119話
「くだらん遊びはやめておけ。腹壊すぞ」
「私のやることにいちいち口を出してくるな。うっとおしい」
「ここのところ毎日そんなもんばかりファヴィラに用意させてるそうじゃないか。あのひととの距離が近づいたことでいろいろ思うことがあったんだろうが、おまえの体は人間の餌を受けつけないんだからさ……吐きそうになってまで食おうとするなよ」
空いている椅子に飛び乗った瞬間人間の姿に変化し、彼は黒々とした髪の隙間から黄金の瞳を光らせる。そしてテーブルに頬杖をつくと、蝋燭の火に照らされた皿を一瞥した。
「おまえが苦しむことをあのひとが望むはずがない。だからこんなことはもうよせ。あのひとはおまえが人や獣の血で空腹を満たしていることを知っている……それでもああして会いにきてくれているんだ。あのひとは、ジュディとは違う。おまえもそれをわかってるはず」
リュシアンは聞こえていないかのように食事を続けている。目を細めたトニトルスは肉の一切れを指でつまんで口に放った。満足そうな顔で咀嚼している彼を見て、リュシアンは眉を吊り上げる。
「食事の邪魔をするんじゃない」
「これが食事だって?」
言うなり空のグラスを持ち上げて床に落とす。
手を止めたリュシアンは弾け散った硝子片を見遣った。
「おまえは人じゃない。ヴァンパイアだ。腹が減っているなら女の生き血を啜ってこい」
なにも言わずにテーブルナプキンで口を拭っているリュシアンを眺め、トニトルスは声を低める。
「オレは何度でも言うぞリュシアン……人間だった頃の生活を続けても人の血を飲むのをやめても、おまえはもう元には戻れん。火の精霊の助言はすべて嘘だ。真に受けるな」
なおも黙ったまま立ち上がったリュシアンを見上げ、
「馬鹿な奴……」
トニトルスはつまらなそうに鼻を鳴らす。
相手にせずテーブルを離れたリュシアンは、まっすぐに扉に向かった。目で追いながら彼は、その背中に声を投げる。
「おい、どこへいく。話はまだ終わってないぞ」
「おまえがここにきた理由はわかっている」
足を止めてそう言うと、ややあってから肩越しに振り向いた。
「ファヴィラ」
大窓の前に立ち黙ってふたりのやりとりを聞いていた義妹は、背筋を伸ばし一歩前に出る。
「今日、私が出掛けているときどこにいた?」
「書庫で本の整理を」
「それを証明できる者は?」
「……おりません」
兄の静かな怒りを感じたファヴィラは顔をうつむけた。重苦しい沈黙をはさんで、リュシアンは再び唇を開く。
「私になにか言うことがあるだろう。妹よ」
「なにもございません」
即答する彼女を見つめたリュシアンは目を細める。
「――愚か者めが。謝罪する機会を与えてやったのに」
冷ややかな口調でそう言い残し、彼は部屋を出て行った。
「どうやらおまえがなにか悪さをしていると考えているようだな。弁解しないのか」
トニトルスはファヴィラの姿を横目に捉え、喉の奥で笑う。感情のこもらない瞳でテーブルの蝋燭を見つめていたファヴィラは色褪せた唇を解いた。
「お兄さまのお考えが真実だから」
「そんなことを言ってないでさっさと誤解を解け。殺されるぞ」
「あの方の手にかかって死ねるなら本望だわ」
夜に塗り潰された窓を背にしていた彼女はおもむろに屈み込むと、床に散らばっている硝子片を拾い上げ手の中に握り込む。血が滴り落ちたが気にする様子もなく、無表情のまま尋ねた。
「お兄さまに話があって来たんでしょう。なにを言うつもりだったの」
「メトゥスがさっき死んだよ。それを伝えにきた」
「――そう……」
「行ってやれよ」
トニトルスは開け放たれたままの扉を顎先で示す。ファヴィラは廊下の暗がりを見遣り、小さく息を吐いた。
その頃、食事室を出たリュシアンは三姉妹の末妹メトゥスの元へ向かっている。気配が消滅したことを察知したからだ。
彼女は居館からすこし離れた場所に建つ監視塔の一角、厳重な結界を張った牢屋に封じ込めてある。
遥か昔、ジャーメイン城を所有していた小領主は妻子と家臣を皆殺しにたあと、この塔の最上階で自らに火を放ったのち投身自殺したという。彼の魂を慰撫するための祭儀を行った痕跡が未だに残っており、火だるまになった彼がもがき苦しんだと思われる黒く煤けた一角には、クインレスタの聖像が安置されていた。鎮魂の願いが込められた像が放つ神聖な力は、弱り切ったメトゥスをさらに痛めつけたに違いない。
三姉妹の次女ウングラは末の妹が収監されている牢を前に、茫然と立ち尽くしていた。
リュシアンは黙って彼女の横に並び立つと、牢内に目を遣る。石の床には黒々とした大きな染みがあるだけだ。
「兄上はいじわるだ」
ウングラは口を開き、ぼそりとそう言った。
「主に逆らったことで封じられた……これを不当と思うのか?」
問うたリュシアンに彼女は答える。
「ふとう……?ふとうというのが、まちがっているという意味なら、そのとおりだ。兄上はまちがっている。きずだらけのまま、こんなところにとじこめられて、メトゥスは泣いていた」
「当然の報いだ」
「あのこはくるしんで死んだ」
ウングラは体ごとリュシアンに向き直った。そしていつものように背中を丸めたまま続けた。
「兄上にいじわるされて、ころされた。ゆるせない。ゆるさない……」
被っていたフードを取った彼女は異形の顔を露わにし、溜めこんでいた怒りを爆発させるように叫ぶ。
肉の繊維が切れ骨が砕ける音と共に腕が伸び、長い指がリュシアンの首を絡め取った。喉をきつく締め上げた次の瞬間、もう片方の手がマントの下から滑り出てくる。彼が微かに目を細めると同時……長く伸びた爪が左胸を刺し貫いた。
ウングラの爪は鉄のように硬く鋭い。仕留めたと確信したのか、彼女はめくれ上がった唇を震わせ、奇妙な声で笑った。
しかしリュシアンは眉ひとつ動かさず、冷たい眼差しで彼女を見据えている。
「忘れてしまったのか?おまえに私を殺すことはできないよ……」
言うなり彼は、トカゲのような質感の彼女の手首を握り、
「それに、心臓はもっと右……今度はしっかり手を当てて確認してからやったらどうだ」
ゆったりと笑みを浮かべる。それを見たウングラは爪を引き抜き、彼から飛び退いた。黒い血が吹き出たがリュシアンは涼しい顔で、痛みを感じている様子がない。
ウングラはそのまま背後の濃い闇に溶けようとしたがしかし、冷酷な白銀の光を目に宿した魔物はそれを許さなかった。




