112話
リュシアンが制止の声を上げるより先に、エミリアは蓋のリボンを解いて籠の口を大きく開け放つ。そして中から、麻紐で束ねた大量のニンニクを引っ張り出した。彼はぎょっとして、腕で鼻を覆う。
その反応を見たエミリアは目を細めた。続けて額に入った聖画、塩、香の小箱、手鏡、聖水の入った小瓶、そして銀製の食器やカトラリーを手当たり次第テーブルに並べていく。
それらは全部リュシアンの嫌うものだ。たまらず顔を背けた彼は、エミリアを横目で睨みつける。
「今すぐそれを片付けろ!さもないと……」
「さもないと?……どうするつもり?」
エミリアは冷たい眼差しでニンニクの束を掴むと、ゆっくりとリュシアンの方に歩み寄る。じりじりと迫りくる白の脅威を見て長椅子から飛び降りた彼は、窓辺へと後ずさった。
「ニンニクくらいで逃げることないじゃないの……」
「私はそれが大っ嫌いなんだ!知っててやってるだろ!」
彼はすっかり取り乱して喚き立てる。いつもの冷静沈着な皮肉屋の姿は見る影もない。
「そんなものを持ち込んで……なにを考えているんだ、君は……」
「わかりませんか?」
「やめろ!近寄るな!」
腕で鼻を覆い隠したまま、リュシアンは必死の形相で怒鳴る。そんな彼を細めた目で眺めながら、エミリアは言った。
「望まぬ行為を強要されたことへの仕返しです」
ニンニクの束をテーブルに置くと、満足そうに息をつく。
「ああ、すっきりしました」
「すっきりしただと?!君が持ってきたそれは我々ヴァンパイアにとって――」
「リュシアン様」
彼の声を遮ったエミリアは、テーブルから目を上げた。
「あなたがご自分を化け物と思うなら、それでかまいません。私はそうは思わないというだけのことです。あなたが何者であろうと、私はこの先もずっと変わらず、お傍におります」
思いもよらない言葉に絶句したリュシアンは、鎧戸の隙間から差し込む光に照らされながら茫然と立ち尽くす。
エミリアはまっすぐに彼を見つめて言った。
「どうかお願い。突き放さないで」
ふたりの視線が交差する。彼女の表情に、先ほどまでの冷酷さはない。懇願するような目が、彼の胸を射貫く。
「――あんな酷い目に遭わされたというのに……君はまだ、私を……」
言葉が続けられず唇を噛んだ彼を前に、エミリアはためらうことなく頷いた。
「心からお慕いしております。リュシアン様……」
「エミリア……」
せつなさと愛おしさに苦しくなりながら名を囁く。数多の光を閉じ込めたアイスブルーの双眸に、うっすらと涙が滲んだ。
おだやかな眼差しで彼を見つめ返したエミリアは、花がひらくように微笑む。
「またチェスで勝負しましょうよ」
リュシアンは喉に声を詰まらせたまま何も言えない。
「ね?」
やわらかい声音が返事を促す。
目元を手で覆ったリュシアンは、黙ってうつむいた。熱を持たないはずの頬が火照っている気がした。
やがて彼はきつく結んでいた唇をほどき、一度大きく息を吸い込むと顔を上げる。そして挑戦的な眼差しでエミリアを見た。
「次こそ君を負かしてみせる」
言って、不敵な笑みを浮かべる。
エミリアも破顔し、
「本気のあなたには勝つのは難しそうだわ。あれを首から下げて戦おうかしら」
エミリアはニンニクを目で示し、片眉を上げた。つられてその方を見たリュシアンはテーブルに転がっている白い塊を視界に捉えるなり驚いた猫のように飛び退いて、手で鼻と口元を覆う。
「片付けろっ!早く!」
癇癪持ちの子どものように叫ぶ彼を見て小さく笑ったエミリアは、束をむんずと掴んでバスケットに戻した。
遠くからその様子を窺いながら、リュシアンが声を投げてくる。
「二度とそれを城に持ち込むんじゃないぞ。いいな?」
「あら、残念。得意のニンニク料理を振る舞おうと思ったのに」
「……そんな恐ろしいセリフを聞いたのは900年以上生きてきたなかで初めてだ。君を怒らせてはいけないということが今日よくわかったよ」
じとりと睨み据えてくるリュシアンを愉快そうに見つめ返して、エミリアはテーブルの上に並べていたものを次々と籠に収めていく。
部屋の隅の壁に張りついていた彼は、そろそろと手を伸ばし鎧戸と窓を開け放った。勢いよく流れ込んできた新鮮な空気を胸いっぱいに吸ってから、溜息と共に問う。
「エミリア……なぜ、私の苦手なものを知っている?」
ヴァンパイアの生態について知る者はほとんどいないはずだ。詳しいのは祈祓師か、エトワール生理学研究所の人間くらいだろう。
エミリアは顔を上げ、手鏡を手に取るとリュシアンに向ける。彼はとっさに顔を背けた。
鏡の中を覗くと、そこには彼の姿がはっきりと映っている。
「ロスコーカレッジでヴァンパイアに関する文献が見つかったそうで……それを少し読ませてもらったのです」
「――誰がそんなものを見つけたんだ?」
「ケンプベルの元治安官の方です」
「私が思うより君は……いろいろと詳しいようだな」
「あの本を読んで、ヴァンパイアに対する理解を深めることができたのは確かです。でも、実際のあなたを見ると間違った情報も多かったように思います」
手鏡をしまい、エミリアは言葉を継いだ。
「鏡に映らないという話は嘘。招かれなければ家に入れないというのも嘘。それに日光を浴びると燃えて灰になるというのも嘘……」
確かに書物に書かれていることの大半は人間の想像に過ぎないが、下級ヴァンパイアは日の光に当たり続ければかなりのダメージを負い、なかには発火してしまう者もいることは確かだ。上級ヴァンパイアであるリュシアンでさえヴァンパイアになりたての頃は火傷を負っていたし、今でも長時間太陽の下にいると体に悪影響が出る。
鏡に限らず、反射するものも総じて苦手だ。水面、硝子、金属に映る自分の姿を見つめ続けることはできない。
しかしそのことをリュシアンはエミリアに言わず黙っている。これ以上弱味を握られるのはおもしろくない。
「聖具も聖水もほとんど効果はなく、教会にも入ってくることができる……本当だったのは、ニンニク嫌いということだけですね」
眉根をぴくりと動かし、リュシアンは舌打ちでもしそうな顔で宙を睨む。籠の蓋をしっかり閉じたエミリアは甘えるような目つきで彼を見つめ上げ、
「これを外に置いてきますから、もうすこしだけここにいても?」




