共に歩めなかった未来
《原始設計》。
神に書き換えられる前の、本来あるはずだった人生。
アンジェラの少女時代は大きくは変わらない。
一族は災厄によって滅び、身を寄せた親族によって不健全な修道院へ送られ、そこで過酷な教育のもと、多くの技能を叩き込まれていた。
だがこの世界線では、リタール王国で宮廷薬師を務めていた空が修道院における不審な薬物流通に気づき、それをエリカへ報告する。
二人は早い段階で修道院内部に潜んでいた人身売買組織を壊滅させた。
救出された少女たちはそれぞれ新たな人生を与えられ、アンジェラは音楽学校へ進む道を選ぶ。
やがて彼女は伝説的な歌姫となり、王国各地を巡って数々の華やかな冒険を経験し、多くの美しい男女との恋の噂を残した。
ドグは戦争の中で捕らえられ、リタール王国へ連行される。
一年間、戦奴として扱われた後、エリカ王妃による奴隷制度の段階的廃止により解放され、同胞たちと共に故郷へ帰還した。
その後は師のもとで魔術師の見習いとして修行を続け、やがて祖国の魔術師団長へと成長する。
しかしこの世界線では、十分な教育や機会に恵まれなかったため、現在の彼が到達したような高みにまでは至らなかった。
マイケルは度重なる残酷な実験と拷問の末、「魔物の王」と呼ばれる存在へと変貌する。
最終的には陽太によって討たれるが、この世界線ではその遺体がナオミのもとへ届けられることはなかった。
代わりにディマン王国によって戦利品として扱われ、見せしめのように利用されることとなる。
ナオミは王宮から逃れ、辺境で結婚し、この世界の医学を学びながら診療所を営む。
やがて娘エリンを産み、穏やかな家庭を築く。
空が水の聖女代理として巡回することもなく、辺境の状況は次第に悪化していくが、
ナオミ一家は移住を決意し、リタール王国へと渡る。
そこで診療所はやがて大きな医療機関へと発展し、エリンもまた優秀な医師として成長する。
しかしナオミは、生涯の終わりまで、「兄に何が起きたのか」を知らぬまま、その苦悩を抱え続けた。
レインの運命は、この中でも最も皮肉なものだった。
彼は二十一歳という若さで戦場にて命を落とす。
水の聖女代理が存在しなかったこの世界では、
辺境地域は慢性的な水不足に苦しみ、魔獣への対抗力も著しく低下していた。
レインは雷の魔法で巨大な魔獣を打ち倒すが、
負った傷が感染し、そのまま命を落とす。
当初は地域の英雄として称えられ、像まで建てられた。
だがその地がやがて放棄されると、彼の名を覚えている者もいなくなった。
陽太はディマン王国に忠誠を尽くす「日輪の勇者」として生き続ける。
だがやがて、自らが討ち続けてきた魔物の半数が、実はディマン王国による実験体であったという真実に辿り着く。
その事実を知った後、彼は静かに王国を去る。
リタール王国を訪れ、空と再会した後――そのまま姿を消した。
この世界線では、エリカは婚約破棄も幽閉も経験しない。
留学から帰還後、ジェイソンと結婚し、やがて王と王妃として即位する。
だが実際には、ジェイソンは芸術に没頭し、政治から距離を置くようになり、
国政の実権はすべてエリカが握ることとなる。
彼女は「冠なき女王」として統治を行い続けた。
空はその傍らにいた。
王宮へ迎えられ、薬師として地位を築き、
王妃の最も信頼される側近として常に彼女と行動を共にする。
エリカが退く時、空もまた、迷いなくその隣から去った。
「……ねえ、今は幸せ?」
エリカが問う。
その問いの奥にあるものを、二人とも理解していた。
“もし書き換えられなかったなら”
“どれだけのものを奪われたのか”
――それを、考えないための問いだった。
「まあね。」
空は肩をすくめる。
「今は、エリンとタヌキがちゃんと自立するか、それが一番の心配かな。レインがいい教師になってくれてるのは助かるけど。」
「ヨウタは?」
エリカの問いに、空は少しだけ笑った。
「警戒してるね。」
「勇者は、簒奪の女王と神の使徒に優しくないもの。」
「……あいつはもう、“勇者”って呼べるか微妙だけどね。」
少し間を置いて、
「国号を変えればいい。そうすれば君は“簒奪者”じゃなく、“建国の女王”になる。」
エリカは、静かに言った。
「……あの人は、あなたを幸せにしてる?」
空は一瞬、答えに詰まる。
「……あいつがいなかったら、今の公国は回ってない。忙しい時は、エリンの面倒も見てくれたし。」
エリカは小さく頷いた。
「それならいいわ。」
そして、さらりと続ける。
「もし何かあったら教えて。レイに行かせて、丸ごと食べさせるから。」
二人は、同時に笑った。
どれが本来の運命だったのか。それは、もう分からない。
だが――
今の彼らに出来ることはただ一つ。
この歪められた世界の中で、それでも自分たちの意志で生き延びることだけだった。




