107話
鐘楼での事件から数週間後、ようやくランドルフ・グラーツ博士の葬儀が執り行われた。
通常、異なる教派の冠婚葬祭に参加することは望ましくないとされている。だが今回はレイモンド公のはからいで異例の対応が取られ、聖ラディウス教会の司祭トマスと教会役員数名、ケンプベルに長期滞在する博士の身辺の世話を任されていた聖杯会関係者らがセルリオス教皇庁の総本山ラウツィ・ミザノ大聖堂に赴き、眠りについた魂を天に見送った。副助祭であるエミリアにも案内状が届いていたが、トマス神父が参列を許さず、彼女の代わりにギルバートが弔問したという。
エミリアは治安管理局から事件の重要参考人として目を付けられていた。博士が殺害された晩、自室にいなかったことを仲間内の誰かが漏らしたのだ。その証言に加えて、“鐘楼で修道女が助けを求めている”という匿名の知らせが治安管理局に届いていた。
その書簡には修道女と記されているだけで名前までは書かれていなかったが、当局はエミリアであると確信していた。彼女の手首や足首には紐状のもので拘束された痕があり、現場の石柱付近に切断された荒縄が残されていたからだ。
なぜ鐘楼にいたのか。博士を殺害したのは何者か。拘束を解かれたあとどこに行っていたのか――威圧的な態度で詰問されるも、エミリアは頑なに話そうとしなかった。それが疑惑を深める原因だと本人もわかっていたが、親切にしてくれたマクドウェルとカールソンが今回の事件に関わっているとなると真実を証言するのは憚られた。
鐘楼に上ってきたのを見て助けを求めたなどと言えば、彼らは無事では済まない。人道的な行いをしたと称賛されるどころか教会に不法侵入していたことを咎められ、厳しい取り調べを受けることになるだろう。
自身の身の潔白を証明したいという思いはあるが、虚実綯い交ぜにして語り捜査員を丸め込む器用さは持ち合わせていない。曖昧な証言をして混乱を招くより、黙っている方がいいように思えた。
黙秘しているらしいという噂が修道者のあいだで広まると、エミリアは以前にも増して周囲から白い目で見られるようになった。彼女は孤独だった。心は冷たく凍え不安定に揺れ動いていたが、人前では平静を装い、いつもと変わらぬ静かな祈りの日々を送った。
ある日の朝方。目覚めたエミリアが身支度を整えていると、扉の向こうから小さな声が聞こえた。
「シスター・エミリア」
ほとほとと扉を叩く音に短い返事をすると、蝶番が軋む音と共に扉が細く開く。
そこにはトマス神父が立っている。廊下に満ちる闇の中ぼんやりと光るふたつの目玉が、射るように彼女を見つめた。
神父はまるで影のようにゆらりと入ってくる。後ろ手に扉を閉めた彼は、挨拶もなしに言った。
「匿名による密告がありました」
「密告?」
「あなたが隠れてジャーメイン城を訪れ、そこに棲まう悪魔と不適切な関係を持っていると」
「あの城に悪魔はいません。私はリュシアン・アルベスク様に会いに行ったのです」
エミリアが平然と否定するも信じようとせず、トマスは尖った声で言葉を継いだ。
「悪魔に魂を売り渡したのですか?シスター・エミリア。だから神の意思に背き、私を失望させるのですか?」
この瞬間、エミリアは強烈な喪失感を覚えた。
今の彼を前にしては、弁解すら無意味に思える。どれほど懸命に訴えても、こちらの声などひとつも届かないのだ。
「最近のあなたの行いは神に仕える者としてふさわしくない。みなが心配していますよ……修道者としての自覚をなくし、あるべき姿を見失っているようだと」
トマス神父はゆっくりと左右に揺れながら、エミリアに近づく。垢じみた祭服から微かな異臭が漂ってきた。あんなに身の回りを清潔にすることに気を使っていたというのに、袖も裾も真っ黒だ。
「この先も我々を裏切り続けるというならば、副助祭の役職を失うだけにとどまらず、神の家を出ていってもらうことになるでしょう。すでに教区顧問会の重役であるアーロン・バリー、ハルク・オーサー、アメリ・ダズモアがあなたを背教者と見做し追放すべしと息巻いている……それに加え、中央協議会と宣教委員会の面々を集まる会議でも、あなたの言動は涜神行為にあたると批判の声が上がっているのですから」
まさか今回の件が教区顧問会の耳にまで届いているとは――衝撃を受けたエミリアは声もなく神父を見つめている。
彼は険しい顔で黙って見つめ返してきたが、急に目尻を下げ表情を緩めた。にこりと歯を見せて不気味に笑い、そして言った。
「しかしあなたが心を入れ替え神に忠誠を誓うというならば、私の方から彼らに寛大な措置を願い出てあげましょう」
「神父様……」
「罪を犯したのならば贖いなさい。胸に秘めた邪悪なる思想を洗い浚いさらけ出し、赦しを乞うて、光の中に戻ってくるのです。さあ、エミリア」
トマス神父は彼女に向かい大きく両腕を広げた。




