込んだ。狼は鼻先でエミリアの頬にキスし、甘えるように顔をこすりつける。
「いつまでそうしているつもりだ……ゲームを始めよう」
憮然とした表情で言いながら腰を下ろしたリュシアンに向き直り、彼女はテーブルの上のカードを取った。
「ジン・ラミーをしましょうよ」
「ポーカーもできるぞ」
エミリアの足元に寄り添って座ったトニトルスを睨みつつ言ったリュシアンは、テーブルの上に放置していた木箱の蓋を開けてみせた。中には色とりどりのポーカーチップが入っている。
「まあ……きれいね」
「ルム・ドマ共和国から取り寄せたものだ」
エミリアは天然石で作られた色鮮やかなそれを手に取り珍しそうに眺めている。その様子を見つめながら頬杖をついたリュシアンは、静かな声で言った。
「どうせなら何か自分の大事なものを賭けて勝負しよう」
「大事なもの?」
目を丸くしてエミリアがつぶやくと、彼は淡々と告げる。
「もちろん金銭でもいい」
「お金はないわ」
エミリアは思案顔になる。微かに笑ったリュシアンは、彼女の胸元に視線を落とした。
「君が後生大事に首から下げているクインレスタのメダリオン。それを賭ければよかろう」
それは悪魔のささやきのように聴こえた。目を瞠ったエミリアは首を横に振る。
「無理よ。できないわ」
メダリオンを握りしめた彼女をまっすぐに見つめ、リュシアンは鼻で笑った。
「それは残念だ。目障りだから奪って捨ててやろうと思ったのに」
彼女の表情がわずかに曇ったのがわかったが、リュシアンは挑発するように片頬を上げて笑う。
「できないのなら、それ以外のもので。何を賭ける?」
硬い表情のまま、彼女は黙り込んでいる。そこに追い打ちをかけるように彼は言葉を継いだ。
「信仰と奉仕ばかりで、自分の富には興味もなく生きてきたようだな。己の財を分け与え清貧を貫くことが尊いだなんて……私に言わせれば自己陶酔の極みだ」
嘲笑う彼を見つめるエミリアの目には、怒りではなく悲しみが滲んでいた。傷つけたとわかっていたが、リュシアンは謝ることができない。
彼が機嫌を損ねる原因となったのは――言わずもがな、トニトルスである。この黒狼のことを、エミリアがかわいがっていることがどうにも面白くない。
「早く賭けたまえ。待たされるのは嫌いだ」
人差し指でテーブルを叩いて急かす。すると、じっと黙っていたエミリアがようやく唇を開いた。
「私の血を」
さっきまでの不敵な笑みを消したリュシアンは、こぼれんばかりに目を見開く。
その言葉に反応したのは彼だけではない。トニトルスも弾かれたように頭を上げてエミリアを見上げた。
「グラス一杯分の血を賭けるわ」




