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FATUM  作者: 紙仲てとら
第三章

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114話

 ランドルフ・グラーツ博士の怪死に、救貧院の少女クレア・オルビーが関わっている――そう考えたレイモンド公パトリック・チェスターは、博士の死と共に姿を消したクレアの捕獲を命じたが、その行方は杳として知れなかった。

 右腕として重宝していた者を亡くしても、レイモンド公の目に涙はない。彼にとっては仲間の死など些事に過ぎないのだ。人手を割いて調査にあたらせているのも、博士が所属する神命使徒の会の不興を買わないためであり、死者の無念を晴らすためではない。

 追悼期間中もレイモンド公は領土拡大のための策をめぐらせていた。目下のところ重要なのは、ルトマイア州全土の獲得である。この野望を叶えるための足がかりとして、彼は本格的にケンプベルの攻略に乗り出した。レイモンド州の州都ブラウセンから多くの役人を呼び寄せ内政を取り仕切り、今やケンプベルと深い繋がりのあるブロディア州レシュターブにまで勢力を伸ばしつつある。

 新たな法律の制定・施行、刑法改正により犯罪行為が軒並み厳罰化されたことでケンプベルの犯罪率は驚くほど下がった。しかし、道を行き交う人々の顔は一様に暗く、目抜き通りでさえ以前のような活気はない。

 その原因のひとつとなっているのが、警邏隊所属の治安官の存在だ。組織の中でも下層部に属する彼らは我が物顔で町なかを闊歩していたが、暮らしを守るという使命感を持っている者はわずかで、そのほとんどが巡回という名目で酒場を渡り歩きながらタダ酒を呑み、往来で騒ぎ、宿屋に女を連れ込んで慰みものにする性根の腐った人間ばかりだった。

 しかしそんな連中はまだましだと人々は口を揃える。もっとも厄介なのは、警邏隊の上層部だ。

 飲んで食って騒ぐ下っ端たちよりも圧倒的に数が少なく町なかで出会うことも稀だが、彼らは人々が存在を忘れかけた頃になんの前触れもなくふらりと町へ下りてきて、ほんの気まぐれで住民を捕らえ尋問、ときにはひどい拷問にかけるのである。まるで“逆らったらこうなる”という見せしめのように。

 拷問によって手足の指を失ったり目や耳に障がいを負った者がいるばかりか、言われのない罪を着せられ冤罪で死刑に処されるという痛ましい事件も起こっている。そのため住民は常に周囲を警戒し陰鬱な表情で暮らしていた。

 民衆の苦悩を知ってか知らずか、レイモンド公は空き地をすべて農地とするよう指示し、作物の収穫に精を出させた。彼らは懸命に働いたが、生活はいつまで経っても楽にならず、懐は寒く食卓も貧しいままだった。収穫したものの大半は州都ヨークエヴァに運ばれ彼らの口にはほとんど入らなかったのだ。そして当然その利益は公爵の懐の中に納まるのだった。

 この町がレイモンド公の領地となると知らされた当時、民衆は歓喜に沸いた。ケンプベルをルトマイア州屈指の都市にするという宣言を聞いて大いに盛り上がり、噴水広場に彼の銅像まで立てて歓迎の意を示したのだ。ケンプベルの都市化が叶えば産業が発展し暮らしが豊かになると誰もが信じていたが、それは虚しい夢物語に過ぎなかった。

 彼の息が掛かった聖ラディウス教会も、今や民の心の拠り所ではなくなっていた。その一方的なやり方に異議を唱えた修道者もいたが、そういった者たちはみな反乱分子の烙印を押され除籍となり町を追われた。

 この地に迎え入れるべきではなかったのだ――甘言に乗せられたことがすべての過ちであったと多くの人間が気づいていたが、誰一人としてその本心を口に出せずにいる。

 そんななかエミリアはといえば、副助祭の職を剥奪され、処分を待つためだけに修道院に籍を置いてる状態だ。彼女は頻繁に教会を抜け出してリュシアンに会いに行き、星見の森の奥深くで穏やかな時間を過ごした。

「――奥様のことを深く愛してらしたのね」

 今日も彼らは、広く枝を広げた林檎の木の下で寝そべり、夏の空を見上げている。

「いったいどうやって、気難しいあなたを夢中にさせたのかしら……記憶がないのが悔しいわ」

 エミリアはちいさく溜息をついた。堅苦しい言葉遣いはやめるようにとリュシアンからうるさく言われ、最近の彼女の口調はすっかり砕けてやわらかくなっている。

「自分の前世が気になるか?」

 清らかな水が流れる運河のほとり。青々と生えそろった芝の上、草いきれを大きく吸い込んだリュシアンは、わずかな沈黙ののちうっとりと言葉を紡いだ。

「美しい人だったよ。立ち姿も凛としていてね……時を忘れて見惚れるほどだった」

「地下室にあったあのドレスは、あなたが選んだの?」

「もちろんだ。彼女は青色のものを好んで身につけていたから、きっと気に入ってくれるだろうと思ってね。あれの他にもたくさんのドレスや宝飾品を贈ったが、どれもよく似合っていたよ」

「ずいぶん贅沢な暮らしをしていたようね……自分の前世のことなのに、まったく縁もゆかりもない人の話を聞いているみたいだわ」

 彼女は夢見るような表情でつぶやいた。その横でリュシアンは目を細めて笑っている。

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