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FATUM  作者: 紙仲てとら
第三章

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122話

 石像のように固まったまま何も答えない彼に焦れたのか、エミリアは更に言う。

「あなたと一緒に……――ふたりだけで朝を迎えたいの」

 この国において、共に夜明けを迎えたいと相手に望むことは、一線を越えても構わないという意思表示だ。

 リュシアンは込み上げる喜びを隠すように唇を噛んで、エミリアから目を逸らした。そしてひとつ咳払いをすると、

「その言葉がどういう意味を持つか知っているのか?」

 感情の動きを悟られぬようできるだけ平坦な声で尋ねる。恥じらいからか言葉を詰まらせているエミリアに近づいた彼は、片膝を床について顔を覗き込んだ。

「どうなんだ。エミリア……」

 問われた彼女は、ただ頷いた。

「――わかって言っているなら好きにしろ」

 立ち上がったリュシアンは素っ気ない口調で言い、いつもよりだいぶ早い心臓の拍動を感じつつ続ける。

「その格好では寛げないだろう。あとでファヴィラにナイトガウンを用意するよう言っておく」

 エミリアは頬を赤く染めたまま、はにかむように微笑んだ。リュシアンの顔も、心なしか血色がいいように見える。

 彼らは寝室と繋がっている居間に移動した。ほどよい広さの空間には応接用の豪奢なテーブルと椅子が置かれ、壁にはかつてこの城の主であった人物の肖像画や色褪せた風景画が飾られている。

 リュシアンは暖炉に残り火がないかどうか念入りに確認すると、エミリアに振り向いた。

「夜は長い。まずはサンドイッチでも食べながら、トランプゲームをしよう。塩漬けの牛肉は好きか?」

 ふいに尋ねられた彼女は一瞬口籠り、眉尻を下げる。

「ごめんなさい。魚以外の肉を食べるのは禁じられていて……」

 申し訳なさそうに答えたとき、どこからともなく女の声がした。

「チーズと卵はいかがでしょう」

 驚いて振り向けば、ファヴィラだ。

「お嫌いでなければ、トマトやルッコラも」

 エミリアは顔を輝かせ何度も首を縦に振る。

「お兄さまは肉のみでよろしいですか」

 声の方を見ることなく頷いたリュシアンに一礼し、

「かしこまりました。お待ちくださいませ」

 そう言うと、きびきびとした足取りで廊下に出ていった。

 ファヴィラの姿が扉の向こうに消えるのを見届けたエミリアは、リュシアンの方に顔を向ける。

「リュシアン」

「なんだ」

「塩漬けの牛肉なんて食べて大丈夫なの……?」

 窓辺に立って外を眺めていたリュシアンは目を丸くして、思わずエミリアに振り返る。

 彼女はひどく心配そうな顔をしていた。その心に広がる憂いを拭い去ろうとするように、彼はおだやかに微笑みかけた。

「咀嚼する力と胃腸の機能が衰えていた祖父が、君の言葉とまったく同じことを母から言われていたことを思い出したよ。年寄り扱いしないでくれと怒りたいところだが……まあ、900歳を過ぎているともなれば心配されて当然か」

 かけられた言葉の真意がわかっていながらも冗談めかして言う。深刻にならず笑ってほしかったのだが、エミリアは生真面目な表情を崩すことなく、眉根を寄せ懸命に訴えた。

「違うわ、そういうことじゃないの。人の食べ物を口にすると吐き気がすると、日記に書いていたでしょう?よく噛まないといけないものを食べるのはつらいんじゃないかと思ったのよ。このあいだ食事をご一緒したときも、無理をなさっていないかずっと気がかりで……」

 エミリアのやさしさに胸が苦しくなりながらも、彼は先ほどと変わらぬ優雅な微笑みを湛えたまま軽い口調で答える。

「あの日記を書いていた頃に比べると、たいぶ食べ慣れたから心配いらない」

 夫婦として共に暮らしていたときのように食卓を囲めるなら、吐き気なんていくらでも我慢してやる――あとのことは胸のなかでつぶやきながら笑みを収め、リュシアンは長椅子に座る。

「お願いだから……血液があなたの栄養源なら、私の前でも無理せずに飲んでちょうだい。体が受けつけないものを摂取し続けるのはよくないわ」

「確かに人間の食糧はすこしも栄養にならないし腹も満たされないが……君と同じものを食べ、同じ飲みものを味わうことが数少ない楽しみなんだ」

「――リュシアン……」

「このことで言い争いはしたくない。私の幸福な時間を台無しにしないでくれ」

 そこまで言われてしまうと、もう何も言えない。エミリアは顔を曇らせ口を閉じた。

 リュシアンはエミリアに、今は野生動物の血しか飲んでいないと伝えてあった。人間を襲うことはもうやめたのだと。

 それを聞いたエミリアは嘘だとは思わなかった。だからこそ、複雑な気持ちになった。

 犠牲者が出ないならばよかったと胸を撫で下ろすことなどできない。人間の血を飲まなくなったことによりリュシアンの命の炎の勢いが衰えているのではないかと、彼女は密かに憂患していた。魚や肉といった食べ物からは栄養が摂れないとなればなおさら心配だ。

 ここのところの彼の不調……血液ならばなんでもよいというわけではなく、人間の血こそが正常な身体活動を維持するための重要なエネルギー源となっているのではないか?そうであれば彼はとても無理をしているのだろうと、エミリアは思った。そして、彼が無理をするのは恐らく、人間である自分との関係を意識してのことであろうとも思った。

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